2月26日(日)
朝 8時半出発。フルダバードまで歩いた。 (今日からまたゲリ)
10時発のボロバスに乗ってSillodまで。乗り換えてアジャンタケイブには2時ごろに着いた。土産物屋いっぱい。まずホテル探し。
案内書には穴から0.8キロの所にForest Guest Houseが一軒あり あと5キロの所にバンガローなどが数軒あると書いてある。0.8キロのほうに決めた。
早速あたってみたら割と小奇麗なところでベッドに蚊帳もついている。が ダブルの部屋が二つしかないのだ。
オヤジに「泊まりたい」と言ったところ「ここは予約者しか泊まれないのでダメだ」とぬかしやがる。
「だが今日は予約がないのでベッドをもう一つ運んできて3人泊めてやる」と言ってくれた。
最初は 一人7.5ルピーずつ払えと言ってきたが後からの交渉で安くなった。ダブルルームは10ルピーで エキストラベッドは
7.5ルピーだから合計17.5ルピーになった。
だが この部屋にはシャワーもないのだ。南京虫はいない。荷を置いてアジャンタケイブに行った。入場料50パイサ。
ここは仏教の洞窟であのエローラのヒンズー教の洞窟のような華やかな彫刻はないが壁画がいっぱい残っているのだ。
壁画が残っている穴は真っ暗で 明かりがないと何も見ることができないので何ルピーか出せばガイドとライトが付いてくると言う仕組み。
我々はそんな大金は出せないので金持ちの旅行者の後ろに付いて見せてもらった。
腹具合が良くないので三食抜き。バナナとオレンジで過ごした。
チャイ0.25 ミカン2個0.6 ミカン3個0.75 ミカン3個1.00 バナナ大6本1.00 アジャンタ穴0.5 泊まり6.8 リムカ1.5 ラッシー1.00
バス代フルダバード→シロド シロド→アジャンタケイブ2.9 合計17ルピー
【「リムカ」はライムの入った瓶入りの炭酸料水】
マークと
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2月27日(月)
アジャンタにはもう少し長く居るつもりであった。昨日のホテルには一泊しかできないことになっていたので(今日は予約者が来ると言う)
5キロ離れた村に泊まってもう1~2日いても良かったのだが洞窟は1日で見てしまったし(エローラに比べ良くないと思った)
あまり長く居てもすることがないので先に進むことにした。
9時半のジャルガオン行きに乗った。4ルピー。
11時半頃に着いてバスターミナルのすぐそばのAjanta Guest Houseに泊まることにした。3人で12ルピー。南京虫あり。
サトナ行きの汽車は早朝2本と14時の午後1本だったから午後のやつに乗ることにした。
寝台の予約を取りたかったが始発の駅ではないのでダメだと言われた。乗ってからの状況次第。
ラッシー1 リムカ1.25 ビール1/3杯2.2(1本6.5) 変な豆の食べ物(ポンポンそば?のから揚げ 甘ソース 玉ねぎ入り)0.8
ラッシー1 ジムジムソーダ(赤い)0.85(非常に不味い) ココナッツソーダ0.8(まあまあ)
夜1.5 定食風(ダルカレー 野菜 オクラ チャパティ2枚 ライス)安い バス4 泊まり4 +朝チャパティ0.3 ポテト0.8 合計18.5ルピー
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2月28日(火)
昼前にチェックアウト。やはり南京虫は出た。彼ら二人は古い木製のベッドに寝たのだった。
朝起きてみるとマークの腕 足 首 胸のほとんどが赤く腫れている。コモ氏もだいぶやられている。
俺は金属製のエキストラベッドに寝たのでそうでもなかったがやはり4~5カ所かまれた。どうも俺の血は奴らにとって美味くなかったらしい。
【実は 私も最初は彼らと同じ部屋の中で木製のベッドに寝ていた。「少しは咬まれても仕方ないか」と思いながらも念のために
ベッドの面を覆うぐらいにビニールのポンチョを長方形に広げて南京虫の侵入を防いでいたのだが しばらくしてやはり防ぎきることは
出来そうになかったので部屋の外のテラスにある金属製のベッドに移ることにしたのだった。
2階の広いテラスでは既に数人のインド人の一般旅行者が全身(頭からつま先までミイラのように)すっぽりと布にくるまって静かに眠っていた。
金属ベッドは骨組みだけで寝台にはマットが無くロープを網状に張っただけの簡易なものでたぶん宿泊費も安価だったのだろう。
外では何かの祭りのようなことをやっていた。】
サトナ行きの汽車は14時11分発。時間つぶしにジュース屋へ入っていろいろと飲んだ。
駅のホームで汽車を待っていたら昨日アジャンタで会った二人の日本人若者に再会した。カジュラホまで行くらしい。
しばらくしてもう一人日本人がやってきた。彼は一等寝台に乗ってヴァラナシまで行くと言う。
我々3人は結局 二等自由席に乗ることになった。もちろん混んでいて席らしい席もないので通路に座り込んだ。
二等は面白い。 乞食あり 芸人あり 神に関したことを話してはバクシーシするものもあり その他いろいろ。
あと 混んでいる車中なのにいろいろなモノを売りにやって来る。
朝定食2 ラッシー1 チャイ0.3 アイスクリームソーダ0.8 リムカ1.5 昼1.0 夜1.0 ミカン1.0 チャイ0.3 バナナ1.0 合計9.35ルピー
+汽車賃32.5ルピー
【「バクシーシ」は物乞】
【この汽車内で印象に残っていた出来事があったようで 後日 日記ではなく別の用紙に書きとどめていたものが出てきたので記す】
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「チョロ」
ヒンズー語で「どけ!」「どいてくれ」「あっちへ行け」と言う意味。
78年2月末日 私はインドの汽車に乗って北上中だった。
ボンベイとヴァラナシを結ぶ本線なのだがボンベイからバスでエローラ アジャンタ石窟寺院を見物した後 本線途中の
ジャルガオンと言う駅から乗り込んだのである。
14時11分発の汽車は夜明けの頃にサトナに着く。急行で寝台(もちろん板の台である)もあるのだが始発から乗るわけではないので既にいっぱいになっていた。
しかたなく二等自由に乗り込む。木製の座席は二段になっているが既に満席。もっとも上段の席を一人で占領している者もいるが。
立っていても疲れるだけなので新聞を敷いて出入り口近くの床に座り込んだ。
時が経つにつれてだんだんと乗客が増えてきた。多分 金も払わずに乗り込んでいる奴もそうとう居るに違いない。
夜中になっていつの間にかアメリカ人が近くに座っていた。旅慣れている様子だ。
近くにインド人の中でも下位の階層に近いと思われる40歳ぐらいの男が壁を背にして床に直に座っていた。辺りは足を伸ばすこともできない程だ。
しばらくして駅に着きまた人が乗り込んできた。
その内の一人で服装からして決して中ぐらいの階層に位置する風体ではなくもっと下の層に位置すると思われる男がいた。
隙間もない所に自分の隙間を作り先ほどの男の近くに座った。
しばらくの間 あとから乗ってきたその男は自分を新入りと自覚しておとなしく座っていたのだが 自分の場所があまりにも狭く窮屈になって来たのか
自分より下の身分であろう先の男のほうへ自分の領域を広げだした。 侵略を受けたほうは嫌な顔もせず黙ってそれを許した。
しばらくはそのままの状態が続いたのだが領域を広げたほうの男は今度はその領域を全部奪ってしまうべく言葉を吐いたのだった。
「チョロ」
先の男はさすがに今度は嫌そうな顔付きをしたのだが仕方なさそうにのそりと立ち上がって別の空間を探して周りの者に恐縮しながらちょこんと座り込んでしまった。
それを見ていた私の横のアメリカ人青年旅行者が激怒したのだった。
「あいつが先に座っとったんやんけ! ワレはあとから来たくせしてなんでそんなことをするんじゃえ! お~~!」
言われた男 まさか外国人に叱られるとは思っていなかったのか何語で言い返したらよいのか分からないまま顔はきょとんとしている。
『この毛唐は何をこんなに怒っとるんやろか?』 とでも思っていたのだろうか。
アメリカ人は続けて何やら言っている。
「なあ あんたは何でどいたんや? 元の所に座っとらんかいな え~~!」
移動させられたほうの男は 『これはこの国ではしゃーないことなんや。俺はここでもええんや。』と言うような感じである。
驚くべきことに今度はアメリカ人があとの男に向かって
「オイこら!お前どけ!どいたらんかえ~! チョロ!チョロ!チョロ!!」
叱られたほうはこのすごい剣幕のごっついアメリカ人には腕力では負けると思ったのだろう。すごすごと場所を譲り始めたのだった。
【もちろん アメリカ人の若者もインド人も大阪弁を話さない】