共産党のホームページで、志位委員長による情報保全隊問題についての記者会見での一問一答を読んでみた。
《――盗聴や尾行など明白な違法行為はあるのですか。
志位 この内部文書の中からは、それら(盗聴や尾行)を確認することはできません。
ただし、写真撮影は違法です。たとえ、警察が行うものであっても、集会やデモの参加者に対する写真撮影は、個別具体的な犯罪行為が明確な場合をのぞいて、違法となります。一九六九年の最高裁大法廷の判決でも、「何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌(ようぼう)・姿態を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容貌等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない」との判断が下されています。
(犯罪行為にたいする)強制捜査権をもつ警察の場合でもそうした制約があるわけですから、ましてや強制捜査権のない自衛隊が、まったく犯罪と無関係の平和的な団体の集会やデモの参加者に対して写真撮影をおこなうのは、違法行為となることは明瞭(めいりょう)です。》
盗聴や尾行は果たして明白な違法行為なのだろうか。
それはさておき、1969年の最高裁判決とは、いわゆる京都府学連事件のことだろう(なぜ事件名を出さないのだろうか)。
判決文を読んでみた。関連する部分を下に掲げる。
《所論は、本人の意思に反し、かつ裁判官の令状もなくされた本件警察官の写真撮影行為を適法とした原判決の判断は、肖像権すなわち承諾なしに自己の写真を撮影されない権利を保障した憲法一三条に違反し、また令状主義を規定した同法三五条にも違反すると主張する。
ところで、憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。
これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。
そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときで
ある。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである。》
「次のような場合には・・・・・・許容されるものと解すべきである」と述べている。
「次のような場合に限り、許容される」とは述べていない。
「次のような場合」以外にも、許容される余地はあると解釈すべきだろう。
《これを本件についてみると、原判決およびその維持した第一審判決の認定するところによれば、昭和三七年六月二一日に行なわれた本件A連合主催の集団行進集団示威運動においては、被告人の属するB大学学生集団はその先頭集団となり、被告人はその列外最先頭に立つて行進していたが、右集団は京都市a区b町c約三〇メートルの地点において、先頭より四列ないし五列目位まで七名ないし八名位の縦隊で道路のほぼ中央あたりを行進していたこと、そして、この状況は、京都府公安委員会が付した「行進隊列は四列縦隊とする」という許可条件および京都府中立売警察署長が道路交通法七七条に基づいて付した「車道の東側端を進行する」という条件に外形的に違反する状況であつたこと、そこで、許可条件違反等の違法状況の視察、採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務の巡査Cは、この状況を現認して、許可条件違反の事実ありと判断し、違法な行進の状態および違反者を確認するため、木屋町通の東側歩道上から前記被告人の属する集団の先頭部分の行進状況を撮影したというのであり、その方法も、行進者に特別な受忍義務を負わせるようなものではなかつたというのである。
右事実によれば、C巡査の右写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものてあつて、しかも多数の者が参加し刻々と状況が変化する集団行動の性質からいつて、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであつたと認められるから、たとえそれが被告人ら集団行進者の同意もなく、その意思に反して行なわれたとしても、適法な職務執行行為であつたといわなければならない。
そうすると、これを刑法九五条一項によつて保護されるべき職務行為にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決の判断には、所論のように、憲法一三条、三五条に違反する点は認められないから、論旨は理由がない。》
この判決は、この京都府学連事件のケースについては、「次のような場合」以下の3要件、つまり、
・現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であること
・しかも証拠保全の必要性および緊急性があること
・かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれること
を満たしていることを理由に、違法性はないと述べているにすぎない。
しかし、仮に、この3要件の一部を満たしていない警察官による写真撮影の事例があったとして、それが違法と判断されうるかどうかは、また別の問題ではないだろうか。
この判例をもって、志位のように、
「たとえ、警察が行うものであっても、集会やデモの参加者に対する写真撮影は、個別具体的な犯罪行為が明確な場合をのぞいて、違法となります。」
と断じることができるかどうか、疑問に思う。
さらに、警察でさえ違法なのだから、捜査権のない自衛隊はなおさら違法だとする論法も承服しがたい。
私人による撮影はどうか。民間団体による撮影はどうか。マスコミはどうか。共産党自身も共産党主催の集会やデモを撮影していると思うが、それらは参加者全員の承諾をとっているのか。
私人やマスコミの撮影には何ら違法性はないが、公的機関による撮影は違法であると断じるのはおかしくないか。
志位は、写真撮影が違法というだけでなく、今回問題となった情報保全隊の活動全体が違法だという。
《――盗聴など明らかな違法行為は確認されていないのですか。
志位 さきほどのべたように、その種の違法行為は、入手した文書のなかでは写真撮影はそれにあたりますが、それ以外は確認されません。
ただより大きく自衛隊法との関係でいいますと、自衛隊法に根拠がない活動という点では、こうした活動の全体が違法だということがいえます。
情報保全隊を、二〇〇三年に設置されたさいに、政府はどういう説明をしたか。情報保全隊は、自衛隊法施行令第三二条の「自衛隊の部隊の組織、編成及び警備区域に関し必要な事項は、大臣が定める」という規定にもとづくものとされ、この規定にもとづいて「陸上自衛隊情報保全隊に関する訓令」によって「任務」がきめられています。「訓令」の第三条に「情報保全隊は、……部隊及び機関並びに別に定めるところにより支援する施設等機関等の情報保全業務のために必要な資料及び情報の収集整理及び配布を行うことを任務とする」とあります。
つまり、自衛隊がもっている情報が流出したり漏えいしたりすることを防止する――情報を保全することを「任務」としてつくられ、そのことのために必要な情報収集は許されるということが建前となっています。》
この説明には欺瞞がある。
「訓令」第3条にいう「情報保全業務」とは、志位が言うように、単に
「自衛隊がもっている情報が流出したり漏えいしたりすることを防止する――情報を保全すること」
ではない。
先の私の記事でも述べたように、「訓令」第2条で、情報保全業務の定義がなされている。
《(用語の意義)
第2条 この訓令において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(1) 情報保全業務 秘密保全、隊員保全、組織・行動等の保全及び施設・装備品等の保全並びにこれらに関連する業務をいう。》
「情報保全業務」とは、単なる秘密の保持ではない。
第3条を根拠として挙げうる者が、第2条に気付かないはずはない。
共産党は、それをわかった上で、「情報保全業務」という言葉によりかかって、誤った印象を与えようとしている。
そして朝日新聞も、まんまとそれに乗せられている、あるいはそれを承知で共闘しようとしている。
(続く)
《――盗聴や尾行など明白な違法行為はあるのですか。
志位 この内部文書の中からは、それら(盗聴や尾行)を確認することはできません。
ただし、写真撮影は違法です。たとえ、警察が行うものであっても、集会やデモの参加者に対する写真撮影は、個別具体的な犯罪行為が明確な場合をのぞいて、違法となります。一九六九年の最高裁大法廷の判決でも、「何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌(ようぼう)・姿態を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容貌等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない」との判断が下されています。
(犯罪行為にたいする)強制捜査権をもつ警察の場合でもそうした制約があるわけですから、ましてや強制捜査権のない自衛隊が、まったく犯罪と無関係の平和的な団体の集会やデモの参加者に対して写真撮影をおこなうのは、違法行為となることは明瞭(めいりょう)です。》
盗聴や尾行は果たして明白な違法行為なのだろうか。
それはさておき、1969年の最高裁判決とは、いわゆる京都府学連事件のことだろう(なぜ事件名を出さないのだろうか)。
判決文を読んでみた。関連する部分を下に掲げる。
《所論は、本人の意思に反し、かつ裁判官の令状もなくされた本件警察官の写真撮影行為を適法とした原判決の判断は、肖像権すなわち承諾なしに自己の写真を撮影されない権利を保障した憲法一三条に違反し、また令状主義を規定した同法三五条にも違反すると主張する。
ところで、憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。
これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。
そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときで
ある。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである。》
「次のような場合には・・・・・・許容されるものと解すべきである」と述べている。
「次のような場合に限り、許容される」とは述べていない。
「次のような場合」以外にも、許容される余地はあると解釈すべきだろう。
《これを本件についてみると、原判決およびその維持した第一審判決の認定するところによれば、昭和三七年六月二一日に行なわれた本件A連合主催の集団行進集団示威運動においては、被告人の属するB大学学生集団はその先頭集団となり、被告人はその列外最先頭に立つて行進していたが、右集団は京都市a区b町c約三〇メートルの地点において、先頭より四列ないし五列目位まで七名ないし八名位の縦隊で道路のほぼ中央あたりを行進していたこと、そして、この状況は、京都府公安委員会が付した「行進隊列は四列縦隊とする」という許可条件および京都府中立売警察署長が道路交通法七七条に基づいて付した「車道の東側端を進行する」という条件に外形的に違反する状況であつたこと、そこで、許可条件違反等の違法状況の視察、採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務の巡査Cは、この状況を現認して、許可条件違反の事実ありと判断し、違法な行進の状態および違反者を確認するため、木屋町通の東側歩道上から前記被告人の属する集団の先頭部分の行進状況を撮影したというのであり、その方法も、行進者に特別な受忍義務を負わせるようなものではなかつたというのである。
右事実によれば、C巡査の右写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものてあつて、しかも多数の者が参加し刻々と状況が変化する集団行動の性質からいつて、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであつたと認められるから、たとえそれが被告人ら集団行進者の同意もなく、その意思に反して行なわれたとしても、適法な職務執行行為であつたといわなければならない。
そうすると、これを刑法九五条一項によつて保護されるべき職務行為にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決の判断には、所論のように、憲法一三条、三五条に違反する点は認められないから、論旨は理由がない。》
この判決は、この京都府学連事件のケースについては、「次のような場合」以下の3要件、つまり、
・現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であること
・しかも証拠保全の必要性および緊急性があること
・かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれること
を満たしていることを理由に、違法性はないと述べているにすぎない。
しかし、仮に、この3要件の一部を満たしていない警察官による写真撮影の事例があったとして、それが違法と判断されうるかどうかは、また別の問題ではないだろうか。
この判例をもって、志位のように、
「たとえ、警察が行うものであっても、集会やデモの参加者に対する写真撮影は、個別具体的な犯罪行為が明確な場合をのぞいて、違法となります。」
と断じることができるかどうか、疑問に思う。
さらに、警察でさえ違法なのだから、捜査権のない自衛隊はなおさら違法だとする論法も承服しがたい。
私人による撮影はどうか。民間団体による撮影はどうか。マスコミはどうか。共産党自身も共産党主催の集会やデモを撮影していると思うが、それらは参加者全員の承諾をとっているのか。
私人やマスコミの撮影には何ら違法性はないが、公的機関による撮影は違法であると断じるのはおかしくないか。
志位は、写真撮影が違法というだけでなく、今回問題となった情報保全隊の活動全体が違法だという。
《――盗聴など明らかな違法行為は確認されていないのですか。
志位 さきほどのべたように、その種の違法行為は、入手した文書のなかでは写真撮影はそれにあたりますが、それ以外は確認されません。
ただより大きく自衛隊法との関係でいいますと、自衛隊法に根拠がない活動という点では、こうした活動の全体が違法だということがいえます。
情報保全隊を、二〇〇三年に設置されたさいに、政府はどういう説明をしたか。情報保全隊は、自衛隊法施行令第三二条の「自衛隊の部隊の組織、編成及び警備区域に関し必要な事項は、大臣が定める」という規定にもとづくものとされ、この規定にもとづいて「陸上自衛隊情報保全隊に関する訓令」によって「任務」がきめられています。「訓令」の第三条に「情報保全隊は、……部隊及び機関並びに別に定めるところにより支援する施設等機関等の情報保全業務のために必要な資料及び情報の収集整理及び配布を行うことを任務とする」とあります。
つまり、自衛隊がもっている情報が流出したり漏えいしたりすることを防止する――情報を保全することを「任務」としてつくられ、そのことのために必要な情報収集は許されるということが建前となっています。》
この説明には欺瞞がある。
「訓令」第3条にいう「情報保全業務」とは、志位が言うように、単に
「自衛隊がもっている情報が流出したり漏えいしたりすることを防止する――情報を保全すること」
ではない。
先の私の記事でも述べたように、「訓令」第2条で、情報保全業務の定義がなされている。
《(用語の意義)
第2条 この訓令において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(1) 情報保全業務 秘密保全、隊員保全、組織・行動等の保全及び施設・装備品等の保全並びにこれらに関連する業務をいう。》
「情報保全業務」とは、単なる秘密の保持ではない。
第3条を根拠として挙げうる者が、第2条に気付かないはずはない。
共産党は、それをわかった上で、「情報保全業務」という言葉によりかかって、誤った印象を与えようとしている。
そして朝日新聞も、まんまとそれに乗せられている、あるいはそれを承知で共闘しようとしている。
(続く)