「妖怪大戦争」を観てきました。とっても面白かったです。
昔の「妖怪大戦争」とちがって、今回は戦争は描かれて
いません。ダイモンVS日本妖怪といった図式では描か
れていないのです。
代わりに描かれるのが、お祭りです。盆踊りです。ええ
じゃないかと狂喜乱舞する妖怪たちです。
そこでは、敵役となる加藤保徳と彼に率いられるヨモツモノ
は完全に浮き上がってしまっています。「東京がどえりゃ~
ことになってるだぎゃ。」(言い方がちがっていましたら、お許
しください。)とか言いながら、全国から集まってくる妖怪たち
の圧倒的なエネルギーの前に、加藤保徳の怨念が吹き飛ば
されてしまったという感じです。
加藤保徳と、それに立ち向かう麒麟荘子といった戦いの
構図がどこかへいってしまって、あるのは、絢爛たる百鬼
夜行の世界のみ。どこに戦争があるのだろうといった感じ
です。
製作者の意図はどこにあるのだろうと、考えてみますと、
これはもう形を変えた反戦映画ではないのかと、突拍子
もないことを思いつきました。
妖怪たちは、加藤保徳とヨモツモノを倒すために集まって
くるのではありません。東京でなにか面白いことが起きてる
みたいだ。みんなで騒ごうぜ。こんなのりで集まってくるの
です。そこには、戦いの悲壮感などみじんもありません。
また、ヨモツモノが大爆発を起こして、吹き飛ぶときに、さあ!
盛り上がって参りました!とばかりに、いっしょになって飛ば
されていく妖怪たちの姿をみていると、加藤保徳とヨモツモノ
の怨念に象徴される、戦争を引き起こす「業」といったものを
笑い飛ばしているような思いがしてたまりません。
戦争なんてつまらないことはやめてみんなでワイワイ騒ごうぜ。
こんなことを、映画に登場する妖怪たちが言っている気がします。
映画のラストで、水木しげる扮する妖怪大翁の「馬鹿言っちゃい
けません。戦争は腹がへるだけです。」というセリフは、とても重
いと思いました。戦争で片腕をなくし、九死に一生をえて帰還した
水木しげるにして、はじめて言える言葉だなと思いました。
昔の「妖怪大戦争」とちがって、今回は戦争は描かれて
いません。ダイモンVS日本妖怪といった図式では描か
れていないのです。
代わりに描かれるのが、お祭りです。盆踊りです。ええ
じゃないかと狂喜乱舞する妖怪たちです。
そこでは、敵役となる加藤保徳と彼に率いられるヨモツモノ
は完全に浮き上がってしまっています。「東京がどえりゃ~
ことになってるだぎゃ。」(言い方がちがっていましたら、お許
しください。)とか言いながら、全国から集まってくる妖怪たち
の圧倒的なエネルギーの前に、加藤保徳の怨念が吹き飛ば
されてしまったという感じです。
加藤保徳と、それに立ち向かう麒麟荘子といった戦いの
構図がどこかへいってしまって、あるのは、絢爛たる百鬼
夜行の世界のみ。どこに戦争があるのだろうといった感じ
です。
製作者の意図はどこにあるのだろうと、考えてみますと、
これはもう形を変えた反戦映画ではないのかと、突拍子
もないことを思いつきました。
妖怪たちは、加藤保徳とヨモツモノを倒すために集まって
くるのではありません。東京でなにか面白いことが起きてる
みたいだ。みんなで騒ごうぜ。こんなのりで集まってくるの
です。そこには、戦いの悲壮感などみじんもありません。
また、ヨモツモノが大爆発を起こして、吹き飛ぶときに、さあ!
盛り上がって参りました!とばかりに、いっしょになって飛ば
されていく妖怪たちの姿をみていると、加藤保徳とヨモツモノ
の怨念に象徴される、戦争を引き起こす「業」といったものを
笑い飛ばしているような思いがしてたまりません。
戦争なんてつまらないことはやめてみんなでワイワイ騒ごうぜ。
こんなことを、映画に登場する妖怪たちが言っている気がします。
映画のラストで、水木しげる扮する妖怪大翁の「馬鹿言っちゃい
けません。戦争は腹がへるだけです。」というセリフは、とても重
いと思いました。戦争で片腕をなくし、九死に一生をえて帰還した
水木しげるにして、はじめて言える言葉だなと思いました。