おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

速報 『宮城県復興ボランティアバス(石塚観光さん運行)10/20号』 @ 大川小学校

2018年10月21日 10時41分46秒 | 3.11ボランティア 茨城県水戸から宮城県11年間参加<<社会福祉協議会>>

行くぜ! 久々っっ さん『宮城県復興ボランティアバス(石塚観光運行)10/20号』 @ おやじボクサー

予定通り行けました。

 

 

 

最終乗車地点。

那珂市役所前。

午前4:20.

 

自宅から近くないけれど、

乗車時間が遅い為、

いつも乗車地点はココです。

 

 

皆さん各自で積み込みです‼

軽いものは車内へ。

 

 

乗せて下さった石塚観光さんには、

毎々感謝の言葉もありません。

ボランティア帰りに。

運行して下さっている石塚観光・綿引社長さん。

尊敬する綿引社長さんへ記念写真をお願いです。

 

 

 

20日のボラ・バス。

久方の参加でした!

(昨年は満席で参加出来なかった事が2回有り)

 

現地作業時間は限られているけど、

体力自慢の僕にも、

いつものことですが・・・・・・・・・・、

くたくった。

 

 

体に「重し」が乗ったように、

正直言ってすげー疲れた。

バギバギです。

 

勿論、

楽なことなんてないと思っての参加です。

 

全身乳酸が溜まりました。

何故か筋肉痛です。

 

 

 

ボランティアに、

楽な事なんてありませんが・・・・・・・・・・・、

行く度に「行く前」の重い気分

(どうして貴重な休日にお金払って疲れることに挑むのか?)

散々周囲にも言われて来たし、

理解出来ないって言う言葉も言われて来たけど、

言葉の数々が、

いつも頭をよぎるけれど。

 

 

終えて帰って来ると、

ほんの微々たる部分しか触れていないし、

携われていないけれど、

行けて良かった・・・・・・っと納得する。

 

終わってみると、

言われて来た言葉なんてどーでも良くなる。

現地に来た者しか出来ない事、

それを少しでもやれたって自負もあるし。

 

結局、

何に対しても、

他人に対して非難する事なんて簡単なこと。

 

同じ環境で、

もっと凄い事が出来た人に言われるのなら、

素直に認めよう。

でも、

行かない人や、

何もアクション起こさない人に、

あーだ・こーだ、と言われる筋合いは無い。

 

僕はここ2年間、

ボランティアへの参加頻度が激減してしまったけれど。

3.11の発生した年の秋から、

単独(友人と2人で乗用車で宮城県へ)で足を運んでいて、

その翌年から石塚観光さんのボラ・バスに参加させてもらってます。

 

 

 

今でも、

当然、

満足な帰宅なんて有り得ない。

そーゆー場所へ行ったんだもの。

 

時間は戻せない。

 

 

悲しいことも、

再度思い出すこともあるけれど、

多過ぎて夢にも浮かぶ時があるけれど。

 

 

もう現地では泣きません。

多分・・・・・・・泣かないと思う。

 

 

 

忘れないでいることの大切さ。

命の大切さ。

災害の恐ろしさ、

色々なことが未だに昨日のようです。

 

 

自分本位であっても、

どこかで止まったままの3.11と向き合って、

歩き出せるようになるまで、

今後も「向き合わなくちゃ」ならない事、

時間は未来永劫必要としそうだけど。

想いは凄く大切だと思う。

 

 

 

何かの一歩。

どこかへの一歩。

進まなきゃ。

忘れようとするんじゃなくて、

心に残した一歩を前へ進めなきゃ。

 

 

きっとまたいつか?

また津波に遭う夢を見て自失呆然になるんだろうけど。

 

 

僕自身も、

どこでどんな災害に遭うのか?

他人事じゃないことも3.11で学んだ。

津波に追われた生き証人だと、

自己紹介でも言えるくらいの経験をしてる。

 

 

 

大川小学校。

 

ここは今でも、

当日の子供達の匂いがする。

そんな場所です。

 

もう学校の存在はとっくに失っていて、

遺構である存在です。

 

 

ここで作業するとき、

つい校庭を、

旧・校舎側を見渡してしまう。

 

どこかで、

間違って、

声が聞こえてきそうだ。

 

 

この場で凄い津波があったんだな、 

と、

思わせる。

悲鳴が聴こえる。

 

この現地を遺構として、

今後も存続させるのか否か?

様々な気持ちが交錯している話も耳に入ります。

 

 

心から見たくない人、

後世に残したい人、

存続に関する維持管理費等々。

様々な問題点。

 

国って・・・・・・・・・、

そう言う事にはノータッチなんだね。

(僕が知らないだけか?)

 

 

 

大川小学校。

僕も自分なりに、

またそれを伝えて行きたい。

 

もうTVでもメディアでも、

流れるニュースも限られているし、

3.11前後になると特集が組まれる頻度だし。

 

 

僕は現地だけの問題にさせてはいけないと思う。

 

 

今まで、

津波で御家族を失った方の、

御話を直接聞いて来たけど、

重過ぎる事実。

 

 

そしてココは、

誰も何も、

語らない場所です。

 

 

 

自分自身が現地へ行く頻度もこれだけ減っていて、

どの口がしゃべってんだか。

っと言われたって。

 

 

 

やはり。

何度訪れても、

3.11からそのまま残っている現地は、

当時の記憶を強烈に呼び起こす。

 

 

 

 

企業としての健全な収支を完璧に無視して、

運行して下さっている石塚観光さんに、

毎々のことながら感謝の念しかありません。

 

 

僕達参加者は、

道中のバスでも、

仮眠は得られるし、

だまって景色を眺めてても許されるけど、

運行されているドライバーさんや、

添乗をして下さっている方にはそうかいかないもんね。

大変申し訳なく感じます。

 

 

そして。

こんな地方のブログであっても、

3.11のこと何かを伝え続けて行ける事。

 

 

今まで圧倒的に数少ない中で、

参加者の方から、

ボランティア参加のキッカケになったと言われた事。

少しは役に立てたのかな・・・・・・・・、

っと思いたい。

見てて下さってる方に声を掛けて頂いたことも。

 

 

 

出来れば、

このブログ見る人に何かを考えてもらえて、

行く・行かない問わずに、

被災地をもっと知ってもらえて、

震災の怖さを知って欲しい。

 

 

関係ないと思う人にとっては過去の惨事だけど、

3.11だって「まさか」の出来事が起こったくらいです。

 

いつ・どこで・どんな?

何が起こっても不思議じゃ無いんだって、

今後の災害に対する考えも含めて、

心の中に何か一つでも?

決めごとを作ってもらえると良いと思う。

 

 

「いざ?」という事は、

自分に何が出来るのか、

自然災害は、

ある日突然、

現実に不意に起こり得るって刷り込んでいて欲しいし。

 

 

3.11だって、

1000年に一度って言われてた災害だもの。

 

 

だから。

伝え続けて行けるものは、

可能な限り伝えて残したいです。

 

それが写真であり、

自分自身で体力にモノを言わせて行動したり。

 

 

その事に対してどんなことを言われようと、

僕は全く気にしません。

現地での姿を見て判断してもらえれば、

それがボランティア時の「姿(自分)」ですから。

 

 

全身くたくたになって帰って来れること、

それが答え‼

 

 

 

by おやじボクサー

 

 

追伸

帰りの道中。

バス車内では・・・・・・・・・・・・・・爆睡でした。

何だか?

宮城県を出発して、

あっとゆーーー間に茨城県へ戻って来てしまったかのような。

錯覚すら。。。。。

 

 

 

追伸2

毎々の事だけど、

いつも勝手にボランティア参加を決めてしまい、

それでも連れ添ってくれる奥様(現地では男女別々の場所・作業分担ですが)

優しい奥様に心から感謝です。

深く深く感謝です。

 

だから。

僕は?

もし何かが起こったのなら・・・・・・・・・・・、

奥様を守る盾になれるのなら、

1秒でも僕より長く生き永らえるよう、

全てをつぎ込みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。