森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


松山宿総鎮守 松山神社

2013年08月04日 | 空色の休日 2013 

桜の季節に開催される「東松山夢灯路」でお馴染みの東松山市「上沼公園」の西、旧松山宿の総鎮守「松山神社」に参拝。


康平6年(1063年)「氷川神社」として創建、明治16年(1883年)に社号を「松山神社」と改めたとあります。


では参拝。 御祭神は「須佐之男命」と「伊邪那美命」


 中世、この松山の地は、亀井荘松山領の本郷として、また、松山城の城下として栄え、近世に至っては中山道の脇往還の宿場としてますますその規模を拡大していった。そうして成立したのが旧松山町(明治二十二年の町村制の施行によって誕生した松山町の大字松山町となる)であり、この地域の商業と交通の中心地として繁栄した。中世から近世初頭にかけての当社の動向については、相次ぐ戦乱により記録が失われてしまったため明らかではないが、寛永元年(1624)に熊野神社(祭神伊邪那美命)を合殿に祀り、以来、松山宿の総鎮守として一層の崇敬を集めるようになったという。
(中略)
 神仏分離を経て明治六年に村社となった当社は、同十六年四月に至り、社号氷川神社熊野神社(合殿)を松山神社と改めた。これは、松山宿の総鎮守として祀られてきた当社を松山町の象徴として盛り立てていこうという氏子の気持ちを反映したものであり、時の新道総裁有栖川宮幟仁親王殿下から額字も拝戴している。更に明治四十一年には神饌幣帛料供進神社の指定を受け、昭和二十年には郷社に昇格した。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


境内末社「大鳥神社」と「浅間神社」の合殿。大鳥神社は12月14・15日の例大祭「お酉さま」、浅間神社は7月14・15日の例大祭「初山」で賑わいます。
大鳥神社 御祭神 建比奈鳥命
 享和元年九月社殿を再建し、家内安全商売繁昌の御神徳特に高いと称せられ、近郷は素より特に花柳界方面の信仰厚く毎年十二月十五日の祭典酉の市には神社授与の福引と共に、福達摩大熊手福桝等の露店商境内参道を埋め、人出約参万殊に早暁一時二時の参拝者の多いことで有名である。

浅間神社 御祭神 木花咲耶比女命
 毎年七月十四日初山と称して例大祭が行われ、その年生れの幼児は新調の衣裳をこらして早朝より参拝し、無事の成長を祈り神社では御守袋初山うちわを授与するを例とする。


「空蝉の 身を変へてける 木の元に なほ人柄の 懐かしきかな」 源氏物語:空蝉
:ここです→ Google マップ


ちょっと「上沼公園」で一休み。


上沼を隔てた飛び地境内社「八雲神社」の例大祭は、東松山の夏祭り「天王さま」として有名ですね。


その社殿は市の文化財にも指定されています。


八 雲 神 社  市指定文化財
 社殿は、間口二・六m、奥行三・六m単層切妻で正面軒は唐破風となり、その下に千鳥破風がおいてあります。社殿は切妻の面もすべて彫刻で飾られています。正面は花鳥及竜と唐獅子・左側は神功皇后新羅征伐凱旋の場、右側は須佐之男命大蛇退治の場、背面は天照大神の天岩戸の場が刻まれています。
 他の神社の彫刻と異なり、伝統的なものに取材し、豊かな民族的色彩を有する特色をもっています。
 昭和三十三年一月 境内より左記の銘文が発見されました。
  惟時安政六年四月奉再勧進請者也
  法主祈願現住権律師亮覚敬白
  祇園牛頭天王
 この彫刻は安政六年四月の再勧進請のときに製作されたもので、彫工飯田仙之助が三人の弟子に技を競わせたものといわれています
 昭和五十八年三月 東松山市教育委員会
>森の中の恍惚:東松山夏祭り
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東松山市 日吉神社

2013年08月04日 | 空色の休日 2013 

松山宿総鎮守「松山神社」のほど近く、上沼公園の北に鎮守する「日吉神社」。ちょっと見逃しちゃいそうな雰囲気ですね。


 日吉町は、江戸時代の中ごろに、染色に関係した職人が住み着くようになったことから発展した。当社は、神仏分離まで境内の西隣にあった天台宗の真福寺も守り神として勧請され、それが日吉町に住み着くようになった人々によって町内の守護神として護持されるようになったものであろうといわれている。ただし、この真福寺の開山については伝えられていない。また、内陣には、金幣のほかに、「文化十五年戊寅年(1818)二月吉祥日 山王大権現 松山住人山王産野村主計久信」と記された木札が納められている。あるいは、近江の日吉神社に参詣し、その記念のためにでも上げられた納め札であろうか。
 この木札にもあるように、当社は元来は「山王大権現」と称していたが、明治に入ると神仏分離によって真福寺の管理を離れると同時に、社号を現状の日枝神社に改めた。しかし、改称の後も住民の間では「山王様」の通称で呼ばれることの方が多く、現在でもなお、「日吉町の山王様」として市民に知られている。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


社額は「日枝大神」となっています。


日 吉 神 社  -御由緒-
祭神 大国主命
   大山咋命
創建 江戸時代文化十五年二月(一八一八年)近江国日吉山に鎮座する地主神・安産子育て・家内安全・学業成就の守護神日吉山王大権現を当地に勧請、社殿を建立する。
 ※ 日吉町の地名はここより始まる。
 明治四三年九月 社殿・再建
 平成二年十二月 社殿・類焼
 平成三年 九月 再建・遷座
祭典日 毎年
 元旦祭
 春季例大祭 四月初旬
 秋季例大祭 九月 第一土曜日
※神社の呼称を日枝から日吉に改める。
 平成一九年九月吉日
:ここです→ ブログ人マップ



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