Ange(アンジュ)~7号食友の会~

~自己創造による社会変革への貢献~

7号食で20日間(その後3)

2011-10-21 08:23:44 | 7号食実践記
さらに気づいた事がありますので追記します。

■やはり玄米甘酒は優秀

ラーメンを食べなくなってから、かれこれ1年ほどになります。

理由は動物性の食材が多分に含まれているから。

しかし、今回の7号食は今までと経過があまりにも違うので

敢えてラーメンを食べてみました。

経過の違いは、もちろんウンチに現れています。

なんといいますか、ビクともしないのです。

お腹が強化された感じです。

ほぼ理想のウンチが産出されるので、ちょっと食べたくない物で

衝撃を与えてみようという実験です。

ラーメンは肉抜きです。これだけは信条上譲れません。

ラーメン屋さんは中野で有名なお店です。

一度も入ったことがなかったので、どのような味かわかりません。

チャーシューとナルトをよけていただきました。

なるほど、おいしいです。

やや満腹の状態になりお店を出たのですが、時間が経っても

おなかが張ったような感じが消えません。

ああ、食べてはいけなかったのですね。腸が教えてくれています。

ここから分かる事は、自分が食べたい物と腸が欲する物が違っていた

ということです。

私は食べたいが、腸はこんなもの食べないでくれと言っています。

このお店のラーメンが悪いというのではなく、ラーメン全般が

私にとっては合わないということだと思います。

私にとっては、ラーメンは嗜好品、快感を味わう物のようです。

この実験結果が得られたのも、玄米甘酒を割りと多く摂取しているからだと

考えます。

今回の「7号食で20日間」で得られたものは存外大きかったようです。

■エゴギョウの「火性」と「土性」

7号食は身体の方向性を変える目的で実践される方も多いと思いますが、

心や精神の在り方にも変化を与えます。

エゴギョウの自己分析から「火性」と「土性」の変化が必要であると結論付けたので、

今回の「7号食で20日間」ではこれらの点についても重点を置いておりました。

結論からいいますと、「火性」は良い方へと向かっていると思います。

とにかく、やりたいことが溢れ出てきて時間が足りません。

本来の自己は結構いろんな事をやりたがっているようです。

これは外部からの刺激、特に「口」に入れる物を無くしたためと考えられます。

たばこは1年前から吸っていませんし、普段は5号食、6号食です。

7号食の期間中はアルコールも飲めません。

また、他の刺激としてギャンブルがありますが、今はやっていません。

ですから余計な刺激がないのです。

こんな状況ですと、心や精神も中庸になると考えられます。

囚われがなく、バランスがとれた状態といえます。

なので自己である火性が炙り出されます。

つまらない習慣にいかに囚われ、自己を喪失しているかが如実に感じられます。

さて問題は「土性」です。

「土性」は共感性です。

しかも食を通してのコミュニケーションです。

ここが異常に低い「自分」について考えましたが、手はずが浮かびませんでした。

救いは胃、脾が割り当てられているので、7号食を通してここが健全になれば

なにか感じられるのではないかということです。

まだ効果は感じられませんので、「土性」については課題として残りました。

ですが、「火性」の相生である「土性」でありますので、「火性」のいい影響がきっと

出てくるでしょう。

















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2 コメント

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読みたくなるブログですね (変才)
2011-10-27 01:33:22
こんばんは

夜更かし中の変才です。

独創的で実践的な内容でついつい読みたくなりますね。

さて

土性を高める方法ですが

誰かと一緒に料理をつくることです。

あるいはつくった料理を誰かに食べてもらう方法です。

適当な人がいなければ

料理を深く研究することです。

すると

誰かにやむにやまれず食べさせたくなり

その気分が
恋を生み出す原動力になりますよ^^
恐縮です。。。 (ange)
2011-10-28 17:58:53
冨田先生、お久しぶりです。

コメントをありがとうございます。

土性を高める事に最も苦慮しそうな気配でした

が、指針を授けていただいたのでいくつかの案が

できました。

1.マクロビ料理教室に参加する。

2.私がマクロビ料理を教えてもらう教室を開く。

3.私がマクロビ料理を教える教室を開く。

可能性が高い順番に並べました。

3は皆無に等しいですが。

まずはグループ交際から?

誰かと料理を作るということは、その後いっしょ

に頂くということなので、おいしい、おいしくな

いという根源的共感を得やすいですね。

また、料理を深く研究するということは、その時

点で料理に対する、食材に対する、食べてもらう

人に対する愛情が芽生えているということだと思

います。

適当な相手がいない場合でも、今目の前にある食

材に愛情をかけるという事は、人に対して愛情を

傾けることと同一であるということと解釈しま

す。

さらに、ひとつの自己表現としても成り立ちそう

です。同じレシピでも、作る人によって味わいは

当然変わるだろうからです。

そうすると、その味わい自体が相手へのメッセー

ジになり、相手がどの様に感じるかということ

で、恋の原動力になると共に、伝達手段にもなり

そうです。









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