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穴賀篤鱈から羽入鱒粘へ

折々の写真なども

ペレ氏の訃報

2023年01月01日 | 日記





 ペレ氏の死去を悼み古いサッカーマガジンのページをめくりました。
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タイ6

2022年07月09日 | 日記
3月22日(水)

2時間程しか眠られなかった。PKで日本から来たという男二人も我々の近くで寝ていた。
朝 7時過ぎのバスで市内まで。 もう一人PK で来ていた男の人と一緒にタイソンに泊まることになった。
トイレなし シャワーのみで35バーツ。部屋は建物の中央にあり外気が入って来ないので全く蒸し暑い。

【「PK」はパキスタン航空のこと】

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3月23日(木)

日本人会に行って待望のうどん(天ぷら)を食った。25バーツ。
その帰り ラジギール(インド)の日本山妙法寺で会ったサカ君と再会。 飛行機の中(空港?)でリュックのパイプを潰されたので
今タイ航空まで文句を言いに行っていたところだという。日本に帰ってから白黒を付けるらしい(修理してくれたが変な直し方だったらしい)。
ホテルはペプシの裏あたりだという。

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3月24日(金)

明日ぐらいにチェンマイに行こうと思う。

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3月25日(土)

同室の○さんが宿を変るというので一緒に出ることになった。もっとも俺は今夜のバスでチェンマイに行くのだが。
それまで俺の荷物(手提げとナップザック)を部屋に置かせてもらった。
リュックサックはタイソンに20日間ばかり預かってもらうことにした(20バーツ取られた)。
○さんの新しい宿は「南洋旅社」と言って中央駅のすぐ近くでタイソンからも近い。シャワー付きで40バーツだがたいへん静かで居心地が良さそう。
俺も今度バンコクに戻ってきたらこっちに宿を取ろうと思う。タイソンはうるさ過ぎる。
午後 彼とサンデー(ウィークエンド)マーケットに行った。バナナの菓子(パック入り)5バーツとポケットウイスキー(13バーツ)を買った。
あと手当たり次第に今まで飲んだことの無いジュースや飲み物に手を付けた。贅沢をしている。
彼は2バーツで鏡を買った。「すごい買い物をした気分だ」と言っていた。


   【「南洋旅社」については2021年1月3日付の記事「タイその2」に詳しく書いてある。】

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3月26日(日)

チェンマイ行きの夜行バスは冷房の効いたリクライニングシートのデラックスバスであった(77バーツ)。
夜の10時前に出て朝の6時に着いた。あまり寝られなかった。
CHIANG MAIに降り立ってまず便所に行き朝飯を食い30分程歩いて市中に近いPK ゲストハウス(○さんに教えてもらった)に行ったら
うまい具合に空き部屋があった。 トイレシャワー付きで40バーツ。大変きれいなところで気に入った。
さっそくひと眠りして午後からブラブラ。小さな町である。人も良さそう。ここにも中国人がたくさん入っている。
市場で中国製のニンニク付けを買う。ひと瓶18バーツ おいしい。
夜 赤線をひやかしに行った。


   

   

   

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3月27日(月)

朝 インフォメイションに行ってメオ族部落への行き方を聞いた。明日にでも行ってみようか。キックボクシングは31日にあるとのこと。
午後 頭痛が起り部屋で夕方近くまで寝ていた。今朝は元気があったのに。


   【メオ族ハガキ メオ族の部落にはいかなかったがこの絵ハガキにはとても満足している】

   

   


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   【古―い旅日記はここまででおしまい。
    3月27日に「頭痛で寝込んだ」とあるが 肝炎に罹患してしまったのだ。
    白目が黄疸になり尿は鮮やかな濃いオレンジ色 便は灰色になった。
    チェンマイにはもう1~2日ぐらいいて 病院へ行くためにバンコクまでバスで戻った。
    病院で薬をもらい順調に回復したと思うのだが何故かその後は日記を書いていない。

    下のほうの写真にあるように帰国したのは4月18日だからその間はバンコクでのんびりしていた。】


バンコクでの怠惰な生活。

・通りにある散髪屋に行って順番を待っている若い男の頭を指さして日本語で「同じようにして」と言ったらオヤジに
 「あんたタイ人とちゃうんかいな」と言って笑われた。
・帰りの飛行機の再予約をしにパキスタン航空の小さい事務所に行ったら拙い英語のためそこの事務員の若い女どもに嘲り笑われて悔しい思いをした。
・中国製の戦争映画を見ていたら日本人の兵隊ががケチョンケチョンにやられていた。当然といえば当然。
・下町の安い演芸館に入って最前列のかぶりつきで見ていたが内容が良く分からなかった。
・路線バスの一番長い線に乗って終点まで行ったらそこは湿地帯の薄暗い森のようになっていて道を縫って入ってゆくと
 食堂のような小屋があり訳の分からない汁麵を食った記憶がある。
・タイ人の若者(男)の多くがカッターシャツの後ろだけジーンズの中に入れ 前はべローンと出しているのを見て
 「これが新しいファッションなのか」と思ったりした。


旧正月の行事に出くわした。
放生会と泥かけまつり。























   
絵葉書
    

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1977~78年 穴賀篤鱈の古~い旅日記
写真帳と共に


   おしまい

 

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インド11

2022年06月10日 | 日記
3月18日(土) 

列車の寝台は出入り口の近く(目の前)の賑やかなところだったので夜も騒がしくて眠りにくかった。

18日  朝1.0 みかんX2 2.0 チャイ0.6 きゅうり0.2 天ぷら1.0 玉子0.65 
ミルクドリンク1.25 昼3.1 ファンタ1.25   合計11.05ルピー

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3月19日(日)

朝 11時20分 ほぼ定刻通りビクトリアテルミニに着いた。
バスでサルベーションアーミーまで行こうと思ったが乗り場が分からず結局歩いて来てしまった(30分)。
玄関に入るとインド人の客が二人いたが満室だといって断られていた。俺が口をはさむとやはりFullだという。
しばらくして二人が出て行ったのでもう一度「ベッドはあるか」と聞いたところ今度は「ある」という。ふざけやがって。
荷物を置いて半日ブラブラしていた。博物館にだけ行った。
食事に出た豚肉が悪かったのかボイルドウォーターが悪かったのかまたゲリになってしまった。今度のは強烈。 
明日 日本に帰るという人からビールをおごってもらったがコップ2杯でダメ。しばらくして戻してしまった。

泊まり20.4 ラッシーX2 2.2 チョコカード【?】1.5 ピーナッツ0.8 博物館0.75 
パン0.6 チャイX2 0.6 コロッケ1.0 ジュース1.5  合計29.35ルピー

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3月20日(月)

昨夜は夜中じゅう腹具合が悪くて便所に行ってばかりだった。朝方から胃が痛みだした。正午近くまで続いた。
今日はマーケットに行こうと思っていたがダメ。
午前中はごろごろ。午後 通りの店でインド綿のチェックのシャツ(チーズシャツ)を買った。17.5ルピー。気に入っている。


  【「チーズシャツ」と書いてあるがその後の人生でこの言葉を聞いたことがない。 
   長袖(やたらと長い)で襟付きのそれは 生地はさらっとしたサッカー地で 洗うとギュッと縦皺が入って縮み
   少し窮屈になるので着るときには引っ張ってその皺を伸ばさなくてはならない。】

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3月21日(火)

1ルピーを払って荷を預けた。今日は残った金でタンドリーチキンを食った。Full 14.5ルピー。
今夜 同じ飛行機に乗って東京まで行くという人から勧められ もう一人サンチーに行くという奴と3人で食いに行った。
すごく高級な店で(もちろん冷房完備)食っている奴らも上等な人間ばかり。食後 満腹 満足。
空港には夕方5時前に入った。
ボンベイの日本山妙法寺に来ていてこれから東京に帰るというおばあちゃんと一緒になった。息子も坊さんで見送りに来ていた。
機内食にまたチキンが出た。が うまかった。
バンコクには夜中の1時半ごろに着いた。
同じ飛行機で来た日本人の若い女性も空港に一泊してから次の日に日本に帰るというので一緒に出国ロビーで寝ることになった。

  【インドでの最後の日にボンベイでタンドリーチキンを食べたレストランは「Delhi Darbar」とメモ帳に記してあった。】

  【ここ数日の写真が無いので拝借してきた。 
   上はそのレストラン(現在)。 下は夕方になると人が続々と涼みにやって来る名所の「インド門」】


   


       
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インド10

2022年05月14日 | 日記
インド10

3月15日(水)

朝 早速ドミトリーに移った。昨晩はネパール人の団体が泊まっていたらしいのだ。
このところ寝不足のためさっそく朝寝。午後 買い物のためガートのほうに向かって歩いて行った。
布のバッグ7ルピー えりまき2本10ルピー 茶5.42X2を買った。 歩き疲れたわいな。

死体の焼き場を見て初めてベナレスに来たという実感がわいた。 
死体は運ばれてきたときにガンガで水を浴びる。そして焼かれるのを待っている。
丸太を1メートルほどの高さに組み上げベッド状になったところに死体を乗せ またその上に丸太を積み 焼く。
焼かれ終わった死体は全てガンガへ放り投げこまれる。

ラッシー1.75 リムカ1.25 コカ・コーラ2 中華7.85 ミカン6個2 泊まり5 バッグ7 茶10.84 
えりまき10 リキシャ1.5  合計27.84ルピー

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3月16日(木)

何をすることも無しに1日が終わった。洗濯だけした。変な饅頭(バーン)が未だ一個残っていたので昼前に食べた。
午後 ついにインド映画を見ることができた。一応カラーであったが酷い色。赤みがかっている。
それに加えてフィルムのキズが酷い。 内容は全く分からず。理解に苦しむ。映画というよりも劇に近いと思った。
アクション ロマン コメディ ミュージカル ニュース これらの物が複雑に入り乱れている。 
途中からヘドが出そうなくらいにつまらなかった。
よくインド人はこんなものを見て手を叩いたり喜んだりしているなあ と不思議でしょうがなかった。中の席 1.6ルピー。
もしインド映画がすべてこの調子ならもう絶対に観ないと心に誓った。 それくらいにヒドイ。

ラッシー1.25 ミカン1 トマト1.2 チャイ0.25 コロッケ3個0.75 映画1.6 アイスキャンディ2個0.2 
ピーナッツ0.3 メシ3(ぼられた) リムカ2本2.5 泊まり5  合計17.05ルピー

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3月17日(金)

昨日の夜は蚊が多く あまりに蒸し暑くてよく眠られなかった。
明日の朝は早い時間にムガールサライからボンベイに向かうため今夜の内からムガールサライに
行っておかなくてはならないので朝10時35分の汽車に乗った。
朝のうちに出たのは駅のリタイアリングルームに泊まろうと計画していたからである。
早くベッドを確保しないとすぐに満員になるらしいので。

ベッド(ドミトリー4人部屋)にはきれいなシーツが敷いてあっておまけに蚊帳まで付いている。
部屋には鏡台がありシャワー トイレ 洗面台も付いていて入口に番人もいる。ドミトリー5ルピー。
駅前の通りは全部商店になっていたので驚いてしまった。

メシ1.7 ラッシー1.2 リムカ1.3 ピーナッツ0.9 ミカン1 ラッシー1.25 パン0.5 ゆで卵0.6 泊まり5  合計13.45ルピー



   【この夜のことはよく覚えている。 
    リタイアリングルームは駅のホームのすぐ傍にあり貧乏旅行者にとってはあまりにも小奇麗すぎる部屋だった。 
    ただ一つ残念なことがあった。
    眠りについてすぐにカサカサという音に起こされてベッドの足元を見てみると支柱にぶら下げていたバッグ
    (二日前に買ったばかりの黄色をメインにカラフルな糸で編まれた肩掛けのシンプルな袋)の底の角が破られて
    中に入れていたパンの屑が散らかっていた。 
    チュウにやられた。】


    





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インド9

2022年04月16日 | 日記
3月11日(土)

朝4時起き。5時発のラジギール行きに乗った。途中 ガヤの街中で朝食のため1時間休憩。
9時前にラジギールに着。早速 妙法寺に行った。泊まれるとのこと。朝食を食べさせてもらい境内を掃除。
しばらくして今朝早くから山に日の出を見に行ったという連中が帰って来た。男六人。残っていた女二人と共にツアー隊らしい。
昨日の夜に来て今から出るという。なんとお勤めもしていないではないか。
午後になって(昼食前)あとから降りてきた連中が5人ほど帰って来た。彼らは2~3日泊っているらしい。
夕方5時からお勤め。大太鼓2つに合わせて手に持った革の太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を唱えるのだ。
夕方7時過ぎまで続いた。食事は米と野菜のごった煮のようなものが主。 夜 皆で温泉に浸かりに行った。快い。


   【「なんとお勤めもしていないではないか」というのは私の思い違いで 彼らは山の上の聖地で朝日を拝みながらお勤めを
    していたのではないかと思う。】

   【「革の太鼓」は団扇太鼓のことで片手に持ちバチでたたく。 「だんだん良くなる法華の太鼓」】

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3月12日(日)

朝5時。太鼓の音で目を覚まし さっそく起きて堂に入った。

1日の日課 
5時-7時  お勤め
7時半-8時半  朝食
8時半-12時半  各部屋の掃除と境内の掃除 草取り等
12時半-13時半  昼食
13時半-17時  自由時間
17時-19時半  お勤め
19時半-20時半  夕食
22時半  消燈

 王舎城道場規約




昼食前に4人ほどで外に出て道端の店で変な菓子を買い 後になって効いてきて夕方のお勤めまで効いていたようだ。


   【「変な菓子」 これは日本ではたぶん違法】

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3月13日(月)

明日 出ることになった。食事が炭水化物ばかりなので胸やけがしてきた。
午後 日本から来ていた三人の坊さんが帰って行った。おかげで昼食はばら寿司にありつけた。うまい。

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3月14日(火)

朝 お勤めをして朝食を食べ部屋の掃除をしてから出た。
どうもお世話になりました。ありがとうございました。 南無妙法蓮華経。

9時半過ぎ インフォメイションでバスの時間を聞いたところ10時半だというので 
そこでウトウトしながら待っていたら10時10分にやって来たので急いで飛び乗った。全くアテにならん。
3時間ほどかかって(もっとかかった)着いたところはガヤの街の手前3キロほどの所。何故なのかと横の人に聞いたら 
このバスの運転手がライセンスを持っておらず この先でポリスの検問があるからここから先へは行けないらしいのだ。
バスの乗客が文句を言ったところ1キロほど先まで行って停まった。そこからリキシャで駅まで。
さっき横に座っていた人と同乗した。2キロか3キロは乗ったであろう。だが運賃は二人で1ルピーだけであった。
リキシャマンが文句を言ったので横の彼と言い争いになったが俺は先に歩いて駅に向かったので後がどうなったのかは分からない。

14時20分の汽車は混んでいたがしばらくすると空席ができるほどであった。
2タイアー【?】になっていたので俺は上の段に乗り込みベッドを占領した。おかげで寝転がってベナレスまで行くことができた。
検札は無かった。ヴァラナシの手前17キロの所にある大きな駅ムガールサライには8時半(9時前?)に着いたのに
なんとそこからヴァラナシまで来るのに3時間以上もかかってしまった。腹が立つやら呆れるやら。
零時を20分ほど過ぎていたがひょっとしてツーリストバンガローが開いているかもしれないと思って行ってみたら門が開いていて
中に入ることができたが空きベッドが無かった。庭で寝ようと思ったが夜露でびしゃびしゃだったので事務所横の廊下で寝ることになった。
これでガヤからブッダガヤ 妙法寺と今夜までずっと硬い所で寝たことになる。ええかげん疲れた。
これでも5ルピー支払わねばならないがまずは安心して寝られるのでこれはしょうがない。
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インド8

2022年03月24日 | 日記
3月5日(日)

6時半ごろ目が覚めた。よく眠った。 またゲリ。昨晩 駅の待合室で汽車を待っていたら英語を話せるおっさんがパコリ(天ぷら 唐揚げ)をくれ
それを食べていたら喉が渇いたので配給の水を飲んだ(少し)のが悪かったみたい。大分 胃や腸が弱ってきている。
10時半過ぎにVaranasi着。駅前のツーリストバンガローに決めていたので直行。ドミトリーしかない。11人部屋で5ルピー。
荷をおろしてすぐにガヤ行きの切符の予約をした。16時35分発で夜中の1時に着くと言うのでシートにした。
そしてついでにボンベイ行きの切符の予約(寝台)もした。60.95ルピー。 現在の残金 160ルピー。余りそう。

リムカX2 2.5 チャイX2 0.6 朝 1.0(サモサとじゃが) 泊まり5 リムカ1.3 ミカン8個 2 トマト 1 
リムカ1.25 中華9.45 ベナレス→ガヤ 12.5  合計23ルピー

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3月6日(月)

朝 ベッドに入ったままゴロゴロしていたらボンベイで会った変な女に再会。しゃべりで全くうるさい奴だ。
早速起こされていろいろ話をしてきた。参った。書くのもしんどい。
夕方16時35分の汽車なので正午にチェックアウトし荷を預け街をブラブラした。 
汽車は5時過ぎに来て乗り込んだのだが俺の予約した席はもう前から他人が座っていたようだった。30分ぐらいして車掌に告げたら
「どこか空いている席に座れ」と言った。全くふざけている。それに加えて4人掛けの席に5人も6人も詰め込んでくるのだ。
汽車はGayaに9時過ぎに着いた。 切符売りに騙された。夜中の1時に着くと言ったのに。
ブッダガヤにも行けないしホテルを探すのも面倒だったので駅に荷を預け駅のホームで寝ることにした。 蚊が多い。

リムカX2 3ルピー SPラッシー 1.75 ビスケット 1.75 バナナ12本 1,5 チャイ 0.5 荷物預かり 0.3  合計7.55ルピー

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3月7日(火)

インドの鉄道の駅は全く気が狂っている。朝も昼も夜もいつでも騒がしく静かになるときがない。おかげであまり眠ることができなかった。
朝6時半に起き支度をしてバス停まで歩いた。1.5~2キロほど西に行った所。9時前発(ミニバス)。40分ぐらいしてブッダガヤに着いた。田舎だ。
半分乾いたような広い河が傍にある。バスを降りたらすぐにガキが日本語で話しかけてきた。またか と思ったが悪くなさそうだったので
チベッタンの家はどこかと聞いたら連れて行ってくれた。
すごく良い所である。オジサン二人 オバサン一人 子供二人がとても良い人たちなのだ。1日1ルピー。ヤキメシや焼きそば 
ラーメン ギョーザ(Momo)などが1~1.5ルピーで食べられる。 
午前中ゴロゴロしていて午後にミカンと香を買いに出た。帰り道でジャルガオンから一緒の汽車に乗った奴(奴は一等)に会った。
インド人の知り合いの家(金持ち)にタダで泊まっていると言う。一緒に日本寺に行った。

朝 2.5 昼 1.75 夜 1 ミカン 1 香 0.6 バス 0.85 泊まり 1  合計7.7ルピー

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3月8日(水)

クルタとピジャマを作るために仕立て屋に行った。隣に布屋があってそこで寸法を測ってもらい 布を4メートル(5ルピーX4=20ルピー)買い
6ルピー払って作ってもらった。 夕方の4時に出来上がった。なかなか良いがズボンが少し短いのではないか(洗った後の話)。
今日は1日中ブラブラ。MUSEUMに行ったりした。
インドの考古学博物館はどこでもそうだが像や彫刻がちょっとだけ並べてあるだけなのだ(カジュラホ ブッダガヤ)。
ようやく日本語を話すガキどもの種類が判ってきた。商売人が主だが露骨な奴と商売気のあまりない奴がいる。商売人のほうが日本語が上手い。
日本製品をねだって来るが何も持っていないので売ることができない。
チベットの家 ベッドは手製で板の上に薄い布団(布に近い)が敷いてあってその上に布があるだけ。あばらに響く。
二人部屋だが俺しか寝ていない。 ベッドにクッションが欲しいなぁ。

焼きそば 1.5 ヤキメシ 1.5 餃子 1.5 アイスクリーム 0.35 リンゴ500グラム 2.5 人参 0.1 


   

   

   

   

   

   


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3月9日(木)

朝方 便意をもよおしたので便所に行った。戻って寝ていたらまた便意。大量に出た。
日本人が本「ユーラシア大陸思索考」を貸してくれたので河の向こうに読みに行った。木の陰に入るととても涼しく快適。
今夜は最高。楽しかった。劇も面白かった。

餃子 1.5 ヤキメシ 1.5 焼きそば 2 ヨーグルト 1 ミカン 1 泊まり 1  合計8~10ルピー

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3月10日(金)

今日は天気が悪い。朝のうちは青空に白い雲が浮かんでいたが昼過ぎになって雨がぽつぽつ。 
なに! 我々の部屋は天井を見上げるとところどころ空が見えてしまうというのに。 
「やんでくれ~やんでくれ~」とブッダに祈る。 そのせいか夕方 陽が沈む前になって西の空が明るくなってきて太陽が見え始めた。
今日は朝 銀行に行って20ドル両替しただけである。あとはずーっと家でゴロゴロ。 明日 ラジギールへ。

ハニートースト 0.75 チャイ 0.25 ヤキメシ 1.5 野菜ライス 1.5 餃子半分 0.75 ヌードルスープ 1 ヤキメシ 1.5 泊まり 1   合計6.75ルピー




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インド7

2022年03月09日 | 日記
3月1日(火)

ついに3月。春も近い。俺の旅もあとひと月ほどか。
サトナには朝の5時45分に着。まだ陽は昇っていない。早速バス停まで行ってカジュラホ行きの切符を買った。そこでまた日本人に会った。
彼も同じバスに乗っていたので話していたら彼はなんとネパールで警官に空手を教えているのだと言う。強そう。
俺がアフガニスタン イランと一緒に旅をしたホリ氏(空手五段 シンガポールのYMCAでコーチ)と言う人を知っているかと聞いたところ
カトマンズでホリ氏に会っていたらしく良く知っていると言っていた。世の中狭いなぁ。

バスは11時頃カジュラホに着き早速ツーリストバンガローに行ってみた。すごくキレイ。ベッドも立派。
四人部屋だが一部屋いくらという計算だから3人で20ルピーになった。一応3人とも二日泊まることになった。
コモ氏とマークは二泊した後アグラに向かうらしいが俺はここでもう少しゆっくりしたいと思っているので
近くのツーリストホテルかどこかを探さなければならなくなった。
夕食を食っていたら空手の先生(名前知らん)に会い「これからヨガを見に行くが一緒にどうだ?」と言うので
我々(コモ氏と俺)も付いて行くことになった。空手氏のネパールでの友人の友人と言うのが案内人。
東西両群の寺院近くの小屋に連れて行かれ そこには囲炉裏を囲んだ人影が数人。ヨガの本人(先生 じいさん)と弟子(大人一人 16歳一人)。
入ってすぐチャイをもらった。ヨガを数種類見せてもらった。実物を見るのは初めてだったのちょっと驚いてしまった。
彼は今 16歳の弟子をそこに置いて自分自身はインドを旅してまわっているのだと言う。野菜しか食べないらしい。

コモ氏とマークは南京虫にかまれた痕がひどくなってきたので明日医者に診てもらうことになった。心配ないと思うが。

  バス サトナ→カジュラホ7.5ルピー 天ぷら0.7 チャイ0.3 泊まり7 夜メシ5  合計22.5ルピー

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3月2日(木)

朝 一人で5キロ離れた村に行ってみた。バザールがあると言うのだ。
トコトコと1.5キロほど歩いたところで後ろから来た自転車(おっさん)が止まり「乗せてやる」と言うので親切で言ってくれているのかなと思いすぐに乗った。
村に着く手前で「チャイを飲まないか」と言うので「飲もか」と答えたらおっさんは店に連れて行ってチャイと菓子を注文した。
俺はチャイぐらいはおごるつもりでいたのだが奴が次々と別の菓子を注文するので『こりゃ全額出してくれるのかな?』と思っていたら
いざ金を払う段になって俺に今食べた物の値段を告げるのだ(1.75ルピー)。こりゃー一杯やられたわい。
こんな普通の一般市民(村民)までこうやってツーリストを利用しているのかと思うと情けなくなってきた。

午後 西群の寺に行ってみた。ここは全部ヒンズーの寺のようだ。内部と外の壁に施された彫刻 数体の天女アプサラスの像と
男女合体のミトゥナの像(数百体)はたいへん素晴らしく驚いてしまった。

  朝 例のチャイと菓子 1.75ルピー カレーとチャイ1.75 ラッシー1.5 レモンソーダ1.5 パジヤ(天ぷら)1.4 寺0.5 
  オレンジ1.3 泊まり7  合計16.7ルピー

   

   

   

   

   

   

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3月3日(金) ひなまつり

コモ氏とマークは飛行機でアグラまで行くことになった。
12時前 3人で宿を出た。彼らはバスで空港へ。俺は隣のツーリストホテルに泊まることになった。昨日会った日本人の若いカップルもここに泊まるらしい。
午後 東群の寺院(ジャイナ教)に行ってみた。寺は大したことはないが安置されている像(黒い石のやつ)がなかなか良かった。
その寺に行くまでに小さな村を通って行くのだがその村の感じがなかなか良くて写真を撮りたかったけどなぜかフィルムが18枚で終わってしまった。
これは中途半端なやつだったのだ。
村でカップルの彼らに会って一緒に寺に行って帰って来た。 夕方 宿に帰っていろいろと話をしていて彼(I氏)の出身が徳島市だと言うので 
なんとなく「南○○○町を知っているか」と尋ねたところなんと彼はそこが地元だと言うので「ではBさんと言う人を知っているか?」と聞くと
なんとBさんとは中学校の同級生だったらしいのだ。 全くの偶然に驚いてしまった。彼は現在京都のD大に行っているらしい。


   【突然に「Bさん」と言う名前が出てきたが この2年ほど前に私が北海道の阿寒湖にあるアイヌ村の土産物屋でアルバイトをしているときに
    知り合った方で その時の写真を送ってもらったりして何度かの文通があり徳島で唯一の知り合いと言うこともあって住所を覚えていたのだった。】

このホステルは最高。12人部屋のドミトリーだが泊り客が少なく今晩も我々3人とインド人が一人だけ。
夕食を注文したら泊り客(他にもダブルの部屋などがいくつかある)全員(7人)が集まり一緒に食べるのだが これがまた食べ放題なのだ。
腹いっぱい詰め込んでやった。

  朝 エッグカレー3ルピー+ライス1.25 ラッシー1.5 レモンソーダ1.5 サモサ0.25 チャイ0.25 ミカン4個1.25 ラッシー1.5 
  夕食6 レモンソーダ1.5 泊まり5    他 I氏よりフィルムネオパンSSSを8ルピーで買う。 23+8 合計31ルピー


  【コモ氏とマークと何度か一緒に食事をした中でマークがカレーの中に入っていた肉を見て怪訝そうに「これ何の肉だい?」と英語で聞いたので
   私が冗談で「マウス」と言ってやったら「WWWow!!」と大声を出してびっくりしていた。マークはとても素直でまじめな留学生だった。 ごめん。】

   

   

   

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3月4日(土)

朝8時ごろに目を覚ました。12時にチェックアウトだが午前中は何もすることが無かったのでバッグの修理をすることにした。
いろいろと破れた所やフレームパイプとの付け根が切れかけなのだ。一所懸命にやって11時過ぎまで掛かった。
正午にチェックアウト。マホバ行きのバスが4時半発なのでそれまで荷を預けてブラブラした。夕方から風が出てきて砂埃がすごい。
ボロバスは8時にMahobaの村に着。そこから駅までは5キロもあると言うのでリキシャで行くことにした。
バスの到着を待っていた車夫がすぐにやって来て1ルピーだと言うので乗り込んだら100メートルほど行ったところで「2ルピー出せ」と言う(若僧)。
「アホか」と言ってすぐに降りた。汽車の発車(午前零時頃)まで時間があったので歩いて行こうと決心して500メートルほど歩いたところで
おじさんに駅のある方向を聞いたら「遠いのでタンガ(乗合馬車)で行きなさい。75パイサだけだから。」と言ってすぐ目の前に停まっているタンガの運ちゃんに
声を掛けてくれた。値段は50パイサだった。
15分以上(30分ぐらいか?)乗って着いたところは畑のど真ん中にあるMahoba駅。メシを食うところもない。ハラへった。チャイとセオ【?】しかない。まいった。
汽車はうまい具合に寝台を取ることができた。

   ラッシー1.5 リムカ1.5 バス5 昼4 チャイ0.3 セオ0.4 タンガ0.5  合計13.2ルピー +汽車マホバ→バラナシ22.35ルピー(15.85+6.5)

  
   【バスで夜に着いたマホバの村は日本の夜店のような露店が並んでいて裸電球がぶら下がっていた。
    タンガに乗って村を離れて行くに連れて辺りは漆黒の闇になり本当に何も見えなくなってしまった。
    タンガに乗っていた時間が曖昧で分からなくなってしまったのは多分その暗闇のためではなかったかと思う。】

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インド6  追加あり

2022年02月19日 | 日記
2月26日(日)

朝 8時半出発。フルダバードまで歩いた。 (今日からまたゲリ)
10時発のボロバスに乗ってSillodまで。乗り換えてアジャンタケイブには2時ごろに着いた。土産物屋いっぱい。まずホテル探し。
案内書には穴から0.8キロの所にForest Guest Houseが一軒あり あと5キロの所にバンガローなどが数軒あると書いてある。0.8キロのほうに決めた。
早速あたってみたら割と小奇麗なところでベッドに蚊帳もついている。が ダブルの部屋が二つしかないのだ。
オヤジに「泊まりたい」と言ったところ「ここは予約者しか泊まれないのでダメだ」とぬかしやがる。
「だが今日は予約がないのでベッドをもう一つ運んできて3人泊めてやる」と言ってくれた。
最初は 一人7.5ルピーずつ払えと言ってきたが後からの交渉で安くなった。ダブルルームは10ルピーで エキストラベッドは
7.5ルピーだから合計17.5ルピーになった。
だが この部屋にはシャワーもないのだ。南京虫はいない。荷を置いてアジャンタケイブに行った。入場料50パイサ。
ここは仏教の洞窟であのエローラのヒンズー教の洞窟のような華やかな彫刻はないが壁画がいっぱい残っているのだ。
壁画が残っている穴は真っ暗で 明かりがないと何も見ることができないので何ルピーか出せばガイドとライトが付いてくると言う仕組み。
我々はそんな大金は出せないので金持ちの旅行者の後ろに付いて見せてもらった。

腹具合が良くないので三食抜き。バナナとオレンジで過ごした。

チャイ0.25 ミカン2個0.6 ミカン3個0.75 ミカン3個1.00 バナナ大6本1.00 アジャンタ穴0.5 泊まり6.8 リムカ1.5 ラッシー1.00
バス代フルダバード→シロド シロド→アジャンタケイブ2.9  合計17ルピー

   【「リムカ」はライムの入った瓶入りの炭酸料水】


   

   

   

   マークと 
   

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2月27日(月)

アジャンタにはもう少し長く居るつもりであった。昨日のホテルには一泊しかできないことになっていたので(今日は予約者が来ると言う)
5キロ離れた村に泊まってもう1~2日いても良かったのだが洞窟は1日で見てしまったし(エローラに比べ良くないと思った)
あまり長く居てもすることがないので先に進むことにした。
9時半のジャルガオン行きに乗った。4ルピー。
11時半頃に着いてバスターミナルのすぐそばのAjanta Guest Houseに泊まることにした。3人で12ルピー。南京虫あり。
サトナ行きの汽車は早朝2本と14時の午後1本だったから午後のやつに乗ることにした。
寝台の予約を取りたかったが始発の駅ではないのでダメだと言われた。乗ってからの状況次第。

ラッシー1 リムカ1.25 ビール1/3杯2.2(1本6.5) 変な豆の食べ物(ポンポンそば?のから揚げ 甘ソース 玉ねぎ入り)0.8
ラッシー1 ジムジムソーダ(赤い)0.85(非常に不味い) ココナッツソーダ0.8(まあまあ)
夜1.5 定食風(ダルカレー 野菜 オクラ チャパティ2枚 ライス)安い バス4 泊まり4  +朝チャパティ0.3 ポテト0.8 合計18.5ルピー

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2月28日(火)

昼前にチェックアウト。やはり南京虫は出た。彼ら二人は古い木製のベッドに寝たのだった。
朝起きてみるとマークの腕 足 首 胸のほとんどが赤く腫れている。コモ氏もだいぶやられている。
俺は金属製のエキストラベッドに寝たのでそうでもなかったがやはり4~5カ所かまれた。どうも俺の血は奴らにとって美味くなかったらしい。


   【実は 私も最初は彼らと同じ部屋の中で木製のベッドに寝ていた。「少しは咬まれても仕方ないか」と思いながらも念のために
    ベッドの面を覆うぐらいにビニールのポンチョを長方形に広げて南京虫の侵入を防いでいたのだが しばらくしてやはり防ぎきることは
    出来そうになかったので部屋の外のテラスにある金属製のベッドに移ることにしたのだった。
    2階の広いテラスでは既に数人のインド人の一般旅行者が全身(頭からつま先までミイラのように)すっぽりと布にくるまって静かに眠っていた。
    金属ベッドは骨組みだけで寝台にはマットが無くロープを網状に張っただけの簡易なものでたぶん宿泊費も安価だったのだろう。 
    外では何かの祭りのようなことをやっていた。】 


サトナ行きの汽車は14時11分発。時間つぶしにジュース屋へ入っていろいろと飲んだ。 
駅のホームで汽車を待っていたら昨日アジャンタで会った二人の日本人若者に再会した。カジュラホまで行くらしい。
しばらくしてもう一人日本人がやってきた。彼は一等寝台に乗ってヴァラナシまで行くと言う。
我々3人は結局 二等自由席に乗ることになった。もちろん混んでいて席らしい席もないので通路に座り込んだ。
二等は面白い。 乞食あり 芸人あり 神に関したことを話してはバクシーシするものもあり その他いろいろ。
あと 混んでいる車中なのにいろいろなモノを売りにやって来る。
 
朝定食2 ラッシー1 チャイ0.3 アイスクリームソーダ0.8 リムカ1.5 昼1.0 夜1.0 ミカン1.0 チャイ0.3 バナナ1.0 合計9.35ルピー
+汽車賃32.5ルピー

   
   【「バクシーシ」は物乞】

   【この汽車内で印象に残っていた出来事があったようで 後日 日記ではなく別の用紙に書きとどめていたものが出てきたので記す】

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 「チョロ」

ヒンズー語で「どけ!」「どいてくれ」「あっちへ行け」と言う意味。


78年2月末日 私はインドの汽車に乗って北上中だった。
ボンベイとヴァラナシを結ぶ本線なのだがボンベイからバスでエローラ アジャンタ石窟寺院を見物した後 本線途中の
ジャルガオンと言う駅から乗り込んだのである。
14時11分発の汽車は夜明けの頃にサトナに着く。急行で寝台(もちろん板の台である)もあるのだが始発から乗るわけではないので既にいっぱいになっていた。
しかたなく二等自由に乗り込む。木製の座席は二段になっているが既に満席。もっとも上段の席を一人で占領している者もいるが。
立っていても疲れるだけなので新聞を敷いて出入り口近くの床に座り込んだ。
時が経つにつれてだんだんと乗客が増えてきた。多分 金も払わずに乗り込んでいる奴もそうとう居るに違いない。
夜中になっていつの間にかアメリカ人が近くに座っていた。旅慣れている様子だ。

近くにインド人の中でも下位の階層に近いと思われる40歳ぐらいの男が壁を背にして床に直に座っていた。辺りは足を伸ばすこともできない程だ。
しばらくして駅に着きまた人が乗り込んできた。
その内の一人で服装からして決して中ぐらいの階層に位置する風体ではなくもっと下の層に位置すると思われる男がいた。
隙間もない所に自分の隙間を作り先ほどの男の近くに座った。
しばらくの間 あとから乗ってきたその男は自分を新入りと自覚しておとなしく座っていたのだが 自分の場所があまりにも狭く窮屈になって来たのか
自分より下の身分であろう先の男のほうへ自分の領域を広げだした。 侵略を受けたほうは嫌な顔もせず黙ってそれを許した。
しばらくはそのままの状態が続いたのだが領域を広げたほうの男は今度はその領域を全部奪ってしまうべく言葉を吐いたのだった。

 「チョロ」

先の男はさすがに今度は嫌そうな顔付きをしたのだが仕方なさそうにのそりと立ち上がって別の空間を探して周りの者に恐縮しながらちょこんと座り込んでしまった。
それを見ていた私の横のアメリカ人青年旅行者が激怒したのだった。

 「あいつが先に座っとったんやんけ! ワレはあとから来たくせしてなんでそんなことをするんじゃえ! お~~!」

言われた男 まさか外国人に叱られるとは思っていなかったのか何語で言い返したらよいのか分からないまま顔はきょとんとしている。
 『この毛唐は何をこんなに怒っとるんやろか?』 とでも思っていたのだろうか。
アメリカ人は続けて何やら言っている。

 「なあ あんたは何でどいたんや? 元の所に座っとらんかいな え~~!」

移動させられたほうの男は 『これはこの国ではしゃーないことなんや。俺はここでもええんや。』と言うような感じである。
驚くべきことに今度はアメリカ人があとの男に向かって 

 「オイこら!お前どけ!どいたらんかえ~! チョロ!チョロ!チョロ!!」

叱られたほうはこのすごい剣幕のごっついアメリカ人には腕力では負けると思ったのだろう。すごすごと場所を譲り始めたのだった。

   
   【もちろん アメリカ人の若者もインド人も大阪弁を話さない】


   





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インド5

2022年02月08日 | 日記
2月21日(火)

夜中の1時ごろに横になった。チェックインカウンターの近くで現地人は近寄れないようになっていたので少しは安心して眠ることができた。
5時過ぎから起き出して6時半にはチェックイン。飛行機は30分遅れて出た。
しばらく砂漠を南下して東に向かいスエズを渡ってサウジアラビアの海岸沿いの空港に着陸。45分休んで再出発。
朝食と午後に昼食が出たがどちらも大したことはなかった。 まずい。


ボンベイにはエジプト時間の夕方4時過ぎ インド時間の7時過ぎに着いた。
エジプトエアーのオフィスを探して切符の予約をしておこうと思ったら「市内のオフィスに行ってやれ。」と言う。
夜なので安ホテルを探すのもしんどいと思い今夜は空港で寝ることにした。
明日 朝のバスで市内に入りホテルを探した後インフォメに行きアウランガバード行きのバスを探して予約をしなければならない。
そしてエジプトエアーで予約。(バンコク行き)

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2月22日(水)

荷は安全であったが蚊が多くエジプトのシャーレを被って寝たので暑苦しかった。 
朝7時40分ごろに起きた。 早速インフォメイションに行ってボンベイの案内をもらった。空港バス8Rs(ルピー)
約30分乗って市中に入りチャーチゲイト駅の近くで降りた。早速ホテル探し。
まず タジマハルホテルの近くまで行ってみた(インド門の近く)。ゲストハウスが数軒並んでいた。
スティフルホテルは「ダブルで24ルピー」と本に書いてあったので高いからやめた。近くのサルベーションアーミーに決めた。
3食付きで20.4ルピー。高いか安いか。昼飯は「ヘ」みたいだった。 午後インフォメに行ってアウランガバード行のバスについて聞いた。
エジプトエアーに行って3月21日夜8時の飛行機の予約をした。 セントラルステーションの近くのバスターミナルに行き
アウランガバード行きの切符を買う。夜の8時半発 0rdinary27.8ルピー。
サルベーションアーミーには日本人が数人いた。キム氏(神戸)と昨日来たモリ氏 ヤス氏 それと変な女。

  泊まり20.4 チャイ0.5 シュガー0.5 汽車(?)0.3 空港バス8 計29.3ルピー。 +バス代(ボンベイ→アウランガバード)27.8ルピー。

   【1Rs(ルピー)は約30円 1パイサは約0.3円】

   

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2月23日(木)

朝10時にチェックアウト。「夜の出発なので荷を預かってくれないか」と言ったところ「1ルピー出せ」と言うので「アホか」と思って
キム氏のベッドの下に置かせてもらって街へ出た。
昼前 タダで飯を食おうと思って帰ったところを2階でマネージャーのオヤジと現金係のオバハン(英国人)に見つかってしまい
「どこに行くのか?」と聞かれたので「部屋に行って荷を取りに行く」と言ったところオヤジが付いてきた。
「あと数時間預かってくれ」と言ったところアホみたいに怒りだして今すぐに出て行けと言う。食堂の横のオフィスに行って
荷を置こうとしたところ今度はオバハンがやって来て すごい剣幕で俺のブーツを2階の窓から放り投げやがったので俺も怒鳴ってやった。
今度は「ポリスを呼ぶ」と言って電話を掛けだした。俺は1ルピーを出して「金を払う」と言ったのだが もうヒステリーの絶頂で何を言ってもダメ。
諦めて荷を持って出た。 
インド門の近くの歩道に座り込み さっき街で傷めてしまったゾーリの修理をした。2時ごろ出発してセントラルの駅に荷を預け街をぶらついた。
夕方もメシ屋でまたひと騒動。ライスがフルプレートだからその分は倍の金を出せと言うのだ。いろいろと文句を言ったが結局払わされた。
バスは定刻に出発した。

   昼2.75 夜2.9 荷預け0.3 バナナ1.1 ラッシー1 計8.05ルピー

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2月24日(金)

出発当時はバスの中もまだ暖かだったが2~3時間もすると冷えてきた。夜中などTシャツとヤッケを着込んでもガタガタ。
あまり眠られなかった。 朝7時半頃アウランガバードのバスターミナルに着。すぐにエローラ行きに乗った。
エローラのツーリストバンガローは「穴」より3キロ手前の村にあるのだが知らずに穴まで乗ってしまいトコトコ歩いて戻る始末。
が 結局バンガローはやっていなくてダメ。15ルピーのゲストハウスにも行ってみたがなぜか断られた。
また穴まで戻ってレンタルルームのようなホテルに11ルピーで入ることができた(3人部屋 一戸建ての小屋風)。
バスを降りてから3時間ほど歩きまわったことになる。

午後 金曜(今日)が休みと言う洞窟の一つ(ここだけ有料)ヒンズー教の「Kailasa Temple」に行ってみた。
岩山の一部を削って作った寺院なのである。建物の周りには象の像や神の像などの彫刻がいっぱいあって圧倒される。
明日一日で他の穴も見て回れそうなので2泊だけすることにした。
インドに入った時に20ドルしか換えなかったので残りの金があと80ルピーぐらいしかないのだ。銀行の無い所で無くなったら困るので・・・。

   昼2.35 夜2.1(ドライベジタブルカレー1.5+チャパティ0.3x2) チャイ0.3 かりんとうのようなお菓子0.3 
   ミカン0.1 バスアウランガバード→エローラケイブ1.85 泊まり11  計18ルピー

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2月25日(土)

蚊帳付きの部屋で気持ちよく眠ることができた。朝8時半ごろ目覚め。Khuldabadの村まで朝飯を食いに行った。
午後より穴見物。夕方5時ごろまで掛かった。宿に帰ってみると さっき穴で会った日本人と米国人がいた。コモ氏とマーク。
明日一緒にアジャンタまで行くことになった。
エローラ付近の景色は最高。穴の上の山に登ると平原がずっと見渡せる。観光客がそれほど多くなくみやげ屋なども一軒もない。

   トマト小3個0.3 昼2.3 夜2.3 チャイ0.25x2 泊まり11  計15.4ルピー

   【コモ氏とマークは東京の大学生。この後ちょっとかわいそうな目にあってしまう。】


   

   

   

   

   

   

   

   

   

   

   

   






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エジプト9

2022年01月29日 | 日記
2月18日(土)

やっとピラミッドに登ることができた。何のことはない 途中2回ほど休憩しても13~14分で登れるのだ。ちょっとしんどいけど。
第一ピラミッド(グレイト)のてっぺんが平らになっていて20畳ぐらいの広さはありそうだ。小便クサイ。
第二ピラミッドを眼下にすると何とも言えぬ良い気持ちになってくる。

ギゼーの町の向こうにカイロがありタワーがあるのですぐにわかる。反対側は第二の向こうに第三第四とあり あとは砂漠が続いている。
第二に向かって左遠方を見ればサッカラやその他五つ六つのピラミッドが霞んでいる。 
上に1時間ほどいて下に降り切符を買い中に入った。

スフィンクス(ラムセス2世の顔)はまあまあ。前足の高さが3メートルぐらい。 子供の頃に見た写真では「うわー でかいなぁ」と思ったのに。


   

   スフィンクスが中央の少し下に見える
   

   

   

   
毛唐のやつらはすぐにこういうことをしやがる。 どういうつもりなんだか。
   

   

   

  
   私の後ろに見える第二ピラミッド(カウラ―王)の化粧石を持って帰って来た。紅御影石(花崗岩)だと思う。 4センチぐらい。
   ↓ たぶんこちらが表面で平らに削っているのが分かる。   
    

   

   

   パソコンの画面を開いたらうまい具合にこんな写真が出てきたので利用させてもらった。
   


   左からクフ王 カウラ―王 メンカウラ―王 三世代のピラミッド
   



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2月19日(日)

カゲ氏から「スルタンハッサンモスクは良くない」と聞いていたので行かず(入らず)にその横のモスクに入った。床は全て絨毯敷きですごい。
天井も美しく立派であった。
今日はヒルトンホテルのロビーで半日ほど本を読んでいた。カメさんから借りた「悪名」。 
夕方一人で中華料理店に行きビール大瓶 餃子 ヤキメシを食った。10%のサービス料込みで1.53ポンド。 打ち上げだ。

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2月20日(月)

YH に荷を預けて朝から映画を見に行った。「エアポート77」(席はバルコニーで35ピアストル)。
それともう1本 ソフィアローレンの恋愛もの(題名忘れた)。これはつまらんかった。
夕方時間つぶしにギゼーに行きサウンドリュミエルを見た。あんまりおもしろくなかったのですぐに帰って来た。
夜9時過ぎ 荷を持って空港に向かった。ボンベイ行きは明日21日であるが朝8時半発で6時半ごろに行かなければならないので
早起きしても間に合わないと思い今晩から空港に行って寝ることにしたのだ。
なぜか11時頃に着いてさっそく再両替。28ポンドで40ドル返って来た。1ドル70ピアストルの計算。ひと安心。


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