水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑えるユーモア短編集-47- 適度

2017年02月16日 00時00分00秒 | #小説

 物事は、すべて適度が無難(ぶなん)だ。熱すぎても温(ぬる)すぎても風呂に気持よく入れないのに似ている。つまりは、ほどほど、小難しく言えば中庸(ちゅうよう)をもって良しとす・・ということだ。そうはいっても、人生に塗(まみ)れていると、世間の柵(しがらみ)によって、どうしても片寄らざるを得ない機会が多くなる。ここで個人の力量が見え隠れする訳だ。適度の使い方を会得している免許皆伝者は姿や結果を残さず霞(かすみ)のように消えるのだ。実際は存在しているのだが、無関係な霞に巻かれ、透明人間化できる訳だ。この男、俵木(たわらぎ)もそういう男だった。管理者か? と訊(たず)ねられればそうでもなく、かといって、平(ひら)の職員か? と訊(き)かれてもそうではない課長代理という曖昧(あいまい)なポストに甘んじていた。甘んじているとは、取り分け、出世しようとも思わない男・・ということに他ならない。
「俵木さん、そろそろどうですか?」
 課長の米坂(まいさか)が意味深(いみしん)に笑みを浮かべ、課長席の前に座る俵木に訊ねた。課長、副課長、課長補佐、課長代理の席は、他の職員達の席より窓側の最前列にレイアウトされていた。
「…そろそろとは?」
 俵木は意味が分からず、逆に訊き返した。
「ははは…いやですな。あと数年で定年ですから…」
「私ですか? はあ、まあ…」
「ですから、そろそろ…」
「…そろそろ、なんでしょう?」
「いや、実は課長補佐の川平さんが本社の副課長にご栄転でしてね。で、席が空きましてね…」
 米坂は歯に物が挟まったような口調(くちょう)で言った。
「ああ、その話は私も川平さんから聞いて知っております」
「ああ、そうですか。…ですからね!」
「ですから? なんですか?」
 俵木にダ洒落(じゃれ)を言う気は毛頭なかったが、そう返していた。
「いや、どうということもないんですがね。そろそろ管理職になられるお気持は?」
「ははは…そういうことでしたか。私はもういいんですよ」
「そうですか?」
「はい。今の立場が、私には一番、適度なんです」
 俵木は、いい湯加減の血色いい顔で笑った。今さら管理職で同僚を見下ろす・・というのが、適度な職場環境での退職を乞(こ)い願う俵木には耐えられなかったのである。
 適度とは気楽とまでは言えない人々のユートピアなのだ。

                             完


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