つまがリズム

きままな、ひとりごと

信長からの手紙

2014年11月29日 | ペット
平成26年11月29日(土)

県立美術館分館に、くまもと「描く力」入賞作品展を観に行った。
その帰りに、県立美術館本館に「信長からの手紙」展を観に行く。
熊本大学永青文庫研究センターの地道な調査研究を踏まえて、
昨年6月に多くの細川家文書が重要文化財に指定された。
それを記念して、織田信長の文書59通をピックアップして公開したのが
今回の「信長からの手紙」展である。

右筆がいるので、信長直筆の文書は数少なく、そのうちの一つが展示されていた(ホンモノ)

↑(パンフレット中央右のものが直筆)

また、昔の手紙のファーマットをマンガ形式で書いた手作りチラシもあり、
興味をもって観ることができました。

↑(昔の手紙)

それから、信長の「幻の上洛」といわれていた計画を、裏付ける手紙も展示されていた。
足利義昭とその側近が、1566年8月28日付で出そうとしていた手紙14通で、幕府再興を目指す義昭が、
「信長を味方につけて上洛するから、その時には皆さん協力してね~」と書いてあるそうです。
でも、六角氏の謀反により、手紙は出されず上洛もとん挫しました。

この手紙、最近、熊本で発見されたんですって。
なぜ、熊本で、ですが・・
亡命中の義昭に随行し手紙の配布を任されたのは米田さんですが、この米田家は足利家に医術で使えており、
手紙が不要となったので医術書冊子として再利用したようです。
そして、米田家は後に細川家の家老となる。
その関係で、この手紙(医術用冊子)と熊本のご縁ができたのでしょう。
現在は、個人所有とのことです。

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別格喫茶店

2014年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
平成26年11月29日(土)

県立美術館分館に、くまもと「描く力」入賞作品展を観に行った。
上手さに感心したり、個性的な作品にびっくりしたり、くすっと笑ったり。
なかなか楽しめました。
で、ランチをと思って喫茶店に入って息をのむ・・・

↑(喫茶店からパチリ)
一面にお城がみえ、お城と対面してのランチ。、天守閣に観光客がいるのもみえる。
さらに驚くことに、この喫茶店は、お弁当持ち込みでも、休憩オンリーでも大丈夫とのこと。

喫茶店は4階にあるので、見えている樹木は巨木の数々。
なので、桜の季節に、座った状態では満開の桜を見ることはできない。
けれども、「風が吹くたびに花びらがふわ~と舞い上がり、それが何ともきれいだ」と、お店の方がおっしゃっていた。
作品も、食事もナイスだったけれども、
喫茶店のこの空間の素晴らしさは別格であった。


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朝の1時間

2014年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
平成26年11月26日(水)

めずらしく早起きをしてしまった。
そうだ! 息子がちょうど朝刊配達から帰った頃ではないかと電話する。
息子「え!しまった、今何時?」
何の事はない、配達後に寝ていたところを起こされ寝ぼけていたようだ。
朝刊配達はじめて3か月たったけれども、朝起きのストレス、あるんだね。

息子「できたら、朝の電話はやめてほしい」
私 ・・・ショボン・・・

気をとりなおす。
そういえば、さっき作ったホット麦茶は、息子のアパートから持ち帰ったもの。
パックではない本格派の麦のやつ1キロです。
実家で母(私)が作っているのを思い出して、やかんで煮たてたものの、1回で断念したと推測される。
断念したとはいえ、親の背中ちゃんとみてたんだと、ちょっとうれしい。

落ち込んだり、うれしくなったり・・
しているうちに、朝の1時間がすぎてしまった、今7時です。

さあ、今日も忙しくなるゾ!


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鉄砲小路散策

2014年11月23日 | ウォーキング
平成26年11月23日(日)
勤労感謝の日

夫とJRウォーキングで、『鉄砲小路と菊陽町ぶら~り散策』に出かけた。
天気も良く、コースも平坦短距離で、楽ちん!
途中の鉄砲小路では、子供みこしも出て、盛り上げてくれた。


↑(写真は鉄砲小路の様子)
 祝日なので、どのお宅も国旗があげられていた。この写真ではわかりづらいですが、生垣が見事でした。
隠れたおもしろスポットを歩く、JRウォーキング。
スタッフのみなさん、ありがとう!

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(鉄砲小路のメモ)
肥後、細川忠利公の命によって創設された地筒の村。
当時、この辺りは原野であり、防衛上の理由から開拓にとりかかり完成まで22年ほどかかった。
しばらくして再度忠利公がこの地を訪れた時、まだ荒れている土地をご覧になって「あそこに一小路立て鉄砲百艇を備えるべきである」と言われた。
ここは、お城から4~5里以内にあり、しかも鬼門なので鉄砲小路創設の運びとなった。

鉄砲小路ができたのは1635年。
創設の責任者は、鳥栖善左衛門。
先祖は、福島県の出身であるが、頼朝の奥州征伐のあと愛知県に謹慎になる。
ところがその末孫、大脇次郎左衛門は加藤氏の家臣となる。
その子、忠衛門が玉名の郡代を退任し合志市に移り住んでいたときに、忠衛門の子、鳥栖善左衛門に忠利公より上意が下った。

鉄砲小路の人々は普段は農耕に従事し砲術を初めとする武芸の鍛錬に励んだ。また、月に5日間は熊本のお城勤めがあった。
鉄砲小路が参加した戦いは、島原の乱、長州征伐、五稜郭の戦い、西南の役などがある。
また、参勤交にお供をした。

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鼻ぐり井手 その2

2014年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム
平成26年11月16日(日)

熊本県の北部にある『鼻ぐり井手祭り』に夫とでかけた。
井手のあれこれを、地域ボランティアの方に丁寧に説明してもらった。
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この井手、完成したのは1808年といわれている。
関で水の調節をすることにより、今でも田畑は潤っている。

でも、井手の一定の区間(高台のところ)が、鼻ぐりになっていることは、言い伝えはあったもののの、どこにあるかは忘れ去られていた。
それが、平成3年の大型台風の後始末をしているときに、偶然発見された。
つまり、その間400年、土砂がたまることなく、機能をバッチリ!はたしてくれたのです。
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私「技術すごいね、加藤清正とそのプロジェクトチーム」
夫「火山灰がたまることを指摘したのは、地域の人だと思う。その声を加藤清正がひろいあげて対処したことがスゴイと思うよ。」
私「なるほどね。今の時代は一から十まで役所にやってもらうことが当たり前だけれども、江戸時代はちがうもんね。お上に許可をもらわないと何もできなかった時代だよね。どんな経緯でできたかはわからないけど、村民とお上とのナイスな連携プレーがあったかもしれないね。」
なんて話をしながら帰りました。
よい一日でした。
菊陽町のみなさん、ありがとう!

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