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主催者側発表と警察側発表

2012-09-12 00:15:56 | 珍妙な人々
 6月に、BLOGOSに転載された藤代裕之の「官邸前デモで考える、誰もがジャーナリスト時代のメディアリテラシー」という記事を読んでいると、こんな記述があった。

ソーシャルメディア上では、マスメディアの取り上げ方や参加者数の違いが盛り上がっていました。

ウェブ版ですが朝日、毎日、読売、産経、東京の見出しと記事の人数を比べてみましょう。

〔中略〕

朝日、毎日が、主催者と警察発表併記。東京が主催者のみ。読売と産経が警察発表です。列の長さは、朝日と毎日が700メートル、読売と産経、東京が500メートルです。

〔中略〕

次に、参加者の人数について。

主催者側が数字を「盛る」ことはデモや集会などの社会運動で古くから行われています。記者時代に労組の集会に取材にいくと、自分で数えた数字と発表が10倍ぐらい盛ってて驚く時もあったほどです。人出は、面積(歩道の広さや列の長さ)×密度で計算できます。ちょっとでも参加した人も含めれば、延べ人数は相当になりそうですが、官邸周辺の道路で4.5万人というはさすがに多すぎる気がします。

デモに関して、Twitterで朝日新聞モスクワ支局の関根記者 @usausa_sekine: や毎日新聞の石戸記者@satoruishido:とTwitter上でやり取りしましたが、デモは多くの場合、現在の体制に反対するものです。反原発や再稼働反対は、野田政権の方向性とは異なります。警察は治安を維持する組織ですから、小さく見積もるのが「お仕事だ」と言えるでしょう。むしろ、警察が1万を超える数字を発表したのはインパクトがあるなあと感じたほどです。


 面白いことを言うものだと思った。

 警察は治安を維持するための組織だからこそ、正確な人数の把握が必要なのではないのだろうか。
 あるいは、組織維持のため、また士気を高めるため、監視対象を大きく見積もることはあるかもしれない。しかし、「小さく見積もるのが「お仕事だ」」などということが有り得るだろうか。小さく見積もりすぎたがために制御できなくなったらどうするのか。

 私もこのころの主催者発表と警察側発表の数字の落差が気になっていた。というか、いくら何でも「盛」りすぎではないかと感じていた。

 昔々、呉智英の『バカにつける薬』(双葉社、1988)を読んで、主催者発表などというものは全くあてにならないという程度の知識はあった。
 今、同書を読み返してみると、
「こんなものいらない!?――「主催者側発表」」
という文章だった。1992年に休刊した週刊誌『朝日ジャーナル』の「日常からの疑問」というコーナーに1985年に掲載されたものらしい。
 呉は次のように述べている。

 冠せられたタイトルは「日常からの疑問」なのだが、私にとっては「昔からの疑問」でもあったのが〝主催者側発表〟である。主催者側発表といっても、一般的な意味での「主催者による発表」のことではない。別名を〝大本営発表〟とも〝水増し発表〟とも言う主催者側発表のことである。すなわち、革新団体による集会やデモの参加者数についての主催者側発表のことである。
 〔中略〕私が参加した集会やデモは数知れなかったが、そのうち、私が現認した参加者数と主催者側発表が一致したことは一度もなかった。
 新左翼だけのことではない。社会党・共産党の旧左翼も、もちろんそうだった。少なくとも四割や五割は水増しだったし、多い時には五十割増しや六十割増しも珍しいことではなかった。主催者側発表について、指導者に問い質したこともあったが、大したことではない、というような答えで、うやむやになることが多かった。
 〔中略〕
 さて、それから十数年。最近の集会事情やデモ事情を聞くにつけ、全く変わっていないと思わざるをえない。
 ごく最近の例では、昨84年十二月九日のアメリカの原子力空母カールビンソン反対集会である。横須賀では大規模な反対集会とデモが行われたが、十日付の『朝日新聞』によると、それは次のように違っている。
 社会党系
  主催者側発表一万八千人
  神奈川県警発表七千百人
 共産党系
  主催者側発表一万八千人
  神奈川県警発表七千百人
 いずれも、主催者側発表は係数をかけたように警察側発表の二・五倍である。
 〔中略〕
 なんという不思議なことであろう。なんという矛盾であろう。
 私は、もちろん、警察側発表が常に正しいなどと思っているわけではない。国家権力がさまざまなデッチ上げをすることは珍しくもない。〔中略〕
 また、私は、国家権力並みの組織力を持たない反体制勢力が、集会参加者を集計する精度を上げるのに限界があることも、十分に理解している。一割や二割の誤差をあげつらう必要はないのだ。しかし、どんなにルーズな組織力でも、二十割も三十割も四十割もの誤差を出すことはありえないはずである。
〔中略〕
 私は、こういう革新勢力が、カールビンソンには核疑惑があるの、政府声明は信用できないのとぶちあげる神経を疑う。それだけではない。ここ数年間、教科書検定を問題にしてきたのはだれだったのか。広島や長崎の原爆被災者数の数を少なめに記載させよう、南京虐殺の犠牲者の数をごまかそう、とする政府に対し、〝正論〟を吐いたその口で、自分たちの都合のいい時は、人数を二倍だろうと三倍だろうと四倍だろうと、主催者側発表して恥じないのである。戦時中の大本営発表の嘘を暴いて得意のその舌の根も乾かぬうちに、主催者側発表なのである。


 呉は、彼らはイソップ寓話の狼少年同様、「常日ごろから嘘ばっかり言っていると、たまに本当のことを言ったり、たまにいいことを言っても、だれも信用してくれない」とし、さらに、彼らによる革新政権なり革命政権なりがめでたく成就した場合、これらの集会やデモの参加者の人数はどう記述されるのだろうか、訂正されるのかそれともそのままだろうかと疑問を呈してこの文を結んでいる。

 そしてさらに、「主催者V.S.警察」と題する小さな囲み記事が載っている。この文が掲載された際に『朝日ジャーナル』編集部が取材して添えたものなのだろう。

主催者V.S.警察
 総評国民運動部
「例えば、東京の明治公園がいっぱいになれば何人だが、きょうは何割入っているから何人ぐらいというのが一つ。もう一つは、単産が事前にまとめる基礎動員数。この二つから集会・デモの参加者数をはじいています。
 水増し発表をするつもりはないが、なかには政治的発表もあるでしょう。『一〇万人集会』とか言っておきながら、少ししか集まらないと、次の集会につながっていきませんから。
 カールビンソン反対集会で発表した一万八千人には、五千人くらいの水増しはあったと思うが、警察発表の参加者七千人ということはない。どうも警察は、主催者側発表の半分くらいの数字を発表しているようですな」
 警視庁警備部
「計数機を使って、一人一人数えています。集会のあとデモに出るので、交通整理の必要があるからです。何人くらいで数えているかって? そこまで話していいのかどうか……。主催者側がどんな数字を発表しようと、向こうの勝手ですが、計数機を持っている人など、見たことありませんね」(「朝日ジャーナル」編集部取材)

 
 さて、それから二十数年。主催者側発表の在り方は、やはり「全く変わっていないと思わざるをえない。」

 ただ、現在でも同様の算定方法をとっているのだろうか。
 そんな疑問を覚えていると、7月6日の官邸前デモを伝える7日付朝日新聞朝刊の

抗議の矛先は首相に
再稼働反対「訴え続ける」

 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に抗議する大規模な行動が、6日夜も首相官邸前で行われた。主催者発表で約15万人(警視庁調べで約2万1千人)の参加者の怒りの矛先は、民意に正面から向き合わずに「決断」ばかり強調する野田佳彦首相の政治姿勢に向かう。


という記事に、次のような解説記事が添えられていた。こういったあたりはさすが朝日。

参加者の数に差 主催者と警察

 官邸前での抗議行動の参加者数は、前回6月29日も主催者発表(15~18万人)と警視庁調べ(約1万7千人)に差があった。
 主催者によると、午後6時の抗議開始から30分ほどしたところで、数人で手分けして計数機でカウント。その人数を基準に、終了直前ごろに何倍ぐらいに増えたかを目視で測り、参加人数を推定しているという。
 一方、警視庁は、関係者によると、会場の混み具合から単位面積あたりの人数を推定し、会場全体の面積を掛け合わせて人数を算出している。「身動きが取れないほどの混雑なら1平方メートルあたり8人」など、基本となる人数の推定には様々なノウハウがあるが、外部には公表していないという。


 二十数年前とはだいぶ算定方法は違うらしい。
 とはいえ、どちらも主催者側発表の方が、誤認や恣意的な要素が入りやすいことに変わりはない。

 そして、主催者側が「狼少年」であることも、二十数年前とも、呉が学生運動に参加した四十数年前とも、何ら変わりはないと言えるだろう。


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