「セメント樽の中の手紙」は、葉山嘉樹が大正15年に雑誌文芸戦線に発表したプロレタリア文学の名作です。
セメント工場で働く主人公は、仕事中にセメント樽の中から小さな木の箱をみつけます。その中から出てきたのはボロ布に包まれた手紙でした。そこには、セメント工場で起きた事故によって恋人を亡くした一人の娘の思いが書かれてありました。彼女の恋人は破砕機にはまり、身体はくだかれセメントとなったのでした。手紙には恋人の魂が塗り込められたセメントがどのような場所で使われたかを心配する娘の思いがつづられていきます。「劇場」や「大邸宅」などのように、労働者を踏みつけにして利益を貪る一部の金持ちのための建物に使われることなど耐えられないと。彼女にとって、このセメントは、ただのものではなく、恋人そのものなのでしょう。読んでいて切なくなってしまいます。
そして、手紙の最後にはこうあります。
「あなたも御用心なさいませ。さようなら。」
ここを読んで、私は思わずぞっとしました。セメント工場の破砕機に象徴される危険がすぐとなりにあるかもしれないことに思い至ったからです。そもそもこの作品は、大正から昭和初期における労働者のおかれた悲惨な状況と絶望感を描いたものだと思います。けれども、私には、それだけではなく、誰しもが陥る可能性のある人生の暗黒部分について書かれたものだとも思えるのです。あたかも不条理な人生と社会に対する呪いの言葉のように・・・
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして、何もかも打ち壊して見てえなあ」
手紙を読み終えた主人公が言う言葉です。こんな社会どうにでもなってしまえ!といったやりばのない怒りといいますか、絶望感が伝わってきます。
現代社会にも似たような状況があると思います。結局、いくら社会制度を変えても、それを運用する人間の中身が変らなければなにも変らない。もっと人間の内面に目を向けた改革が必要ではないでしょうか?
セメント工場で働く主人公は、仕事中にセメント樽の中から小さな木の箱をみつけます。その中から出てきたのはボロ布に包まれた手紙でした。そこには、セメント工場で起きた事故によって恋人を亡くした一人の娘の思いが書かれてありました。彼女の恋人は破砕機にはまり、身体はくだかれセメントとなったのでした。手紙には恋人の魂が塗り込められたセメントがどのような場所で使われたかを心配する娘の思いがつづられていきます。「劇場」や「大邸宅」などのように、労働者を踏みつけにして利益を貪る一部の金持ちのための建物に使われることなど耐えられないと。彼女にとって、このセメントは、ただのものではなく、恋人そのものなのでしょう。読んでいて切なくなってしまいます。
そして、手紙の最後にはこうあります。
「あなたも御用心なさいませ。さようなら。」
ここを読んで、私は思わずぞっとしました。セメント工場の破砕機に象徴される危険がすぐとなりにあるかもしれないことに思い至ったからです。そもそもこの作品は、大正から昭和初期における労働者のおかれた悲惨な状況と絶望感を描いたものだと思います。けれども、私には、それだけではなく、誰しもが陥る可能性のある人生の暗黒部分について書かれたものだとも思えるのです。あたかも不条理な人生と社会に対する呪いの言葉のように・・・
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして、何もかも打ち壊して見てえなあ」
手紙を読み終えた主人公が言う言葉です。こんな社会どうにでもなってしまえ!といったやりばのない怒りといいますか、絶望感が伝わってきます。
現代社会にも似たような状況があると思います。結局、いくら社会制度を変えても、それを運用する人間の中身が変らなければなにも変らない。もっと人間の内面に目を向けた改革が必要ではないでしょうか?