タ、タリアさん・・・。
すみません、ユニウス・セブンの異変よりこっちの方が衝撃的だったので、最初に書いておきます。
さて今回も見応えがありましたがユニウス・セブンの異変をベースにこの世界観に関する感想・考察から、アスランとシンの対比という形で今回は書いて行きたいと思います。
■C.E.73の人々の考え
このDESTINYは先の大戦から2年後の世界ですが、今回を見るに少しだけ世界で人々が今の状況をどのように考えているかが分かってきました。
○プラント・強硬派
大戦の恨みを忘れられない、理解することを拒否するタイプで今回のユニウス・セブンの異変の実行犯がその代表格(裏に誰がいるかは後に考察します)。
○プラント・一般派
激しく拒否することは無いまでもナチュラルとは何となく相容れず、ヨウランの言葉に代表されるように今回の一件を「変なゴタゴタが無くて楽かも」と考えているタイプ。
シンはこの言葉に激昂するカガリに「本気で言っているわけ無いだろ」と蔑視の言葉を投げますが、実はこれはシンは単にアスハ家に食って掛かっただけで、この言葉が指す本当の意味は「本気で言っているのではなく、意識せずに言っている」という意味で、それは一般的なプラントの人間が大抵そう思っている、一般的な代表意見であると言えます。
#こっちの方がよっぽど危険。
これは先の大戦を経験していない一般人には大概当てはまるはずで、カガリのように大戦を生き残り、その本質を見たものとは「ズレ」が生じてしまうわけですね。
○ナチュラル・一般派
ここについてはまだ描写が無いのでなんとも言えませんが、基本的にはプラント・一般派と同じ感情であると思われます。
○ナチュラル・強硬派
もちろんコレはブルコス。プラント・強硬派と政治面では対極に位置し、思想面では並立の関係にあると言えます。
つまりブルコスとプラント・強硬派は相互理解を拒否するという点において全く同じ存在ということ、これが今回重要だと思っています。
■戦争の「きっかけ」探しと論点の「すり替え」
先の大戦後、南アメリカ合衆国が地球連合から独立を図ったことからも、今のブルコスは一時的に勢力が弱まったか、一枚岩では無くなっているのかもしれません。
「戦争は良いが、こういうのは困る」とか「蒼き清浄なる世界のために」と皮肉を交えて発言した面々はコーディネーター憎しという思いは持ちつつも、ブルコスのようにコーディネーター殲滅とまでは考えていないとも取れます。
ジブリールのビリヤードの球を投げつけた表現は、そういった苛立ちの現れなのかもしれません。
だから戦争がしたい。殲滅のきっかけを求めて。
「憎しみと言う名の愛」をベースにして再び世界にコーディネーター憎しの意識を植え付けて統制するために。
その戦争を起こす「きっかけ」がユニウス・セブン落としにつながっているのではないか、と思っています。
ここからは個人的妄想ですが、ユニウス・セブン落としはブルコスが裏で手を引いた(実行犯はそうとは知らない)とも考えることができます。
さらに妄想を続けるならば、プラント側にも戦争の「きっかけ」を探している集団がいる可能性もあり、そういう輩が0083のデラーズ・フリートのような面々を後押ししたと考えることもできます。
また、その両方の思惑が複雑に絡み合った結果なのかもしれません。
つまりこのユニウス・セブン落としは「双方の主義者」にとって都合の良いものであると考えることもできます(以上、妄想終了)。
まあ、ブルコスにとってはリスクが大きすぎるからやることは無いかもしれないし、憎悪の連鎖を断ち切れなかったデラーズ・フリート的な面々が独断で行動したかもしれないですが、一妄想として許してね。
ここにこそ今回のDESTINYという作品が持つテーマとして「人はそれでも何故戦争をするのか?」という問い掛けがあるのかもしれません。
恐らくユニウス・セブンは落ちると思います。
そしてそれが戦争の合図になる、悲しいけれど。
では、ここからアスランとシンの対比について書いていきます。
■アスランの背中とシンの憎悪■
■戦争の本質とそこからの逃避
ここまでの序盤戦、アスランとシンの対比が非常に上手く描写されています。
先の大戦においてアスハ家の決断が本当に正しかったのか?それはまだ分かりません。
ただ事実としてシンの家族はアスハ家の決断の結果、巻き込まれて死ぬことになってしまいました。
だからシンがアスハ家を憎むというのは、レイも言うように一理あります。
しかし、あそこでアスハ家の決断が無ければ本当に家族は死ななくて済んだのか?
否、「戦争」という構図がある限り、親しい者が亡くなる可能性は在り得るわけで、シンの家族が亡くなる「本当の原因」を作ったモノが本当はあるはずなんです。
コーディネーターとナチュラルの間で互いに歩み寄ろうとすることができなかった、認めることができなかった点に戦争の本質があったことにシンはまだ気づいていない。
むしろ、アスハ家を恨むことでそれに気づくことを避けている、理不尽な暴力を憎むことで「現実・本質」から逃避し、目を逸らしている状態にあります。
■アスランの背中
そんなシンに対して、今回のアスラン、カッコ良過ぎです。
カガリに対して憎悪をぶつけるシンに対して「今の彼には分からない、きっと自分の気持ちで一杯で」と、自らを省みて語るアスランの背中はカッコ良過ぎです。
戦争で愛する母を奪われ、憎しみに任せて親友を殺しに行った過去を持つアスランだからこそ、アスランにしか言えないこの台詞、アスランは今のシンに過去の自分を重ね合わせているのかもしれません。
そして戦争の本質を知っている、相互理解の重要性を知っているアスランの背中にこそ、シンやルナマリアが見るべきものがある、それこそが「オヤジの背中」理論に他なりません。
■アスランの「きっかけ」
ユニウス・セブンが地球に落ちたなら、地球側はプラントの仕業だと思うでしょうし、そこから始まる戦争を止めることはできないでしょう。
再び繰り返される憎悪の連鎖に対して、アスランの決断はここで迫られるわけですね。
オーブに留まっていても今の自分にできることはあるのか?憎悪の連鎖を止めるには、その渦中に身を投じなければならない、より悲惨な結果を招かないために、それを「救うもの」=「セイバー」として。
こんな感じで「道」を選んでくれると激燃えなんですが。
アスランめちゃカッコ良いよ。ほんとに。
#欲を言えば、今回の出撃は「アスラン・ザラ」ではなく「アレックス・ディノ」で出撃して欲しかった。
■その決断に対するカガリ
カガリが為政者として立ち上がるプロセス、これはアスランのプロセスに負けず劣らず熱いプロセスになると思っていますが、アスランの立ち上がるタイミングとはズレても良いような気がしています。
むしろもっとタメにタメて物語後半あたりで開花させるくらいでもいいんではないかと思うほどに。
そのタメを作る意味では、今回のアスランの立ち上がるタイミングでカガリがボロボロの状態というのも悪くない、つか、むしろ後半の展開を考えるとその方が熱い、なんてカガリファンには申し訳ないけど、そんな風に期待しているんです。
だからこそ、次に再びアスランとカガリが共に並び立つシーンを想像するだけで非常に熱いわけです。
■キラとラクス
早くも次週登場ですか。
もっと後でも良いような気がするのですが、これはもう楽しみで仕方ありません。
しかも二人同時登場ですよ。
待ちきれるわけがない。
ということで、次回も本当に楽しみ。
DESTINY、ほんと面白いです。
#サイコフレームが欲しいなぁ・・・。
すみません、ユニウス・セブンの異変よりこっちの方が衝撃的だったので、最初に書いておきます。
さて今回も見応えがありましたがユニウス・セブンの異変をベースにこの世界観に関する感想・考察から、アスランとシンの対比という形で今回は書いて行きたいと思います。
■C.E.73の人々の考え
このDESTINYは先の大戦から2年後の世界ですが、今回を見るに少しだけ世界で人々が今の状況をどのように考えているかが分かってきました。
○プラント・強硬派
大戦の恨みを忘れられない、理解することを拒否するタイプで今回のユニウス・セブンの異変の実行犯がその代表格(裏に誰がいるかは後に考察します)。
○プラント・一般派
激しく拒否することは無いまでもナチュラルとは何となく相容れず、ヨウランの言葉に代表されるように今回の一件を「変なゴタゴタが無くて楽かも」と考えているタイプ。
シンはこの言葉に激昂するカガリに「本気で言っているわけ無いだろ」と蔑視の言葉を投げますが、実はこれはシンは単にアスハ家に食って掛かっただけで、この言葉が指す本当の意味は「本気で言っているのではなく、意識せずに言っている」という意味で、それは一般的なプラントの人間が大抵そう思っている、一般的な代表意見であると言えます。
#こっちの方がよっぽど危険。
これは先の大戦を経験していない一般人には大概当てはまるはずで、カガリのように大戦を生き残り、その本質を見たものとは「ズレ」が生じてしまうわけですね。
○ナチュラル・一般派
ここについてはまだ描写が無いのでなんとも言えませんが、基本的にはプラント・一般派と同じ感情であると思われます。
○ナチュラル・強硬派
もちろんコレはブルコス。プラント・強硬派と政治面では対極に位置し、思想面では並立の関係にあると言えます。
つまりブルコスとプラント・強硬派は相互理解を拒否するという点において全く同じ存在ということ、これが今回重要だと思っています。
■戦争の「きっかけ」探しと論点の「すり替え」
先の大戦後、南アメリカ合衆国が地球連合から独立を図ったことからも、今のブルコスは一時的に勢力が弱まったか、一枚岩では無くなっているのかもしれません。
「戦争は良いが、こういうのは困る」とか「蒼き清浄なる世界のために」と皮肉を交えて発言した面々はコーディネーター憎しという思いは持ちつつも、ブルコスのようにコーディネーター殲滅とまでは考えていないとも取れます。
ジブリールのビリヤードの球を投げつけた表現は、そういった苛立ちの現れなのかもしれません。
だから戦争がしたい。殲滅のきっかけを求めて。
「憎しみと言う名の愛」をベースにして再び世界にコーディネーター憎しの意識を植え付けて統制するために。
その戦争を起こす「きっかけ」がユニウス・セブン落としにつながっているのではないか、と思っています。
ここからは個人的妄想ですが、ユニウス・セブン落としはブルコスが裏で手を引いた(実行犯はそうとは知らない)とも考えることができます。
さらに妄想を続けるならば、プラント側にも戦争の「きっかけ」を探している集団がいる可能性もあり、そういう輩が0083のデラーズ・フリートのような面々を後押ししたと考えることもできます。
また、その両方の思惑が複雑に絡み合った結果なのかもしれません。
つまりこのユニウス・セブン落としは「双方の主義者」にとって都合の良いものであると考えることもできます(以上、妄想終了)。
まあ、ブルコスにとってはリスクが大きすぎるからやることは無いかもしれないし、憎悪の連鎖を断ち切れなかったデラーズ・フリート的な面々が独断で行動したかもしれないですが、一妄想として許してね。
ここにこそ今回のDESTINYという作品が持つテーマとして「人はそれでも何故戦争をするのか?」という問い掛けがあるのかもしれません。
恐らくユニウス・セブンは落ちると思います。
そしてそれが戦争の合図になる、悲しいけれど。
では、ここからアスランとシンの対比について書いていきます。
■アスランの背中とシンの憎悪■
■戦争の本質とそこからの逃避
ここまでの序盤戦、アスランとシンの対比が非常に上手く描写されています。
先の大戦においてアスハ家の決断が本当に正しかったのか?それはまだ分かりません。
ただ事実としてシンの家族はアスハ家の決断の結果、巻き込まれて死ぬことになってしまいました。
だからシンがアスハ家を憎むというのは、レイも言うように一理あります。
しかし、あそこでアスハ家の決断が無ければ本当に家族は死ななくて済んだのか?
否、「戦争」という構図がある限り、親しい者が亡くなる可能性は在り得るわけで、シンの家族が亡くなる「本当の原因」を作ったモノが本当はあるはずなんです。
コーディネーターとナチュラルの間で互いに歩み寄ろうとすることができなかった、認めることができなかった点に戦争の本質があったことにシンはまだ気づいていない。
むしろ、アスハ家を恨むことでそれに気づくことを避けている、理不尽な暴力を憎むことで「現実・本質」から逃避し、目を逸らしている状態にあります。
■アスランの背中
そんなシンに対して、今回のアスラン、カッコ良過ぎです。
カガリに対して憎悪をぶつけるシンに対して「今の彼には分からない、きっと自分の気持ちで一杯で」と、自らを省みて語るアスランの背中はカッコ良過ぎです。
戦争で愛する母を奪われ、憎しみに任せて親友を殺しに行った過去を持つアスランだからこそ、アスランにしか言えないこの台詞、アスランは今のシンに過去の自分を重ね合わせているのかもしれません。
そして戦争の本質を知っている、相互理解の重要性を知っているアスランの背中にこそ、シンやルナマリアが見るべきものがある、それこそが「オヤジの背中」理論に他なりません。
■アスランの「きっかけ」
ユニウス・セブンが地球に落ちたなら、地球側はプラントの仕業だと思うでしょうし、そこから始まる戦争を止めることはできないでしょう。
再び繰り返される憎悪の連鎖に対して、アスランの決断はここで迫られるわけですね。
オーブに留まっていても今の自分にできることはあるのか?憎悪の連鎖を止めるには、その渦中に身を投じなければならない、より悲惨な結果を招かないために、それを「救うもの」=「セイバー」として。
こんな感じで「道」を選んでくれると激燃えなんですが。
アスランめちゃカッコ良いよ。ほんとに。
#欲を言えば、今回の出撃は「アスラン・ザラ」ではなく「アレックス・ディノ」で出撃して欲しかった。
■その決断に対するカガリ
カガリが為政者として立ち上がるプロセス、これはアスランのプロセスに負けず劣らず熱いプロセスになると思っていますが、アスランの立ち上がるタイミングとはズレても良いような気がしています。
むしろもっとタメにタメて物語後半あたりで開花させるくらいでもいいんではないかと思うほどに。
そのタメを作る意味では、今回のアスランの立ち上がるタイミングでカガリがボロボロの状態というのも悪くない、つか、むしろ後半の展開を考えるとその方が熱い、なんてカガリファンには申し訳ないけど、そんな風に期待しているんです。
だからこそ、次に再びアスランとカガリが共に並び立つシーンを想像するだけで非常に熱いわけです。
■キラとラクス
早くも次週登場ですか。
もっと後でも良いような気がするのですが、これはもう楽しみで仕方ありません。
しかも二人同時登場ですよ。
待ちきれるわけがない。
ということで、次回も本当に楽しみ。
DESTINY、ほんと面白いです。
#サイコフレームが欲しいなぁ・・・。
でも私はあのバカっぷりが大好きです☆
きっと、フリーダムに乗れば少しはまともに戻るのかも…
ゆえに燕さんのような方の力を借りて、ほぉ~と納得するわけです。
あやがたや、ありがたや。
今回のアスランは尚もカッコよかったですよね~。
背中で語る男になったんだなぁと。
キラはどんな男に成長してるのか。来週に期待です。
>「本気で言っているのではなく、意識せずに言っている」という意味
燕さんに言われてはじめて気付きました。
意識せずに言ってるからこそ指摘されると「そんなつもりは無かったのに…」という反応で終わってしまって根本的な解決には繋がらなさそうな。
>0083のデラーズ・フリート
あの薄紫のジンの人ですか?いろいろな作品から人が出てきてるんですね。
アナザーストーリーがそれだけあってきちんとした世界が描かれているということでしょうか。
ガンダムは深いなぁ。
今週の分も楽しく読ませていただきました。
ぼくは、キラとラクスは離れて暮らしていると思っていたのであのツーショットは意外でした。
下手するとシンやカガリ、アスラン以上に精神的にやばいと思われるキラですが、彼が戦後どう生きてきて、このあとどう行動するのか非常に楽しみです。
第1クールのアスランもよかったけどやっぱりぼくはキラが好きです。
それでは。
この二つの描かれ方がホントに見物ですよね。
どんな風になるのかそればかりが今は気になります。
というか前作キャラに魅力があり過ぎなんですが。
来週はキラもラクスも出てくるようなので
ますます前作キャラに注目していきそうで怖いです。
それでは。
kamakuraさんがガンダムでコメントくれたことに新鮮な驚きが(嬉)。
実は僕はキラとラクスが大好きで、次週の登場が待ちきれなかったりしています(挙動不審なほどに)。
ただ、本格参入はもっと後でも良いかなと思っているので、顔見せ、伏線張りくらいだと嬉しいです。
このタイミングであの二人を投入してくる意図をちょっと見守りたいなと思っています。
>浮島さんへ
アスランとシンの対比はめっちゃ面白いなぁと思って感慨深いんですが、それ以外の妄想部分については信じないでくださいね(笑)。
あれは僕が個人的にこうだったら面白いなと楽しんでいるだけなんで。
キラの登場はいろんな意味で期待してしまいます。
これからどんな背中を見せてくれるのか。
>梓さんへ
なんかこのH・N新鮮です。
無意識で発言している分、根は深いな、というかそれが「現実」なんでしょうね。
前作ではこういう役をカズイにやらせたかったのかな、とちょっと思ったりもしました。
制作スタッフはきっと「個人」の葛藤と、それでもどうにもならない「世界」の「現実」の両方を描こうとしている感じが前作からも伝わってきているんで、意外と脇役の一言が感慨深かったりします。
0083は初代ガンダムとZガンダムのちょうど間のストーリーで、ジオンの残党が地球へ再びコロニーを落とす、というストーリーなんですが、デラーズ・フリートとはそのジオンの残党にあたります。
その結果Zガンダムではそれに脅威を抱いた地球連邦がティターンズという組織を発足させ、暴走していくんです。
SEEDの世界観ではより憎悪の面を強調させるためにこの手法をとるのかもしれませんね。
>あぷろんさんへ
わりとキラが精神的にやばめという話が出るのですが、この辺はちょっと見てみないとなんとも言えませんね。
#でもそういう話が出るということはそういうことなんですかね。ZZのカミーユってことですか。
第4話のコメントでもあったんですが、僕は今作でのキラは苦難を乗り切ったものとして肯定的に表現されることを望んでたりします。
今回はマルキオ導師のもとで顔見せ程度で、中盤・後半からストーリーに本格的に入ってくると面白いかなと。
>くじらさんへ
>アスランの決断とカガリの成長
アスランの決断は序盤の最大の見所、カガリの成長は一年を通じての見所、こんな感じで僕も楽しみでしかたありません。
またこの二人が再びクロスするポイントなんて今から想像しても熱すぎます。
序盤は前作キャラの背中を見せて、その背中を見た新キャラたちが今後「何を」「どう考え」「どう実行していくか」が一年を通じての見所になりますね。
SEEDもそうだったのですが、主人公たちの「変化」と「成長」を見るのが一番楽しいです。
そこに「それでも世界は簡単に変わらない」という「現実」を当てはめていくとまたカタルシスに楽しめます。
#でもこれは製作者側の意図として確実にあると思うんですよね。今回はどこまで踏み込むか、それも楽しみです。