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大戦前の米国における対日輿論についての一見解

2011-02-14 00:40:28 | 大東亜戦争
 戦前の外交官に森島守人(もりしま・もりと)(1896-1975)という人物がいる。東京帝大法学部を経て外務省に入省。奉天領事を務めていた時に張作霖爆殺、満洲事変に遭遇。ハルビン総領事、東亜局長を経て、ニューヨーク総領事の時に日米開戦を迎えた。戦時中に中立国ポルトガルの公使を務め、1946年に退官。『陰謀・暗殺・軍刀』(岩波新書、1950)、『真珠湾・リスボン・東京』(同、同)の2つの回想録を残した。



 その後者を読んでいると、興味深い記述が目に留まった。ニューヨーク総領事時代の話である。

 日本内地ではややもすると、アメリカ国民が極東の事情に関して十分な認識と理解とをもたないのを、日本側における宣伝の不足、啓発の拙劣に帰し、在外機関の活動を非難する声が高かった。事実、語学が不得手な上、引っ込み思案な国民性のゆえに、その傾きのあったことは否定できない。さりとて、満洲事変以来、しばしば海外に派遣された国民使節なるものは、帰国後自分の活動を大袈裟に吹聴し、彼らの遊説などの結果対外関係が急転直下改善されたような印象を国民に与えることに努めていたが、実際のところは日米関係は、彼らのゆえに改善されたところは、少しもなかった。アメリカの対日輿論の悪化したのは、日本の対満、対華政策それ自体に因由していたのであって、源を清めずして下流の清きをのみ望む考えは、本末を顛倒し、木によって魚を求むるの類であった。又ワシントンや、ニュー・ヨークやサンフランシスコあたりには、外務省情報部の出店を設けて、内密に雑誌を買収したり、パンフレットを出したりしていたが、これらの仕事に携わっていたアメリカ人は、要するに金のために働く連中にすぎず、一般アメリカ人の信頼を博すことにならなかったのみならず、非米活動調査委員会の関係上、かえって日本に累をおよぼす危険すら予想されないでもなかった。(p.47-48)(漢字の旧字体は適宜現代のものに直した)


 以前私が取り上げたフレデリック・ビンセント・ウイリアムズも、こうした者共の一員だったのだろう。

 非米活動調査委員会とは、戦後の米国で吹き荒れた「赤狩り」旋風で悪名高いアレである。1938年に下院に設けられ、当初は共産主義ではなくファシズムの摘発に重点を置いていたそうだ。

 だから、ウイリアムズの本の解説で訳者田中秀雄が述べていたような、日本は宣伝戦で中国に敗北したといった見方は皮相的なものにすぎない。問題はわが国が中国を勢力圏に組み入れようとすることそのものにあったのだから。

 公平を期すために記しておくが、本書が刊行されたのは占領期である。また、著者は1955~1963年、社会党の衆議院議員を務めた人物だ。
 しかしだからといって、本書や『陰謀・暗殺・軍刀』の内容が虚偽である、あるいは著しく偏向しているとは決めつけられないだろう。それは個々の内容について判断すべきことだ。
 両書は、当時を知る上で、こんにちでも参考になる記述が多々ある、大変興味深いものだと思う。
 付言すれば、満洲事変の底流には支那側の排日・侮日政策があったことや、幣原外交は理想主義的に過ぎたこと、支那において通州事件など日本人に対する惨殺事件も存在したこと、対米宣戦布告の遅延は意図せざるものであったことなどにも触れており、決して連合国が押しつけようとした史観によるものではなく、また後年の社会党の主張とも異なるものとの印象を受けた。


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