萌黄の鳥

短歌を通しての交流

 マグダラのマリア

2013-11-27 19:16:47 | Weblog

    
          永源寺

          
 大徳寺、黄梅院


           大徳寺・興臨院      


           大徳寺、興臨院


              

    マグダラのマリア娶りしか主イエス冬の雨音激しさを増す


    緋のように燃えたもみじはこころを揺らす
    マグダラのマリアはキリストの妻説、聖女、いや娼婦、魔女などなど
    諸説が飛び交い2000年経ても今なお謎の多い女性である。
    ダヴィンチ「最後の晩餐」に描かれた使徒ヨハネは実は
    マグダラのマリアの説まであるという、、。
     
    

    12月5日京都府立芸術会館で水甕歌仲間三人で録音取り、、。
    一時間半ですませ、そのあと行き先決めずバス停に向かう。
    大徳寺行きという案内をみつけ行き先はここに即決。
    千利休ゆかりの寺である。赤い朱の三門から利休の像が見降ろした
    ため秀吉の怒りを買い切腹の口実にもなった寺だ。
    信長の菩提寺総見院、きりりとした信長像に狂気も漂う、、。
    このあと信長の墓にも詣でた、、。


イエスの磔刑をまのあたりにしたマグダラのマリア、
    本能寺で明智光秀の謀反に逢い、炎の中で自害した信長。
    ともに火の残酷さを肌で感じたのである。
    美しいもみじに魅せられふとさまざまな人が去来する
    秋の日であった。


    小春日和のぽかぽか陽気の中三人でのんびりと過ごした
    秋のひとときを当分忘れないだろうな、、。
    それにしても京の懐石料理の美味しかったこと、、、。
    



        アリサ ・ 佐々木則子


HP「萌黄の鳥」
http://www.eonet.ne.jp/~arisa118/





うたあわせなるもの

2013-11-17 14:01:58 | Weblog

   
     晩秋の鴨川

   
     紅葉の季節
  

友人に何か面白い読み物はって聞いたら栗木京子の「うたあわせの悦び」
を教えてくれた、、。さっそく取り寄せてみた。
「古今」や「新古今」の代表歌人と現代歌人の取り合わせの「うたあわせ」だ。
「うたあわせ」って歌人が二組に別れそれぞれ場の即興で歌の優劣を競うのだと
おもうのだが、ここでは時空を越えて響き合う。
面白い試みである。


三十三番勝負のうち


  十六番  命 

 1 忘れじの行く末まではかたければけふを限りの命ともがな 
                 儀同三司母 「新古今集」恋三

 2 まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
                 河野 裕子 『ひるがほ』

  若き日の道隆との燃え上がった恋のしあわせなひとときの歌。
  よろこびもこの先に横たわる不安感にさいなまれいっそこのまま燃え尽きて
  死にたいだなんて。儀同三司母の夫は関白藤原道隆、娘は一条天皇の中宮定子。
  息子伊周も若くして内大臣。これらの栄華のすべてを夫の突然の死とともに
  弟の道長台頭によってすべてを奪われる。
  このこととあわせて読むとこの歌は感慨深いものがある。

  戦後、恋とか母性とかにうしろめたさを感じ負と捉えた女流歌人の多かったようだ。
  こんなにあっけらかんとこれらを詠いあげた歌人は河野裕子が最初だといわれている。
  その河野裕子と儀同三司母との勝負。
  どちらも好き嫌いは別として実に女性らしい女性だと思う。
  女性としての自信みなぎり全身全霊で女を表現している。  


  二十一番  涙

  雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ
                 藤原高子(古今集)春上

  ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
                  穂村 弘『シンジケート』

  現代歌人との涙対決はこんな具合に、、。
  天皇の世継ぎを産みながら藤原業平との浮き名も流し波乱万丈の一生を送った
  高子であるがここは恋ではなくお題は「春」。なんとも愛らしい歌だが心の奥底は
  覗かせない。「とくらむ」にまた別の思いがあるのではと思ってしまうからだ、、。
  情景だけ語っている穂村の歌もしかり、しかしこのぼかしこそ読むものの想像を
  描き立てるのであろう。
  
  
  

             アリサ・佐々木則子


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弟への短き手紙

2013-11-02 10:45:04 | Weblog

  
   児童公園のメタセコイヤの木

 さみしさがさみしさを連れ来秋の雨弟に短き手紙を書く


寺山修司のBS昭和偉人伝の録画みたら影響されてこんな歌ができた、、。
まったくの創作である、、。
しかし、あながち嘘ばかりでもはなくふと遠き日の弟に手紙を書きたく
なったのは事実である。

弟が高校一年の夏、友達3人と九州自転車旅行にでかけた。
旅先から姉、父母にはハガキが届いたがとうとう私宛の手紙は来なかった。
当時、弟は少年期のいらだつ心を気のいい姉にぶつけていた。
私にも最初すこし見せていたが完全無視したら以来向かってこなくなった。
冷やかに弟を傍観していた私にも後ろめたい気持ちもはあり、手紙のことは
家族の誰にも告げず寂しさは自分の中で処理した。
結婚後何年かして、実家の板塀と壁のわずかな隙間から私宛の弟のはがきが
でてきたのだ。しかも九州旅行の第一報に、、。

   
写真の児童公園のヒメタセコイヤの木切られた。最近できた住宅地から苦情でも
あったのだろうか、、。

                アリサ・佐々木則子



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