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村山治、松本正、小俣一平『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版、2016)感想

2016-11-02 08:36:33 | 事件・犯罪・裁判・司法
 地元の本屋でたまたま本書を見かけ、興味をもって購入した。
 吉永祐介(1932-2013)については、ロッキード事件やリクルート事件の捜査を指揮し、後に検事総長を務めた人物として、名前ぐらいは知っていたが、どんな人物かはまるで知らなかった。
 本書は、NHKの小俣、朝日新聞の松本、毎日新聞から朝日新聞に転じた村山の3人の元検察担当記者による鼎談によって、吉永を中心に特捜検察の歴史を描いたもの。朝日新聞のウェブサイト「法と経済のジャーナル」に連載されたものをベースに新たな取材や鼎談を追加して再構成したものだという。

 なお、吉永祐介の「吉」の字は正しくは「士」の部分が「土」、「祐」の字はへんの「ネ」が「示」のはねがない形であり、本書でもそうなっているのだが、パソコンでの表示の便宜上「吉」「祐」を用いる。

 吉永個人だけでなく、ロッキードとリクルートの両事件を中心に、特捜検察の歴史がバランスよく語られている。鼎談なので読みやすい。

 読んで強く思ったことが2つある。
 1つは、ロッキード事件の頃は、検察とマスコミが協力的な関係にあり、また裁判所も検察寄りだったのだということ。
 例えば、後に問題となる嘱託尋問調書について、村山、松本両氏はこう語っている。

村山 刑事免責は当時の日本では認められていませんでした。それで得た供述証拠は、裁判所が証拠採用しないのが常でした。検察と裁判所は「掟破り」をした疑いがありました。ところが、この異例の措置を、ほとんどのマスコミは「真相解明には必要な手続きだ」と受け止め、むしろ、検察や裁判所の背中を押す論陣を張ったのです。
松本 嘱託尋問で免責を与えて供述を得ることについて、検察が危ないことをやっている、という論調は当時、どのマスコミにもなかったのではないでしょうか。むしろ、やるべきだという論調が支配的で、裁判所もそれに敏感に対応したという感じがあります。新聞がそろってあのような論調をとったのは、法の適正手続きを遵守することによって生じるマイナスを考えた、裏返して言えば、法的には踏み外すことにはなるが、それによって得られる公益、ロッキード事件の真相解明によってもたらされる公益の方が格段に大きいと判断したのだと思います。(p.75)


 ロッキード事件とは、そのような「判断」によって検察、裁判所、マスコミが連携し、さらに首相もそれを政治的に利用するという状況下で捜査が行われた特異な事件だったということなのだろう。

 もう1つは、先に述べたこととも関連するが、マスコミと検察がひどく密接な関係にあったということへの驚きだ。
 例えば、朝日の社説が検察の方針を変えたという事例が紹介されている。
 ゼネコン汚職で中村喜四郎衆議院議員への疑惑が取り沙汰されたが、小俣氏は、中村はやらない方針だと吉永から聞き、そのような記事を書いた。ところが後日、一転して中村事件をやることになったと吉永から電話で聞かされた。困惑した小俣氏は直接吉永のところへ出向いて事情を聞いた。すると吉永は、
「いや、朝日新聞が社説で書いただろう」
「最高検の上層部は朝日の社説に引っ張られるんだよ」
「朝日に出るのは、ほかの新聞に出るのと違うんだ」
と述べたという。

小俣 吉永さんは、中村事件について、あっせん収賄での立件はだめだ、受託収賄の筋が出ないから、もうだめだ、と言っていたんです。俺が判断したからだめなんだ、と明言していたんです。いったんは、立件見送りに傾いていた。ところが、話が違ってきて、中村喜四郎代議士を3月11日にあっせん収賄容疑で逮捕したんです。
 松本さんに聞きたいのは、中村喜四郎事件のときの吉永さんと朝日新聞の社説との関係です。吉永さんの言う朝日新聞の社説は、94年2月6日付の「検察は歴史に堪える決着を」です。それを吉永さんが読んで捜査方針が変わった。それは明らかです

 社説が吉永さんを中村議員摘発に動かす

村山 あの社説は、実は、松本さんが、元司法記者クラブキャップで論説副主幹だった佐柄木俊郎さんに書いてもらったものですよ。その経緯は、そばで見ていたからはっきり覚えています。
 特捜現場は、中村さんをあっせん収賄罪で起訴できると意気込んでいる。ところが、吉永さんは消極的。どうするか〔中略〕。
 松本さんが「吉永さんは気が小さいから、朝日の社説が尻をたたけば、やる気になる」と読んで、佐柄木さんに頼みに行った。そうしたら、その通りになった。松本さんの戦略眼はたいしたもんだ、と思いましたよ。
 〔中略〕
松本 もう記憶にはほとんど残っていないのだけれど、そう言われると確かに、そういうことはありました。こちらもあのときは勝負をかけていました。(p.272-273)


 さらに、こんな発言もある。

小俣 この事件は、吉永さんは「朝日新聞が世論だから」と明確に言ったのです。それが強烈な印象として残っています。。あの頃の朝日新聞だったから、そう言われても、強く反論せず納得したのだと思います。今の朝日新聞なら「そんな馬鹿な」とひっくり返せるんですがね。
村山 ロッキード事件のところでも話しましたが、検察首脳は、朝日新聞の社説をよく見ているんです。
小俣 重要なことは、吉永さんが「朝日新聞が世論だ」と言ったことです。「新聞はたくさんある。どうして朝日新聞が世論なんですか」と問い詰めたが、答えはなかった。
 笑ってしまったのは、社説が検察に対して影響を持つのを生まれて初めて知ったことです。ある全国紙の論説副委員長だった人に言わせれば、「社説というのは、だいたい書き方があって、〔中略〕それに入れ込めば、誰でも難なく書ける」と。
 そういうものが、検察に対して威力を持つなんて信じられなかったけど、朝日新聞のその社説は、乾坤一擲の威力だったわけです。 今のマスコミがだめなのは、社説を含めてそういう影響力を、国家権力ないし、その末端の機関に対し、持ちえなくなったこと。ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退したと言えますね。社説を書いて捜査機関が動いたのは、吉永さんの時代が最後だったのかもしれませんね。


 また、吉永が東京高検検事長から検事総長に就任した際に、後任の東京高検検事長には根来泰周が就いたのだが、吉永の前任の岡村泰孝検事総長と吉永との間に、吉永の後任の総長には根来を就けるとの密約があったという。
 しかし、小俣氏と松本氏はその約束を反故にするよう吉永に働きかけたのだという。何故なら、根来には「政界と親密で、検察現場の捜査を牽制する悪い法務官僚というイメージがあった」(p.287)からだ(村山氏はこれについて異論を述べている)。
 小俣氏は、

 吉永さんが、そろそろ後任の総長を決めなければならないタイミングで、私に「事件もやったし、総長もやったし、もう根来に代わろうか」って言ったことがあったんです。私は、「なに馬鹿なこと言ってるんですか。検察現場立て直しのために吉永総長を応援してきたマスコミの面目が立たないじゃないですか」と言って慰留しました。(p.296)


と述べている。
 結局、吉永は総長を定年前に退官することはなく、先に検事長として定年を迎えた根来が退官し、次期総長には吉永と同じく現場派である土肥孝治が就いた。

 こういうことがあるのなら、マスコミ人が自らの言論で天下国家を動かす感覚になるのも当然だろうなと思った。

 3人は、単に吉永をほめたたえるだけではなく、批判もしている。
 例えば、小俣氏は、こんなエピソードを紹介している。
 1993年のゼネコン汚職事件の捜査で、応援検事が事情聴取した参考人に暴行を加えるという不祥事があった。
 このとき、法務省刑事局長の則定衛氏が、検事総長だった吉永に、被害者にお詫びに行ったらどうかと進言したところ、吉永がひどく怒っていたという。
 吉永の理屈は、総長が謝罪すればそれは検察全体が謝罪するということであり、暴行に関係ない者まで謝罪することになるという、理解しがたいものだったという。
 そして、則定氏に対して「真っ当な感覚の人」だと感心したという(p.261)。

 また、マスコミは検察をチェックする機能を十分に果たしてこなかったのではないかという反省も見られる。

 しかし、本書の基本的なトーンは、吉永は優れた捜査官だった、マスコミもよくやったという回顧談である。
 ロッキード事件やリクルート事件の捜査や報道は本当に正しかったのかと検証する姿勢はほとんど見られない。

 小俣氏は「ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退した」と述べているが、私には、社説が捜査に影響を及ぼすことがなくなったのなら、むしろそれがマスコミと捜査機関との健全な関係ではないかと思える。

 いろいろと疑問に思う点はあるのだが、ともあれ、当時を知る上で興味深い発言は数多い。
 戦後政治に関心のある方には、一読を勧めたい。



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