徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

『関ケ原』司馬遼太郎

2018-10-21 16:16:20 | 読書
司馬遼太郎の『関ケ原』を読みました。部分的には何度も読んでいますが、全編を通して読み返したのは学生時代以来です。
学生時代はひたすら徳川家康の嫌なところだけが目に付きました。その反対に石田三成の清廉さ純粋さに心を打たれました。今回、読み返してみると印象がだいぶ変わったことに気が付きます。家康をさほど嫌な人間とは思わなくなったのですね。様々な本を読んでいく中で人間に対する見方が変わってきたのでしょう。今では戦国乱世を終わらせ、新たな国を作ってくためには家康の力が必要だったと考えるようになりました。だからといって、家康が好きになったわけではありませんが。
 
また、以前読んだ時は、大谷刑部と島左近の印象があまりにも鮮やかすぎたためか、他の武将の存在がくすんでしまい、記憶に残りませんでした。この点についても今回は違います。いずれの武将も生き生きと描かれており、実際、このような形で歴史は進行していったのだろうな、と思いました。もとより『関ケ原』は小説であって、事実ではないのですが、そのようなことを思わせないところが司馬遼太郎の筆力ということなのでしょうか。
 
家康は常に三成の上をいく策謀を巡らし、すべてを自分の思う通りの方向に向けていきます。戦いの勝利が事務的なものになるまで準備を進めるわけです。極論してしまえば、あとはもう寝ていても勝てるという状態にもっていくわけですね。しかし、それでも、最後には小早川秀秋という「あほう」でしかない男の決断にゆだねる以外に勝てる方策がないところまで追い込まれてしまいます。このあたりが歴史の面白いところで、家康も最後まで薄氷を踏む思いだったのでしょう。反対に三成についてはよくぞここまで戦ったというところでしょうか。
 
そのうえで、歴史というのはある局面で一つの結末へと否応なく収斂していくものではないのか、と思いました。関ケ原の戦いに至るまでは多くの戦国武将の思いが錯綜して、一見どうなるのかわからないイメージがあります。しかし、結末がわかっている立場から見ると、戦国武将たちのまとまりのない行動が、結果として家康の勝利へと収斂されていく原因となっていたような気がするからです。
 
単なる結果論といってしまえば、それだけのことですが、司馬遼太郎の『関ケ原』を読むと、そんな歴史のうねりを垣間見るような気持ちになるのです。

ピラミッド

2018-10-13 13:01:57 | 読書
へニング・マンケルの刑事クルト・ヴァランダー・シリーズ第10弾。ヴァランダーの若き日から初登場した『殺人者の顔』直前までのエピソードを集めた短編集です。全部で5編あります。いずれも面白くて、一気に読み終わりました。文庫本で600ページを超えますが、そんなものは気になりません。
 
「『スウェーデンの憂慮すべき事柄に関する小説』」(「著者まえがき」から引用)というのが、作者のこのシリーズに関するコンセプトです。1作目の『ナイフの一突き』では、まだこの問題は表面にでてきていませんが、2作目の『裂け目』では明確に移民の問題が作品のプロットに重要な役割を果たしています。
 
「ヘムべリが言った。「不安が国境を越えて我が国に押し寄せているんだ」
「いや、スウェーデン自身が不安を生み出してもいるんです」」ヴァランダーが言った。」
(『裂け目』から引用)
 
この会話が、その後のヴァランダー・シリーズの基底部をなしている、といえるでしょう。文化的背景をまったく異にした移民への対応とスウェーデン国内にある様々な問題とが交錯して安定した社会が揺らいでいき、やがて崩壊してしまうのではないか。そのような不安がこのシリーズを通じて語られているのですね。
 
犯罪の内容から時代を読み解くことができるのであれば、ヴァランダー・シリーズは時代の変遷とともにどんどん悪化していくスウェーデン社会の実像をリアルに描き出した作品なのだと思います。しかもそれはスウェーデンだけの問題ではなく、日本の問題でもある、ということでしょうか。