1月14日(土)
アメリカ人は朝早く起きて7時前に出て行った。俺も今日は出発。
バスでトリポリスまで行き(130キロ 152Dr 高い!)乗り換えてスパルタまで(60キロ 71 Dr 高い)。
オリンピア→トリポリの山越えは素晴らしい景色であったがバス代があまりにも高すぎるのではないかね。
トリポリでの乗り換えに1時間ほどあったのでカメラの電池を買おうと思いカメラ屋を数軒訪ねたところ東芝のがあったのだが
一つの値段がなんと95 Dr 700円以上もするではないか。ローマで聞いたときは約500円だったのに(これはイタリア製)。
結局アテネまで買うのをあきらめた(アテネでも同じぐらいだったらどないしょう)。くそっ!1年ぐらいは持つと思っていたのに。
なんと不便なカメラじゃ。(貰い物だからそう文句も言えず)
スパルタには夕方4時に着。小さな町である。皆が俺を珍しそうに見ている。ポリスに荷を預け宿を探したが(半分は泊まる気はなし)
3人部屋で一人100 Drと言うのがあったがバス代が響いているので野宿に決定。
ポリス近くの大きな教会の入り口に適当な場所があったがあまりにもポリスに近すぎる。町の外れに学校があった。
門も何もなく開けっぴろげなので出入り自由。6時頃ここで飯を食い(例のおじや)8時前には寝た。校舎の3階の階段の上。
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1月15日(日) 小雨
熟睡できず。夜中に警備員が階段を上がってくる夢を見た。可笑し。
7時過ぎに起き8時過ぎには出た。荷をツーリストポリスに預け4キロほど離れたMistrasに行った。ここの遺跡は大したことはなかったなぁ。
Pantanassa修道院の壁画がまあまあ良かった。土などが付いている壁画を保存作業の人がナイフで削り落としている最中であった。
夕方 スパルタに戻ってきたらグラウンドでサッカーの試合をやっていた。ギリシャのプロリーグか?
スパルタのチームはへたくそで負け試合のようだった。夜 再び例の場所に行き飯を食い寝た。8時前。
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1月16日(月)
朝6時過ぎに起きて早速支度をした。8時には授業が始まるらしい。7時45分のバスでトリポリまで。汽車でミケーネ(ミキナイ)。
駅から約2キロの所に村がありそこまで歩いて行く途中 オレンジを出荷する最中のオヤジたちが俺を見て
「日本人か? あっちがミケーネや。これ持ってけ。」と言ってオレンジを10数個くれた。
YHはレストランの2階にあった。ひどい所だ。ポルトガル人(仕事で)カナダ人がいて俺の後から米国人とオーストラリア人がやってきた。
遺跡(アクロポリス)はそれほど良くはなかった。(アテネの神殿跡 ライオンの門 円形墓地など)
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1月17日(火)
今日はアテネまで。 オーストラリア人のアベックがナフリオンに行くと言っていたのをやめて(雨のため)アテネに戻るらしい。
昨日 彼らにSTUDENT HOUSEの場所を教えてやったので俺と一緒に行くことになった。
汽車でアテネには2時過ぎに着いたのだが 俺が「徒歩(2キロ)で行く」と言うと彼らは「バスで行く」と言うのでそこで別れた。
STUDENT HOUSEは6人部屋で60Dr。 なんと同じ部屋にナフリオンで会ったカゲ氏のバッグが置いてあるではないか。他にもう一人日本人がいるようだ。
さっそく街に出てみた。プラカ地区のほうは面白そうだ。マドリーでシマ氏に教えてもらったSTUDENT HOSTELを見つけたので入ってみたら
なかなか感じの良い所だったので明日からここに移ることにした。10人部屋(二段ベッド五つ)で50Dr 7人部屋60Dr 4~5人部屋65Dr の他2人部屋がある。
60Drの部屋に泊まることにした。 STUDENT HOUSEのほうはビルの3階(実は4階)にあり上り下りのらせん階段がしんどいし受付の女が
気に食わん奴だったからでもある。
夜 部屋で縫物をしていたら なんとパリ マドリーで会ったモロッコ商人(ウチ氏)と再会した。もう とっくの昔に下ったと思っていたのに。
聞いてみたら家からの荷物が遅延していたらしくひと月ほど待ったそうだ。その間にエジプトへ行ってきたらしい。金があるなぁ。
エジプト 強制両替1カ月150$(US)
マドリ―でシマ氏が描いてくれた地図
アメリカ人は朝早く起きて7時前に出て行った。俺も今日は出発。
バスでトリポリスまで行き(130キロ 152Dr 高い!)乗り換えてスパルタまで(60キロ 71 Dr 高い)。
オリンピア→トリポリの山越えは素晴らしい景色であったがバス代があまりにも高すぎるのではないかね。
トリポリでの乗り換えに1時間ほどあったのでカメラの電池を買おうと思いカメラ屋を数軒訪ねたところ東芝のがあったのだが
一つの値段がなんと95 Dr 700円以上もするではないか。ローマで聞いたときは約500円だったのに(これはイタリア製)。
結局アテネまで買うのをあきらめた(アテネでも同じぐらいだったらどないしょう)。くそっ!1年ぐらいは持つと思っていたのに。
なんと不便なカメラじゃ。(貰い物だからそう文句も言えず)
スパルタには夕方4時に着。小さな町である。皆が俺を珍しそうに見ている。ポリスに荷を預け宿を探したが(半分は泊まる気はなし)
3人部屋で一人100 Drと言うのがあったがバス代が響いているので野宿に決定。
ポリス近くの大きな教会の入り口に適当な場所があったがあまりにもポリスに近すぎる。町の外れに学校があった。
門も何もなく開けっぴろげなので出入り自由。6時頃ここで飯を食い(例のおじや)8時前には寝た。校舎の3階の階段の上。
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1月15日(日) 小雨
熟睡できず。夜中に警備員が階段を上がってくる夢を見た。可笑し。
7時過ぎに起き8時過ぎには出た。荷をツーリストポリスに預け4キロほど離れたMistrasに行った。ここの遺跡は大したことはなかったなぁ。
Pantanassa修道院の壁画がまあまあ良かった。土などが付いている壁画を保存作業の人がナイフで削り落としている最中であった。
夕方 スパルタに戻ってきたらグラウンドでサッカーの試合をやっていた。ギリシャのプロリーグか?
スパルタのチームはへたくそで負け試合のようだった。夜 再び例の場所に行き飯を食い寝た。8時前。
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1月16日(月)
朝6時過ぎに起きて早速支度をした。8時には授業が始まるらしい。7時45分のバスでトリポリまで。汽車でミケーネ(ミキナイ)。
駅から約2キロの所に村がありそこまで歩いて行く途中 オレンジを出荷する最中のオヤジたちが俺を見て
「日本人か? あっちがミケーネや。これ持ってけ。」と言ってオレンジを10数個くれた。
YHはレストランの2階にあった。ひどい所だ。ポルトガル人(仕事で)カナダ人がいて俺の後から米国人とオーストラリア人がやってきた。
遺跡(アクロポリス)はそれほど良くはなかった。(アテネの神殿跡 ライオンの門 円形墓地など)
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1月17日(火)
今日はアテネまで。 オーストラリア人のアベックがナフリオンに行くと言っていたのをやめて(雨のため)アテネに戻るらしい。
昨日 彼らにSTUDENT HOUSEの場所を教えてやったので俺と一緒に行くことになった。
汽車でアテネには2時過ぎに着いたのだが 俺が「徒歩(2キロ)で行く」と言うと彼らは「バスで行く」と言うのでそこで別れた。
STUDENT HOUSEは6人部屋で60Dr。 なんと同じ部屋にナフリオンで会ったカゲ氏のバッグが置いてあるではないか。他にもう一人日本人がいるようだ。
さっそく街に出てみた。プラカ地区のほうは面白そうだ。マドリーでシマ氏に教えてもらったSTUDENT HOSTELを見つけたので入ってみたら
なかなか感じの良い所だったので明日からここに移ることにした。10人部屋(二段ベッド五つ)で50Dr 7人部屋60Dr 4~5人部屋65Dr の他2人部屋がある。
60Drの部屋に泊まることにした。 STUDENT HOUSEのほうはビルの3階(実は4階)にあり上り下りのらせん階段がしんどいし受付の女が
気に食わん奴だったからでもある。
夜 部屋で縫物をしていたら なんとパリ マドリーで会ったモロッコ商人(ウチ氏)と再会した。もう とっくの昔に下ったと思っていたのに。
聞いてみたら家からの荷物が遅延していたらしくひと月ほど待ったそうだ。その間にエジプトへ行ってきたらしい。金があるなぁ。
エジプト 強制両替1カ月150$(US)
マドリ―でシマ氏が描いてくれた地図
