かつて拙稿で虐殺の人数は1000人を超えないのではと書きましたが、
半藤『昭和史』によれば、もっと多いかも知れません。
したがって、1000人以下というかつての見解も
改める必要があるかも知れません。
半藤氏でさえ「神のみぞ知る」と言っていますから、
虐殺の人数を云々することはさほど建設的ではなさそうです。
もっとも、日本人の態度としては、
あまり中国側の意見を容れすぎるのは情けないですし、
かといって、いざ中国人と議論したときに「知りません」では
もっと馬鹿にされるでしょう。
そのためにもある程度の人数を言えるようにしておいた方がいいと
思っています。
ただ、半藤氏が便衣兵の撃滅を虐殺の数に入れているのは
どうも納得がいきません。
便衣兵を先制攻撃することは自己防衛のためにやむを得なかったのではないか、
国際法違反をしているのは便衣兵の方ではないか、と思っています。
半藤『昭和史』によれば、もっと多いかも知れません。
したがって、1000人以下というかつての見解も
改める必要があるかも知れません。
半藤氏でさえ「神のみぞ知る」と言っていますから、
虐殺の人数を云々することはさほど建設的ではなさそうです。
もっとも、日本人の態度としては、
あまり中国側の意見を容れすぎるのは情けないですし、
かといって、いざ中国人と議論したときに「知りません」では
もっと馬鹿にされるでしょう。
そのためにもある程度の人数を言えるようにしておいた方がいいと
思っています。
ただ、半藤氏が便衣兵の撃滅を虐殺の数に入れているのは
どうも納得がいきません。
便衣兵を先制攻撃することは自己防衛のためにやむを得なかったのではないか、
国際法違反をしているのは便衣兵の方ではないか、と思っています。
まず日本軍が南京に侵入しているわけですよね。1937年の時点で日本は不戦条約に批准しています。南京に侵入するのは同条約行為違反であることはまず留意すべきだと思います。
そして、岡村第十一軍司令官(武漢戦の最高司令官)は、1938年7月、南京に居た原田熊吉中将らから以下のような報告を受けています。
「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。」「一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。」
つまり捕虜を殺してしまうという国際法違反を日本軍は行っているわけです。そうだとすると敗走する中国軍兵士が、捕虜となって殺害される事態を回避するために軍服を脱いで遁走することは、「不戦条約違反の」「国際法違反の」軍隊の蛮行から逃れるためにやむをえない行動だったとも考えられます。
さらに、民服の人間を安易に「便衣兵」と決め付けてはいかないでしょう。民服の人間(兵士であれ、民間人ゲリラ)を交戦中に殺害するのは戦闘中の殺害ですが、武装していない民服の人間を捕捉した状態ではまだ「便衣兵の容疑者」にすぎないわけですから、この人間を裁判判決なしに殺害することは許されないはずですが?
話は変わりますが、保阪正康氏の本はいい本だと思いました。
>便衣兵を先制攻撃することは自己防衛のためにやむを得なかったのではないか、
>国際法違反をしているのは便衣兵の方ではないか、と思っています。
これは少しおかしいのではないでしょうか。
まず日本軍が南京に侵入しているわけですよね。1937年の時点で日本は不戦条約に批准しています。南京に侵入するのは同条約行為違反であることはまず留意すべきだと思います。
そして、岡村第十一軍司令官(武漢戦の最高司令官)は、1938年7月、南京に居た原田熊吉中将らから以下のような報告を受けています。
「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。」「一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。」
つまり捕虜を殺してしまうという国際法違反を日本軍は行っているわけです。そうだとすると敗走する中国軍兵士が、捕虜となって殺害される事態を回避するために軍服を脱いで遁走することは、「不戦条約違反の」「国際法違反の」軍隊の蛮行から逃れるためにやむをえない行動だったとも考えられます。
さらに、民服の人間を安易に「便衣兵」と決め付けてはいかないでしょう。民服の人間(兵士であれ、民間人ゲリラ)を交戦中に殺害するのは戦闘中の殺害ですが、武装していない民服の人間を捕捉した状態ではまだ「便衣兵の容疑者」にすぎないわけですから、この人間を裁判判決なしに殺害することは許されないはずですが?
話は変わりますが、保阪正康氏の本はいい本だと思いました。
六本木には好きな書店があるので、たまに行きます。ストライプ美術館の1階のところです。
便衣兵のみを責めるわけにはいかないということですね。
気をつけます。
「便衣兵を先制攻撃することは自己防衛のために
やむを得なかった」という点については、
すべての便衣兵を殺害することが許される
という趣旨で記載したわけではありません。
状況によっては先制攻撃がやむをえない場合も
あったはずでは、という趣旨です。
表現に気をつけます。
捕虜の殺害があったことは事実でしょうが、
それと便衣兵との関連性も、どの程度関連づけて論じるべきなのか
(どれくらいの割合の便衣兵が、捕虜としての殺害を免れるためになったのか)
はまだ分かりません。
おそらく真相は藪の中でしょう。
いずれにせよ貴重なコメントありがとうございました。
またいろいろ教えてください。
一つ補足したいのは、殺された民間人は日本軍占領後、「残敵掃討」時に殺されたとは限らない、ということです。
日本兵の証言にこういうのがあります。拙ブログ3月9日付↓
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050309/
これは「追い打ち」で殺害した事例だと思います。ここには殺害をめぐる「解釈」の問題がありますが、中華民国の言う「30万」には、占領前の12月12日~13日のうちにこうやって死んだ人間の数が相当カウントされているようです。これに対し東中野氏ら「否定派」の人たちは、12月12日~13日のうちに死んだ人たちを無視して自説を展開している。これが、議論が錯綜する一つの原因になっていると私は考えています。