つまがリズム

きままな、ひとりごと

高田先生

2012年04月25日 | 思い出

人生を振り返ってみて・・・

私の『先生』になられた方は、どの方もどの方も、本当に素晴らしかった、ということに ある時気づいた。

思い出すままに紹介したい。

まずは、小学校5年生の時に担任であった高田先生。

高田先生は若い男性の先生で、小学校の近くに下宿されていた。歩くときにすこし足を引きずって歩かれていたが、球技でも水泳でも普通にされていたように思い出す。 

              

図工の時間のこと。  

長方形の板にノコギリや彫刻等などを使ってサカナを造るのが課題だった。 まず長方形の周囲をノコギリでサカナの形らしく切るところから始まるが、それは自分でやっても良いし先生にやってもらっても良いことになった。

そうしたら、先生にやってもらう人の長い列ができる。 当然だよね、「ここをこうして!」って細かい注文を先生にだして切ってもらった方がきれいな形ができるにきまっているよね。 だから、ほとんどの人が先生にやってもらう中、文子ちゃんだけは自分でノコギリを使った。

出来上がったみんなの作品は複雑な形をしたサカナたちであったが、文子ちゃんのは、長方形の一隅だけを切り落としたシンプルなものだった。 

最高の点は文子ちゃんの作品に与えられた。 

ノコギリ作業中もその後も、手伝ってもらうことが良いとか悪いとか、先生は一切言われなかった。 文子ちゃんの作品を素晴らしいと評価する、それだけだった。 でも、先生の言いたいことは完璧に私たちに伝わった、と思う。

私は、パラダイムシフトを感じた。

上手に作ることしか頭になかったが、自分のできる限りで苦労したり楽しんだりする、その過程も大切であること、安易に人に頼らない潔さ、を教えてもらったのだった。

あの時、教室にいた誰もが先生の評価に心から納得しただろうと思っている。


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前田先生

2012年04月24日 | 思い出

前田先生は、中学校の時の歴史の先生で、信孝というお名前だった。

ある日、先生は授業中に、「私の信孝という名前ですが・・・」と切り出された。

 んん?と私たち。

『・・・歴史に残る人で誰かいるかと調べたら、一人いました。 その人は△△で・・・』とその話は続いたのです。 

その時の先生の楽しそうなお顔!

その瞬間、私は歴史が好きになりました。 

あんなに楽しそうだから、歴史って勉強したらおもしろいかも、と思ったんだろうね。

単純に、前田先生ってなかなかお茶目でおもしろい! と思ったのかもしれない。

どちらにせよ、前田先生は、授業中の脱線話で、歴史好きの生徒を少なくとも一人ゲットに成功されました。

中学校の楽しい思い出の一つです。


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小学校の思い出

2012年04月12日 | 思い出

田舎で育った小学生のころの思い出。

教卓の上にいつも花が飾られており、それは、誰かが持ってきたものでした。

花が咲いたので、「学校に持っていきなさい」と、お母さんが新聞紙につつんでくれる。

それを、持っていく子供。

学校に着いたら、花瓶に生ける。

終わり。 すごくシンプル。

              

今だったら・・

新聞紙は恥ずかしい。

学校に持っていくのは目立つからイヤだ。

花瓶に誰が生ける?

そもそも、学校に花を持っていっていいの?

・・・と考えると、最初の一歩がふみだせない。

              

『花が、教室にあったら皆がよろこぶだろうなあ~』

昔はあったこの気持ちは、今は、どこにいってしまったのだろう・・・・・


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