週刊!木村剛さんのブログで「地上波デジタル化に意味はあるのか?」と題して、現在のテレビは低俗だ、と切って捨てられていた。僕はもうテレビにはほとんど関わってないけど、制作側の端っこにいる人間としてはちょっと悲しい。
ご存知のとおり民放は視聴率がそのコンテンツの価値基準だ。テレビ番組の制作会議に出ると分かるが、「そのネタは一般受けするのか?」「視聴率が取れるのか?」が最も重要な論点になる。視聴率が取れないディレクターや作家さんはいとも簡単に降ろされてしまうし、自分が紹介したいネタよりも視聴率が取れるネタが優先される。下請けプロダクションだけでなくキー局のプロデューサーだってシビアで、視聴率が低い番組を何本か作ってしまったら左遷されてしまう。そんな局Pを僕は直接何人か知っている。
残念ではあるが今テレビで放送されている内容は日本の一般大衆が求めているものを、テレビ番組制作のプロが考えに考え抜いて作っているものだ。テレビが「低俗だ」と言うのは、それはつまり日本人の最大公約数が「低俗だ」と言っているのと同じことだと思う。
例えば、僕はその昔深夜の音楽番組制作に関わっていた。当時は競合番組がいっぱいあったが、今やキー局では音楽番組はほとんどない。HeyHeyやうたばんは音楽番組とは言わない。あの手の番組はトーク部分(バラエティ部分)の視聴率はいいが、音楽が始まるとガクンと視聴率が落ちるのだ。レコード会社の皆さんは「もう音楽を紹介できる番組がなくなっちゃった」と嘆いていらっしゃいますよ。音楽番組は今の日本人には求められておらず、完全に淘汰されてしまった。音楽番組やりたくて企画書を持っていっても間違いなく却下されるだろう。
今の日本人が好きなコンテンツは食べ物と健康と頭の体操。ラーメン番組見た後に健康番組見て(超矛盾!)、脳トレするんです。出演者は視聴率がいい人が選ばれるから、どの番組も似たりよったりの顔ぶれだ。前回のエントリーでTBSドラマの宣伝がすごいなあと書いたら、ものの見事に高視聴率だった。びっくりするくらいTBSの思う壺だなあ、と思った。
「テレビは低俗だ」と切って捨てるのは簡単だけど、じゃあ低俗でない番組を見てよ!と言いたい。作る側にだって低俗でない番組をやりたい人はいっぱいいる。でも視聴率が取れないからできない。もっとも、視聴率を取れる上品な番組を作れないのはテレビ制作者の怠慢、と反論されちゃうでしょうけど。
ちなみに僕が最近好きなのはNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」です。明日は漫画家の浦沢直樹さんが出ます。
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一般販売業の世界では
「質が良ければそれで売れるという時代は終わった。
質が良いのなら、どう良いのかを人々に知らせないと売れなくなった」
と言われて久しいのですが、個々のテレビ番組の視聴率ならぬ宣伝率はどれくらいなんでしょうか?
最近はバラエティ番組やニュース・ショー、CM枠の中で繰り返し番宣が行われてますけど、視聴者の最大公約数がそれを望んでいるのですか?
あと気になったのは、製作(制作じゃないですよね?)と言われている人達の中で「企画を上げる人」と「企画の採用・不採用を決める人」がごっちゃになってませんか?
「企画を上げる人」が「採用・不採用を決める人」を兼ねていたら、決定段階で不採用にするはずはないでしょう。
コメントありがとうございます。
番組宣伝についてはエントリに書いた通りの感想です。番宣には2つあって、ずばり番組宣伝番組と、既存の番組の1コーナーで宣伝する、の2パターンです。
これ、制作側にとっては主演級の俳優をノーギャラで出演させることができるので意外においしいんですよ。視聴者がこういう番組を望んでいるか、というとこれがまた視聴率良かったりするんですよね。TBSドラマの主演俳優が「8時またぎ!」とかやったりするわけですから、普段朝のワイドショーを見ない視聴者層も見たりするわけです。
「企画を上げる人」「採用・不採用を決める人」はちょっと意味がよく理解できませんでした。「企画を上げる人」とは僕ら下請け会社のPやDで「採用不採用を決める人」は局のPという意味ですかね?実際採用不採用を決めるのは局Pです。
見た途端に不快になり、悲しくなります。
でもそのような低俗な番組は全体の内の3割程度に感じますが、
それでも害の無い番組を探すのは難しいと思います。
(探す為には低俗な番組を何度も見る羽目になります)
低俗な番組の放送が少ない放送局はNHKくらいですね。
低俗な番組を放送しない局がもっと増えたらいいなぁと思います。
良い問題提起なブログエントリーだと思いました。頑張って下さい!