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猪瀬直樹『東條英機 処刑の日』(文春文庫、2011)感想

2012-01-14 01:34:10 | 大東亜戦争
 副題は「アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」」。

 店頭でタイトルを見てピンときた。
 これは、今上天皇の誕生日に東條らの死刑が執行されたということを指すのだな。

 カバー裏表紙の内容紹介にはこうある。

 〈ジミーの誕生日の件、心配です〉焼け跡の記憶もまだ醒めやらぬ昭和23年12月初頭、美貌と奔放さで社交界に知られた子爵夫人の日記は、この謎めいた記述を最後に途絶えた。彼女は一体何を心配していたのか。占領期の日本にアメリカが刻印した日付という暗号。過去と現在を往還しながら、昭和史の謎を追う。


 本書は2009年に文藝春秋から『ジミーの誕生日』のタイトルで刊行され、文庫化に当たり改題したもの(副題は同じ)。
 こんな本が出ていたとは記憶にない。店頭や広告では見ていたが、忘れてしまったのかもしれない。

 文庫版の解説で、作家の梯久美子はこう述べている。

 まるでミステリー小説を読むような興奮を味わわせてくれるのが本書の醍醐味なので、あまり種明かしをするわけにはいかないが、これは書いてしまおう。本書で猪瀬氏が指摘している、占領期における不思議な日付の符合についてである。
 極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯二八人が起訴されたのは、昭和二十一年四月二十九日。つまり昭和天皇の誕生日である。
 裁判が開廷したのは五月三日。翌二二年のこの日、新憲法が施行されている。
 そして、東條英機らA級戦犯七人が処刑されたのは、昭和二十三年十二月二十三日。そう、当時の皇太子、現在の天皇の誕生日である。
 本書によって、この三つの日付の符合を知ったとき、私は思わず戦慄した。東京裁判について特に詳しいわけではないが、A級戦犯として絞首刑にされた七人のうち、東條英機と広田弘毅が残した遺書について、それぞれ短い文章を書いたことがあり、その際、ある程度の資料は読んでいた。しかし、偶然であるとはとても思えないこれらの日付の一致については気がつかなかった。
 読者の多くもそうではないだろうか。近・現代史にくわしい人なら、あるいは「私は知っていた」という方もいるだろう。しかしそれは個別の日付を知っていたということで、三つの符合に気付き、さらにはそこに隠されたマッカーサーの、いやアメリカという国の意図に思いをいたした人は、まずいないはずだ。
                  

 そうだろうか。
 5月3日はともかく、4月29日と12月23日については、私は本書の単行本が出版された2009年より前から知っていたように思う。

 ネットで検索してみると、2005~2007年に書かれた次のような記述が見つかった。

Yahoo!知恵袋 A級戦犯はなぜ今日―天皇誕生日に処刑されたのか(2006/12/23)

〔質問〕A級戦犯はなぜ今日―天皇誕生日に処刑されたのか
今日は天皇誕生日であると同時にA級戦犯七名が絞首刑にされた日です。
〔中略〕
さて、GHQはなぜ真珠湾攻撃の日(12月8日)ではなく、皇太子(当時)の誕生日を死刑執行の日に選んだのでしょうか

〔ベストアンサーに選ばれた回答〕
もちろん偶然などではないと思います。処刑日時は12月23日午前0時1分。23日、当時の皇太子の誕生日になった瞬間に処刑されています。見せしめのつもりだったんでしょう。


天皇誕生日に思うこと(2006/12/23)

忘れてはいけない12月23日

この12月23日、今上陛下御生誕の日でもありますが、もう一つ忘れてはならない出来事があります。

昭和23(1948)年12月23日、巣鴨拘置所において、所謂A級戦犯で絞首刑を言い渡された7名の刑が執行された日です。

ちなみに、A級戦犯として28名が起訴されましたが、起訴された日は昭和21(1946)年4月29日、つまり、昭和天皇の天長節でした。そして、7名の絞首刑執行日は当時皇太子殿下であられた今上天皇の誕生日。

昭和天皇の誕生日に起訴し、皇太子殿下の誕生日に死刑執行という、日本人の精神的ショックをさらに甚大にするため、これみよがしとばかりに行われました。GHQのやり方は実に陰湿です。

マッカーサーはじめ、GHQや戦勝国側にいた多くの欧米人はキリスト教信者だったことでしょう。平和の使者イエス・キリストの子であるクリスチャンが、こんなにも陰湿で卑怯卑劣極まりない方法で、天皇(神)の子を殺めるとは。

どこが平和の使者なのでしょうか。憤慨と同時に噴飯・嘲笑です。

そんなキリスト降誕祭を嬉々としている、クリスチャンでない日本人って何なんでしょう。面妖としかいいようがありません。


いぬぶし秀一の激辛活動日誌 今日は天皇誕生日、そしてA級戦犯処刑の日 (2005/12/23)

今日は、天皇陛下のお誕生日である。我が国統合の象徴、そして2600年以上続いている我が国の歴史の系図の生き証人でもある。偉いとか、偉くないとかではなく、国民として素直にお喜びすべき日であろう。

 そして、もうひとつ忘れてならないことがある。それは、1948年の今日、東京裁判というリンチにも等しい裁判で、A級戦犯という汚名をつけられた人々が処刑された日でもある。

 わざわざ、当時の皇太子の誕生日に処刑の日をあわせたことからも、GHQによるリンチ(報復)の感が見える。


ニッケイ新聞(注・日本経済新聞に非ず) コラム 樹海(2006/12/23)

 きょう12月23日は天皇誕生日。昭和8年(1933年)にお生まれになった陛下も73歳になられ益々お元気に国民と親しく接しているのは喜ばしい。昭和天皇の頃は、在外公館が盛大な祝賀パ―ティを開いたものだが、近ごろは誕生日を避けてひっそりと行われるのはいささか寂しい。今から10年前にペル―の日本大使公邸での天皇誕生パ―ティがテロに襲われ公邸が占拠された事件の影響だが、一日も早く本来の姿に戻ってほしい▼陛下は新しい皇室を目指し努力を重ねておられるが、戦後のある時には苦々しさも味わったのではあるまいか。その一つが、46年5月3日に始まった東京裁判であったように思う。この年の4月29日にA級戦犯が起訴され48年12月23日に東条英機元首相ら七人が処刑されている。東京の陸軍施設を法廷にしたあの裁判から60年―が過ぎた。が、4月29日と12月23日は心ある人々の胸には重くも痛々しい▼昭和天皇と今上陛下(当時は皇太子殿下)の誕生日にあわせた起訴と絞首刑の執行には「勝者の裁判」が透けて見える。〔後略〕


《憲法記念日》 「新憲法」制定は日本の悲願?(2007/5/4)

現行憲法(日本国憲法)の成り立ちについて調べなおしてみたところ、興味深い「数字の一致」が見えてきました。では以下の数字(月日)を、じっと目を凝らして見つめてみて下さい。

 ○  4月29日  東京裁判「起訴状」 公布
 ○  5月 3日  東京裁判 開廷
 ○ 11月 3日  日本国憲法 公布
 ○ 12月23日  東京裁判 死刑執行

 何故ここで「東京裁判」であるのかと奇異に思われた方は、現行憲法がGHQ占領下政策のもとに制定されたものであることを踏まえ、拙エントリー「世界の識者が見た東京裁判」をご参考下さい。

 もうほとんどの方が気づかれたことと思いますが、それぞれ、日本の祝日と記念日に重ねられております。「重ねられて」というのがミソでございます。

 では、その「重ねられて」を実感してみましょう。

 ○  4月29日  東京裁判「起訴状」 公布 -- 昭和天皇誕生日
 ○  5月 3日  東京裁判 開廷 -- (現行)憲法記念日
 ○ 11月 3日  日本国憲法 公布 -- 明治天皇誕生日
 ○ 12月23日  東京裁判 死刑執行 -- 今上天皇誕生日



 探せばもっとあるだろう。

 ウィキペディアの「12月23日」の項目には、現在

1948年 - 極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名の絞首刑を執行。皇太子(今上天皇)の誕生日に処刑執行日を合わせた。


との記述がある(太字は引用者による)が、この太字部の記述は、2006年12月1日 (金) 16:38時点における版で初めて登場している(表現は現在のものと若干異なる)。それまでは執行日を誕生日に合わせたとの記述はなかった。

 『パール博士の日本無罪論』などで知られる田中正明(1911-2006)(処刑されたA級戦犯の1人である松井石根の秘書を務めた)は、松井ゆかりの興亜観音を支えるとして「興亜観音を守る会」を設立し会長に就任したが、2002年に出した会報15号(ウィキペディアの「興亜観音」の項目によると、会は不祥事により2011年に解散とあるが、会のホームページは現在も存続している)で次のように述べている

この裁判における戦争犯罪者を28名に絞り、これを昭和天皇の御誕生日である4月29日に起訴しました。(開廷は5月3日)

〔中略〕

絞首刑の7人は、昭和23(1948)年12月23日に巣鴨刑務所で処刑されました。
 ご存知の通り、当日の12月23日は平成天皇の御誕生日=天長節であります。
 日本国民にとっては大切な祝祭日であります。
 A級戦犯28名を起訴し、投獄したのは、昭和天皇の御誕生日の4月29日でございます。
 このようにアメリカは、日本の侵略戦争や日本軍の犯罪のウラには皇室がある、「皇室も戦犯である」旨を日本国民に知らせるためでした。


 おそらく、この種の人々の間でそれ以前から語られていた話ではないだろうか。
 今さら「戦慄」するようなことでもあるまい。


 私はかねてから、この皇太子の誕生日にA級戦犯の死刑を執行したという話が気になっていた。
 というか、単なるヨタ話ではないかと疑っていた。
 梯は、12月23日が天皇誕生日であることは知っていたし、A級戦犯処刑の日であることも知っていたが、

それが同じ日であることを意識したことはなかった。偶然などではありえないことは、ほかの二つの日付の符合を見れば明らかだ。


と言うが、そうだろうか。
 なるほど偶然にしては出来すぎているような気もする。だが、それだけの理由で、それらの日付を偶然などではない、米国の意図によるものだと断定することは私にはできない。
 偶然でないと言うためには、例えば当時のGHQやわが国の文書にそうした記述があるとか、あるいは当時の関係者がそのような証言をしているといった、それなりの証拠がなければならないはずだ。

 「子爵夫人」の日記とは、そうした証拠になりうるものなのだろうか。
 私は本書を手に取って即購入し、強い期待を抱いて読み始めた。










(以下、本書の内容に深く触れていますので、未読の方はご注意ください。
本書の内容をお知りになりたくない方は、読むのをおやめください)



























 そして、ひどく失望した。
 「謎」は全く解明されていない。

 子爵夫人であった祖母の日記が、昭和23年12月7日の「ジミーの誕生日の件、心配です」との記述で終わっていた。ジミーとは誰で、祖母は何を心配していたのかという相談が著者に持ち込まれる。
 相談者の父、つまり日記を残した祖母の息子は、現在の天皇と学習院でご学友だったという。そのことから著者は、「ジミー」とは現在の天皇、当時の皇太子を指すのではないかと推測する。学習院で皇太子に英語を教えたバイニング夫人が、クラスでの彼のニックネームを「ジミー」と付けたことを知っていたから。

 そして、子爵夫人(読み進むにつれ、これはGHQのケーディスと浮き名を流したことで知られる鳥尾夫人のことだと分かる。本文中では実名は挙げられていないが)の日記を軸に、昭和初期から占領期にかけてのさまざまなエピソードが語られる。その多くは、この時代に関心を持つものならよく知っている、あるいはどこかで聞いたことがあるようなもので、さしたる新味はない。

 私が期待した「ジミー」の件も、著者の推測を裏付ける何の証拠も挙げられないまま、それが事実であるように扱われている。
 本当に「ジミー」が当時の皇太子を指すのなら、「子爵夫人」のそうした発言を記憶している者がいるとか、あるいはケーディスなりマッカーサーなりGHQの要人が皇太子を指すものとして「ジミー」の語を用いていたといった記録がなければならない。しかしそのようなものは何一つ示されない。
 それでは「ジミー」とは全く別の人物かもしれないではないか。
 単に著者が想像を膨らませただけではないのか。

 率直に言って、詐欺だと感じた。

 ネットで検索してみると、単行本の『ジミーの誕生日』について、

この題名「ジミーの誕生日」「死の暗号」は,この本を売らんがために冠して付けた程度にしか思えない,という読後感を抱いた。

〔中略〕

 全体的な感想をいえば,結局はがっかりした。一言で印象をまとめれば〈羊頭狗肉〉的な題名を,わざわざ付けた本である。その〈ガッカリ〉感をバネにして,この書評を書いている。


との評価を見たが、全く同感だ。

 そして思った。
 そもそも本書の軸となっている「子爵夫人」の日記についての記述はどこまで事実なのだろうか。
 例えば、東京大空襲について、日記のこんな記述と著者の感想があるが、

「夜空にサーチライトが何本も交叉して巨大な爆撃機のB29を獲物を探すように照らしている。B29は低空飛行でつぎつぎと現れ、ぎっしりと並んでいる。高射砲の砲弾がつぎつぎと炸裂する。その隙間をズーンとお腹にしみるような音を立てて、飛んでいる。その幾つかはサーチライトにつかまり、高射砲に狙われて墜落した。弾のあたった機はバラバラになって落ちていく。光の交叉、高射砲弾が炸裂する瞬間の音と光、激しく立ちのぼる煙。壮絶な美しさ。下町の空が炎々と燃えつづけ、昂奮して一晩中起きていた。夜空を焦がす火は世田谷の我が家の庭で新聞が読めるほどの明るさ」
 恐怖で凍りつくぐらいの体験をしながら出来事をひとつひとつていねいに描写し、「壮絶な美しさ」と書いてしまう。なかなか表現力がある。自分の置かれた状況を、自分を含め客観的にとらえることができる。かなり頭のよい人だ。


果たしてこれが戦時中に30代の女性が日記に書く文章だろうか。

 いや、日記それ自体や、それを持ち込んだという相談者も、本当に実在したのだろうか。
 天皇誕生日がA級戦犯処刑の日でもあった、その一点に着目した著者による、こういうことがあったら面白いなという創作ではないのだろうか。
 だから夫人の実名を明かしていないのではないか。

 本書は小説ともノンフィクションとも銘打たれていないが、出版社はノンフィクションであるかのように扱っていると感じる。
 私は猪瀬の良き読者ではないが、『ミカドの肖像』や『土地の神話』は大昔に読んだ。『日本国の研究』には大いに感心した。この人はノンフィクションの書き手だとばかり思っていた。しかし本書を読むと、どうも違うらしい。

 そんなことを思いながら本書をパラパラと見返していたら、巻末の参考文献リストの末尾に小さく次のようにある。

*子爵夫人に関わる記述に一部フィクションを加えてありますが、この物語はすべて事実に基づいています。


 なんだ、やはり。

 一部のフィクションとはどの部分だろうか。ところどころ、「子爵夫人」の一人称で語られているが、そうした箇所だろうか。それとも日記それ自体や、相談者の存在だろうか。
 「事実に基づいています」というのも巧妙な表現で、事実に基づいた創作であるともとれる。
 こうした注意書きは本文の末尾か、独立したページに置くものではないだろうか。一般読者があまり気にかけない参考文献リストの末尾に、リストと同じ小さな文字で記すというのは、そう断らないわけにはいかないがなるべくなら見られたくないという心理の表れではないか。

 要するに本書は、一部フィクションを交えながら、猪瀬流に昭和史を要領良くまとめたものなのだろう。文庫版のあとがきによると、東京都副知事を務めながら「いま書き残さなければならないと強く感じて休日返上で一気呵成に記した」そうだ。昭和戦前期から占領期にかけての知識がそれほどない読者にとっては、手ごろな入門書となるかもしれない。
 だが肝心の「ジミーの誕生日」について何ら具体的に検証されていない点が、本書の価値を著しく減じている。入門書としても、フィクションを交えたり「事実に基づい」たものよりは、まともな歴史家や著述家の手によるものの方がより好ましいだろう。
 歴史の資料だと思って買ってはいけない本であり、猪瀬の著作には注意しようと思った。


(2012.1.14 10:09 加筆修正)
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