とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『児童文学論』 L・H・スミス

2007年01月30日 00時50分00秒 | 児童文学(絵本もふくむ)
児童文学論 L・H・スミス

「まえがき」(要約)
この本の目的は、よい作品にかならず備わっているはずの特質、良い作品の資質というものをはっきりと確認する道を指し示すのが目的である。
 こどもの本は 、一般文学とは無縁な、真空地帯にあるのものではない。児童文学は、一般文学の一分野であり、ほかの文学形式とまったく同じ批評の基準に従わなければならない。これが、基本的な原則である。
児童文学がりっぱな価値と意義をもつ文学だという確信が、最も必要な態度となる。
子どもの本に対する評価力は、まず、子どもの本について正しい知識をもつこと、さらに文学の古典とされる良い作品に見いだされる文学上の基準に照らして一作一作を批判的に読むこと、この二つによってはじめて得られる。
家庭でも図書館でも、児童文学のゆたかな遺産である「古典」を大事にすること。さもないと凡作を広めてしまう。
現代社会においては、子どもと本が離れやすい要因があるので、できるだけ本に接近させることが肝要。
児童文学のもっともよい作品を見つけだし、ひろくそれを知らせるという図書選択の機能が、どれほど大切なものか―それがこの本のテーマである。凡作のたぐいを大目にみることは、よい本を選び、文学の意義をつかむという目的をあやまることである。
児童文学は種類が多く、また作品も多様であるために、その極めつきの良書の一冊一冊をとりあげて、くわしく論じることは、とうていできない。ここに分析しようとして選んだ本は、不朽の質をもった、たくさんの本のなかから、ひとりの人間が個人的に選んだものである。ある本に対する個々の人の反応は、人ごとにちがうのであって、教科書、商品として用具として論ずる時は別として、文学として論じる場合は、個人的な確信こそよりどころとなってくれるものである。
児童文学は、哲学的なアカデミックな研究の対象ではなく、楽しくて、実りゆたかで、限りない報いのある分野なのである。
 上司のトロントの図書館長チャールズ・R・サンダーソン博士に、たえず指導と激励を受け,トロント「少年少女の家」の職員諸氏からは示唆と助力を、またワシントン公共図書館、ワシントン国立美術館に在する有志から、絵本の章について、助力をいただいた。
厚く感謝する。
                       リリアン・H・スミス

1953年 シカゴ イリノイ州から刊行す。
 1964年に邦訳の初刷が刊行される。わたしは、2001年、第45 刷 所蔵
     訳者:石井桃子氏 瀬田貞二氏 渡辺茂男氏 岩波書店
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« fantasyと fancyのちがい | トップ | トロント »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

児童文学(絵本もふくむ)」カテゴリの最新記事