ケアマネなんかやってられっか!

現役ケアマネが介護や福祉の現場で気づいたこと、腹の立つこと、疑問に思うことなどをごく個人的な思いで語ります。

架空認定審査と胃ろうについて

2011-02-11 | Weblog
  2月11日の朝日新聞朝刊に気になる記事が2つ載っていました。
 一つは秋田市が審査会を開かずに認定を行っていたというものです。記事によれば「職員2人は~架空の審査会を計7回開いたことにして、1次判定しか受けていない495人に認定を通知していた」とのことです。記事では最後に「(介護認定の)事務量増加は課題となっている」と結んでいます。厚生労働省は審査会の人数を5人から3人に緩和するなどしていたとありますが、要支援の人が増えている現状では焼け石に水の状態でしょう。要支援の人は大体が半年。最近は事務量を減らすためか1年の人もいますが、申請自体が増えているので追いつかないのでしょう。また認定自体もガン末期の人の認定が軽く出るために見直しをしたり、要介護2以上でなければ原則としてベッド、車椅子が使えないなどの縛りをしてしまったために区分変更をする人も多くなっています。結果的に予想した以上に申請件数が増えているのでしょう。国が自ら招いたことです。身から出たさびといってしまっては言いすぎでしょうか。
 介護認定は何のためにあるのか介護度をつけて使えるサービスの額を制限するためです。私はそもそもその認定自体が間違っていると思います。医療費の場合は制限は無いのになぜ介護保険は制限があるのでしょう。ある程度の額で止めることは必要かも知れませんが、その範囲内であれば自由に使わせて欲しいと思います。不正を防ぐためならば、高額のサービスを使っている利用者を中心に調査すればよいことです。(その調査する事務量も大変か?)現状としてほとんどの人が要介護度の利用限度額の6割程度しか使っていないとのことですから限度額がなくなったとしても、無駄な利用が急に増えるとは思えません。むしろ適正な利用をよりケアマネが考えるようになるのではないでしょうか。(ケアマネに対する要求が保険者からも利用者からも増えるかもしれませんが…)
 とにかく、要介護度によって限度額を変えたり、ベッド、車椅子を使えなくするのは止めて欲しいです。


 さてもう一つの記事は胃ろう増設に関してのことです。
 介護老人保険施設長による「私の視点」への投稿です。
 「私はこのような『口から食べられなくなりつつある認知症の人』の胃ろうを増設するにあたっては、事前に医師たちが家族に対して『こうした状態で胃ろうを設けると、本人が長期の植物状態になってしまう可能性がある』ということを十分、説明する必要があると思う。植物状態で長生きすることは、人間の尊厳から考えても、また、公的医療保険の財政面から考えても、あってはあらないことだろう。/胃ろう増設を判断する時期や基準について厚生労働省の主導で十分に議論し、国民的な合意を得るべきときが来ている」
 長い引用となりましたが、その通りだと思います。私も以前2008/09/09の「一本の電話から」というブログに書きましたが、安易な胃ろう増設は反対です。(そう書いたら医療関係者と思われる方から反論がきましたが…)そのときにも書きましたが、私は胃ろう全てに反対するわけではありません。胃ろうなど医療依存度の高い利用者の場合、自宅で介護するにはいくつかの条件が必要であり、今の介護保険ではその条件は満たせない、いやむしろ不足している。それにより介護難民、医療難民を増やしていることを言いたいのです。もし家族が胃ろうを勧められたらよくよく考えてほしいのです。特に高齢者の場合、口から食べる事がどんなに意義あることか、そして食べられなくなると言うことは何を意味するのか。立ち止まって考えて欲しいと思います。





年は明けたが、政治は暗い道のまま?

2011-01-27 | Weblog
皆さんあけましておめでとうございます。とずいぶん間の抜けた挨拶です。もう2月になります…。(~_~;)


  1月は何だかんだで忙しいですね。お正月は飲んでいてあって言う間に過ぎてしまい、休み明けはすぐに実績と給付管理、連休が終わったら利用者宅を回っていく。新規利用者も何人かいるとあわただしくもう今日は27日になってしまいました。
 
 受験生は年末年始もなくて大変な人も多いでしょう。介護も年末年始はなくて、むしろ年末年始はヘルパーが休みになったり、デイや他のサービスも休みが多くて介護している家族には大変です。ケアマネジャーもヘルパーのやりくりやサービスの一時的な組み換えが必要だったりして忙しいものです。


 そんな年末の12月24日に、国は「来年の通常国会への提出を予定している介護保険法改正案について、居宅介護支援(ケアプラン作成)サービスへの自己負担導入や高所得者の自己負担割合引き上げなど、利用者負担の増加につながる内容を盛り込むことを全面的に見送るとともに、2012年度からの介護保険料(全国平均)を5000円以内に抑える方針を示し」(ヤフーニュース)ました。

 良いのでしょうか。負担増が必要なことは明らかなのにとりあえずの先送りのような気がします。いままでの年金改革と一緒です。きちんとした説明を行い、必要なことは行うべきだと思います。高所得者の自己負担割合の引き上げなどはやったほうが良いと思いますが、他のことと一緒でなければ駄目なのでしょうか。どうも政治は政局ということが絡んで、ねじれ国会なんていうことがあると進めるべきことが進められず、混乱するばかりのようです。
 介護保険制度だけでなく議論の必要なことは多くあるのに野次の飛ばしあいばかりで終わっては国民がどんどん政治から離れてしまうでしょう。


みなさんよいお年を!

2010-12-31 | Weblog
  今年も終わりです。介護保険でもいろいろと動きがありましたが、来年の改正(改悪?)で劇的にまた変わることがあるかもしれません。こちらはまた制度に振り回されることになりそうです。それでもめげずに頑張りましょう。
 
 悲観ばかりしていても仕方がありません。なんとか今年1年やってきたので来年も何とかなると思って気持ちを楽にいきましょう。

 皆さん良いお年を!

支援を受け入れた人たちと関わって…

2010-12-25 | Weblog
 以前、朝日新聞の「窓 論説委員室から」という記事に「孤独の群像」という記事が載っていました。
 東日本国際大学の菅野道生さんという方が東京都葛飾区の一人暮らしの高齢者約千人の生活実態と当事者の意識を調べたそうです。それによれば、「困っている人ほど手をさしのべられることに後ろ向きだった、という調査結果」だったそうです。「健康状態を自分で弱いと感じる人ほどまた経済状況について苦しいと答えた人ほど近所の人からの支援には抵抗感があるという割合が高かった」というのです。それを受けて記事は「『他人に迷惑をかけたくない』『迷惑をかけてはいけない』という、かつて美徳とされた社会規範が横たわっているのではないか。/この国の交わらぬまま凍りつくような群像が浮かび上がる」と結んでいます。

 ケアマネジャーとして関わる人は「他人からの支援」を受け入れた人たちですから、この調査の対象になった人たちとはちょっと違う印象を持ちます。多くは、確かに支援に対して受身的で、ケアプランを作る際に相談しても「お任せします」という感覚の人です。しかし、積極的でむしろ「介護保険料を払っているのだからこっちの言うとおりにして当然」という人たちが少なからずいます。そういった人たちがヘルパーをお手伝い代わりに使って、生活援助を増やすために、次の介護保険の改正では国が生活援助を切ろうとしていることの原因の一つになっていると思います。そのため訪問介護をを適正につかってヘルパーの生活援助を抑制するのがケアマネジャーの役目としてあります。それが実は難しい。一番はケアマネジャーの力量によるのでしょうが、適正に使っているつもりでも本当に利用者のQOLの向上に役立っているのか、判断が難しい。モニタリングでその利用者の状態を見ていきますが、そんなに変化が劇的に現れるなんてことはあまり無いわけで、ほとんどの利用者は年齢や病気の状態から体力的に向上は見込めない人が多いので現状維持できているとそれで良しとしてしまいがちです。
 ケアプランの本を読んだり、研修を受けると多くはケアマネジャーがもっと積極的に関わって利用者のQOLの向上につなげなければならないとされるのですが、現場で働いた感覚からするとそんなケースはめったになくてほとんどが現状維持か低下が少し遅くなっているかの感じを持ちます。これは私にケアマネジャーの力量がないことの言い訳かもしれませんが…。

 たとえば訪問介護ですが、多すぎてはもちろんいけませんが、少なくては利用者にとっての必要な支援にならないわけですが、増やしましょうとか減らしましょうとか利用者と相談すると「お任せします」という人たちの場合はよいですが、「こっちの言うとおりにして当然」と考えている人にはそういう相談も出来ない場合が多く、対応に苦慮します。


 うーん、また今日も愚痴になってしまいました。いかんなあ~(ーー;)




仮想ケアマネ日記

2010-11-27 | Weblog
 「いやーそうなんですよ。今度、ケアプラン料が発生するんですよ。それで契約書を作り直さなければならなくて、それで契約をお願いしたいのですが…」
「やだよ。何で車椅子しか借りていなくて毎月600円しか払っていないのに、ケアプラン料を1000円以上も払わなければならないの。それでなくとも介護保険料を勝手に年金から差っ引いといてこのうえもっとお金を取り上げるなんてとんでもない」
「いや、まあそれはそうですが、介護保険料は国が取っているもので、今回ケアプラン料をとることも国が決めたので私としてはどうにもならないのですよ」
「では、車椅子も止める。必要なときに民生委員にでも借りる」
「はあ、そうですか。それならば仕方がないです。では何か必要になったときにご連絡をください」

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「そんなこと言われても家には余分なお金がない。何でいままで只だったのに急にお金を取るのよ」
「新聞やテレビでも言っているように介護保険の財政が…」
「とにかくいやだわ!」
「でもそうしないと今まで受けいていたサービスが受けられなくなるんです。ご自分でケアプランを作るならば利用できますけど…」
「自分で作るってそんな面倒なことできない」
「ではやはり、契約をしていただいてケアプラン料をお支払いいただくことになるのですが」
「……。仕方ないわね。ではちゃんとやってよね。私の言うことをきちんと聞いてちょうだい!」

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「大変だね、あんたも。なんだか急にお金を取るようになって」
「いや、まったくその通りです。皆さんからもいろいろ言われるし、こちらとしては国の言うとおりにしなければならないうえに、こうして余計に契約書を作り直したり、パソコンのソフトも変わるので覚えなければならないし、集金もしなければならない人もいますし、特にうちの事業所の場合、特定事業所加算を取っているので他の事業所よりもケアプラン料が高いのでその説明も大変なんですよ」
「何?、その『特定事業所加算』て?」
「あれ、この前お話したのですが…」
「そうだっけ?…」
「簡単に言いますと、他の事業所に比べて質のよいケアマネジメントを行っているので少し余計にお金をいただくということなのです」
「ふーん。ケアマネジャーの質が良いって誰が決めるの?」
「主任ケアマネがいるとか毎週会議を開いているとか、いくつかの条件を満たすと『特定事業所』として認められるのです」
「そう。まあ良いか。あんたは良くやってくれるから」
「ありがとうございます。今後もがんばりますのでよろしくお願いいたします」

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ケアプラン料をとるようになったら、こんな会話がかわされるのだろうか。
どっちにしても大変だなーーふー…。








自己負担増はケアプランにどんな影響を及ぼすか?

2010-10-31 | Weblog
   厚生労働省は介護保険料を抑えるため利用者の負担を増やす方策を提案した。それによれば、
  ・高所得や軽度の利用者の負担割合を引き上げる
  ・ケアプラン作成費用を徴収
  ・特別養護老人ホームの相部屋の室料を徴収
  ・軽度者に対する生活援助サービスを縮小
  ・保険料を徴収する年齢を40歳未満にも拡大
  ・公費負担割合を5割から6割に引き上げる
  (朝日新聞10月29日から)
 だそうである。 うーん…。

 介護保険の利用の抑制につながると反対意見が相次いだそうだけれど、利用の抑制をするために考えているわけで、この方向性は変わらないでしょう。

 その中で特にケアマネージャーに関係してくるのは「ケアプラン作成費用の徴収」「軽度者に対する生活援助サービスを縮小」ですが、実際に行われたら現場としては利用者からのかなりの反発が予想されます。
 生活援助に関しては今でも相当に使いにくくなっていますから、本当に必要な人に生活援助ができなくなることが心配です。軽度だから自分でできるだろうというのはまさに机上で考えているだけのことで、利用者の状態によっては軽度でも(要介護度自体の認定も適切かどうかということもありますが)買い物、調理、掃除、洗濯が自力では困難な人もいます。それらの人と(介護度はついているけど)元気な人とどう区別するのでしょうか。アセスメントでまた分けろというのでしょうか。しかし、同時に「ケアプラン費用の徴収」が行われたら、利用者はお金を払っているのだから要求を通して欲しいと希望するでしょう。多くの居宅が訪問介護などど併設なことを考えれば公平なケアプランからどんどん遠ざかるような気がします。


 話は変わりますが、先日、公園にいたら、蚊にさされました。もう10月の中旬なのにしつこく生き延びています。私は肌が弱く、蚊に刺されると1週間以上かゆみも残り痕も残ります。蚊は世の中に全くいらないもので悪いことしかしないのだから、無くなればよいのにと思いますが、地球から見れば人間と言うものは地球に対して害しかなさないもので、無くなればよい存在ではないだろうかと、飛躍した考えですが、思ってしまいました。
 そんなことを思いながら、高齢者に対する支援を考えることにちょっととまどいを覚えました。単なる妄想ですが……。




素敵な97歳

2010-10-16 | Weblog
 先日、97歳の利用者から良い話を聞きました。その利用者は、まだまだ頭もはっきりしており、何とか室内も手押し車で歩けます。少し耳は遠いですが、人の話もほぼ理解してくれます。
 家では娘さんと二人暮しですが、娘さんはまだお仕事をされており、ショートや介護老人保健施設を利用しながら自宅で介護しています。そんな利用者が介護老人保健施設から帰って来たときに話したことです。
 「家では娘が面倒を見てくれて大変ありがたい。施設でも職員の人がお世話してくれて本当にありがたい。またあの世も良い」あの世はまだ行ったことがないのにどうして分かるのかというと夢に亡くなった人たちが出てきてにこにこ笑っている。とても懐かしいのでそちらに行こうと思うのだけれど、エレベーター(?!)が壊れていて、その人たちのところに行けないのだと。だからあの世も良いところだそうです。
 「自宅も良いし、施設も良い、あの世も良いし私は本当に幸せだ」と言われます。

 その利用者の夢は夢ではないと思います。実際に見えているのだろうし、エレベーターが故障しているのはまだ亡くなる時期ではないからなのでしょう。亡くなった人たちはそれが分かっていて急ぐ必要もないのでニコニコ笑って待っているのでしょう。
 
 とても素敵な年の取り方だと思います。私なんかは年を取ればとるほどに小言が多くなり小言幸兵衛みたいなものです。なかなか「私は幸せ」と言うことはできません。
 
 その利用者はまた他人にも気を使うことができています。
 「まだ若い80歳くらいの人が(97歳からすれば確かに80歳は若い!)手足が不自由な人がいる。だから私は食堂で食事を待っているときなどに手を机の上に出すことはしない。自分は手が元気であるとその人たちに見せびらかすようなので」気配りということでしょうか。そこまで気を使うことが私などにはまったくできません。恥じ入るばかりです。
 
 そんな幸せな利用者を担当していることがケアマネージャーである私の幸せと思って日々過ごすことが自分の良い老後に繋がるのではないかと感じています。単純かもしれませんが、単純に考えるほうが世の中はうまく進むのではないかと、最近の複雑な世の中を見ていては思っています。



ケアマネジャー未熟かな? 

2010-09-23 | Weblog
   本日は大変個人的な愚痴です。(いままでも大体そんな感じでしたが…)

 えー、ケアマネを変更されることになりそうです。その利用者の家族がまったく自分の都合しか考えず、こちらの努力も認めない人だったので、私としては大変、大変、とてもとてもうれしいのですが、中にはケアマネジャーを変更されるのは未熟なせいと思う人もいるようです。そういう面もあります、否定はしません。ただし、どうしても合わない、相性がいかんともしがたいという人がいることも事実だと思います。そういう場合には変更してもらうのがお互いにとって良いのではないかと思います。結婚だって(話がいきなり飛びます?)ずっと一生一緒なんて理想でしょう。いまや3組に1組が離婚する時代(統計の取り方によって違うらしいですが)1度や2度の結婚では理想の相手が見つからなくても仕方がない。でも3度4度の結婚はどうかな~?と思います。というかそれだけ結婚、離婚を繰り返す人のエネルギーに感心します。もっとも私自身は2度も3度も結婚する気はありませんが。

 話があちこちに飛びますが、私は本業のケアマネジャーのほかに第三者評価の評価者というのもやらせてもらっていますが、これが結構面白い。報告書を書くのは大変なのですが、あちこちの施設を見て、直接、責任者にサービス内容を確認していくなんてことは普通にはできません。現場を視察して利用者にアンケートをとって、カンファレンスやアセスメント、支援計画などなどの書類を細部にわたって見せてもらうなど大変参考になります。もちろんその内容を他にもらすことはないですが、評価として報告させてもらうときには良い試みは良い試みとして、改善すべき点は改善すべき点として明確にすることが自分の仕事のなかでも役に立ちます。いや単純に面白い部分があります。面白いというと語弊があるのかもしれませんが、私自身はこういった感性は大事ではないかと思っています。

 どういう点が面白いかについては、いまちょうどその報告書を書いていて忙しいのでまた後日?!




  

暑さのなか、つれづれなるままに

2010-09-04 | Weblog
1ヶ月に2回の更新はしようと思っていたのですが、先月は1回だけになってしまいました。あまりの暑さに忘れてしまいました。というわけではないのですが。それにしても暑いです。これを書いているのは9月4日ですが、すでに30度、いや35度以上あるかもしれません。おかげでうちのパソコンの1台が暑さのため突然おちる現象に襲われました。人間は我慢できても機械が壊れるのでエアコンをガンガンにつけてパソコンに向かっています。
 
  先月、お一人、今月、お一人 利用者の方が亡くなりました。お二人とも90代でまあ大往生といえるかと思います。ただ家族にとってはやはりすぐにはそうは思えないようで、もっともっと生きて欲しかったように言われます。でも第三者からみると介護はだんだん大変になってきて介護者の家族の負担が相当あり、これ以上は続いてもなかなか利用者本人、家族にとってつらかったのではないかと思います。
 ご家族には直接そのようには言いませんが、お力落としのないようにと言うと同時に、年齢的には難しいところだったと思いますなどとは言います。それから介護をがんばられたので利用者も満足されたと思いますとも。
 いろんなことを私などが言っても結局のところ家族の気持ちは時間がたたないと落ち着かないのだろうと思います。特に一生懸命介護されていた方にとっては。
 職業柄、こういう場面にあたることは多いです。そのたびにやはり自分自身の死に方を考えます。まあ生き方ともいえますが。
 利用者の中には家族よりも信頼を寄せてくれて何かあったときに家族よりも先にケアマネジャーに連絡してくる方もいます。うれしい反面、急病になったときにこちらに言われても何も打つ手はないし、判断もできないのだけれどとも思います。そういった人に何ができるかと過剰にならないように考えながら日々の支援を行っています。でもこんな利用者については出来る限りのことはして差し上げたいと思います。逆にこちらのことを考えずに自分の都合だけで連絡や相談してくる利用者や家族には必要なこともしたくないと思ってしまいます。人間が大変未熟だと反省はしますが、人間としては気持ち、感情があるので仕方ない部分もあるだとろうと正当化もしています。まだまだ修行がたりませんな。




要介護認定はどうすべきか

2010-08-23 | Weblog
   認定調査を行っています。ときどきこれはなぜ認定調査をやるのか疑問に思う利用者がいます。
 
 先日、認定調査した人はガンの末期でモルヒネが処方されており意識が朦朧としていました。声かけしてもまともな返事は返ってきません。まずその利用者がいるのがホスピス(!)で在宅に戻る予定はなし、いつ亡くなってもおかしくない容態だとのこと。そのような人にどうして認定調査を行うのか!?  調査しながら疑問に思いましたが、委託され現場に行った以上はやらなければなりません。

 でも現場に行っても調査しないときもありました。本人に介護保険の調査と言っても介護保険を使っていないのになぜ調査をしなければいけないのかと言われ、ちょうどきていた友人の人にも介護保険の調査っていつからやっているのですかと聞かれ、申請をだした家族(夫)も書類が来たから出したので意味がわからなかったと。
 電話で訪問調査の日時を打ち合わせた段階でよく分からないという人はときどきいるので実際にいって説明すれば大丈夫かと思ったのですが。その人は介護保険のサービスは使っていないし、今のところ、今後も使う予定がないとのこと。調査を始めてようとしてもなぜそんなことを聞かれなければならないのかと逆に聞いてくるので、その場で保険者に電話して状況を説明して結局、調査を中止しました。

 要支援の人を受けるよりは認定調査を受けるほうが後腐れもなく(?!)お金的には良いと以前書いた気がします。大体においてその気持ちは変わっていませんが、最近は包括もそんな委託をうけるケアマネージャーの気持ちも分かってきたようで大分、要支援の書類については鷹揚に(?)なってきた気がします。

 「介護の社会化を進める1万人市民委員会 2010」では「要介護認定は絶対必要」とする人たちがいる一方で「利用者本位を目指す『要介護認定廃止』」という人たちもいて、認定方法や調査についてはまだまだ問題がある気がします。