ココ・シャネルの本にあった文章である。
ウェストミンスター公爵は、エレガンス
そのものだった。
そのくせ新しいものなど、なにひとつ身
につけていない。
あたしは彼のために靴を買いに行かなけ
ればならないことあったし、上着など25年
も同じものを着けている始末だった。
ウェストミンスター公爵は自分の財産が
どのくらいなのかも知りもせず、金銭の
匂いがまったくしなかった。
シャネルの美意識に合っていた。
「シンプル」と「エレガンス」、シャネル
が生涯を通して主張したことを、ウェス
トミンター公爵も持っていた。
また,ウェストミンスター公爵は「働か
ない男」だった。
ここにシャネルが「唯一愛した男」カペル
との違いがあった。
「働かない男」の優雅な生活はシャネル
には退屈だった。
釣りも面白い。狩りも面白い。ヨットも
面白い。しかし、それはけっして人生
そのものではない。シャネルにとって
退屈さは何よりも耐えがたいものだった。
惨めなものだった。
以上。
この文章を読んで、本当の金持ちについて
知り得るようで、興味深かった。
ウェストミンスター公爵は自分の財産が
どのくらいなのかも知りもせず、金銭の
匂いがまったくしなかった。
このような人達は、私たちが直接目にする
ことはないだろう。
財産の心配をすることなく、金銭の匂いが
しない人間というと、皇族だけかも知れない。
ただ、彼らは、社会貢献で忙しいのだが。
ところで、
「働かない男」の優雅な生活はシャネル
には退屈だった。
釣りも面白い。狩りも面白い。ヨットも
面白い。しかし、
それはけっして人生そのものではない。
シャネルにとって、
退屈さは何よりも耐えがたいものだった。
惨めなものだった。
この文章で、気になることがあった。
経済的ランクの違いはあれ、
この話は、年金生活者の生活でもある
からだ。
年金族の「何もしない自由」、晴耕雨読の
気ままな生活は、決して、人生そのものでは
ない。
こういう深読みは、辛いのだが。
そこに、鬱病になっていく病巣があるのでは。
耐えがたい「退屈」と「惨めさ」。