心に届けたい 自由な風   

身近な毎日の出来事とか・

心の不思議なこととか。

囚われずに記事にしています

サッチャー革命を推し進めた思想とシンクタンクの存在

2013年04月11日 14時41分51秒 | リバティ、幸福・ 関連記事 

サッチャー革命を推し進めた思想と

シンクタンクの存在

[HRPニュースファイル603] 転載

4月8日、英国元首相のサッチャー女史が亡くなられました。

主要な業績はHRPニュースファイル602でも触れられていますが、
今回の論考で論点を補足します。


彼女はIron Lady「鉄の女」と呼ばれたほど信念のある政治家でした。

J・キャンプベルのThe Iron Ladyはベストセラーとなり、
フィリダ・ロイド監督制作の映画は
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
という題で2012年の3月に日本でも上映されました。

福祉政策や企業の国有化によって経済が停滞した「英国病」を救い、

フォークランド紛争に勝利して一時は世界的に有名になった
マーガレット・サッチャーは、なぜあれほどまでに自由主義の信念を
貫き通すことができたのでしょうか。

天性のものなのか。それとも振付師がいたのか。
あるいはその両方なのか。

もちろん、一概に語ることができません。

ただ、日本語以外の情報を見ることによって、ある二人の人物とシンクタンク
の存在が見えてきます。

一人目は、世界的にも有名で1974年にノーベル経済学賞を受賞し
たF・ハイエク。

サッチャー氏が首相就任演説で「これが我々の信じるものである」と
取り出したのが、ハイエクの「自由の条件」でした。ハイエクは、
ケインズとの経済論争ばかりが目立ちますが、実は法学や哲学など
幅広い分野に関心が及んでいた天才学者です。

そして、サッチャー氏が紹介した「自由の条件」は世界中のリバタリアン
と呼ばれる自由主義者が今でも愛読する自由主義哲学の名著です。

そして、強い英国を取り戻すためには、増税や規制、福祉国家に傾く
社会主義的な政策から以下の4つの自由主義政策への転換
(注:ハイエクは、個別ではなく同時に徹底的に進めることが大事
だと主張していた)が必要だと訴えます。

(1)減税、(2)規制緩和、(3)適度な金融政策、(4)政府支出の削減

実は、上記の政策をサッチャーよりも早くアドバイスを受けていた人物
がいます。世界でも指折りの自由主義的な
シンクタンクInstitute for Economic Affairs
(経済問題研究所 以後IEAと表記)の創設者であるA・フィッシャー氏です。

フィッシャー氏は、今では誰もが鶏肉を食べることができるように
事業化して大成功した実業家としても有名です。政治家になることを
志していたフィッシャー氏は、ハイエクに相談に行きます。

ところが、ハイエクの答えは意外なものでした。

というのは、政治家になることよりも「社会のムードを変える」ことに
使命があることをフィッシャーに伝えたからです。このハイエクとの
出会いと言葉が、後のフィッシャー氏のIEAの創設に至ったとされています。

フィッシャーの考え方やIEAでの政策提言は、まさにハイエクから出て
いたのです。なぜなら、IEAの初代所長はハイエクだったからです。
こちらも参照→ http://www.jtr.gr.jp/015webtsusin/000583.html(JTRのHP)

日本では、銀行か証券会社系のシンクタンクが多くあります。

彼らの仕事は景気の予測が主な仕事だといっても過言ではないでしょう。

メディアでよく登場するエコノミストとは、こうしたシンクタンクの
研究員です
(もちろん、単なる予測屋とは違い、立派な経済分析を行っている方もいる)。

シンクタンクのエコノミスト達は、独自のマクロ計量モデルでアベノミクス
などの効果を推計しているのですが、現実問題としてどこまで政府の経済政策
に影響を与えているかは微妙です。

また、気になるのは、財務省や金融庁とのつながりが強い証券会社系の
シンクタンクからは増税を肯定する論者が割合に多くいることです。

おそらく、経済成長で名目金利が上昇して国債の価格が下がることを恐れ
ているのが原因でしょう。この背景には、社債や国債を大量に保有して
いることと大いに関連があります。

しかしながら、本来のシンクタンクとは、政府からの資金提供を一切
受けずに独立採算を原則としています。

筆者は2月のインド出張で世界中の自由主義者が集まるアジア・リバティ
ーフォーラムへの出席と併せてシンクタンクの研修を受けてきました。

その観点からすると、日本にはシンクタンクと呼べるものは殆ど存在しない
ということです。むしろ、政府の御用組織になっているものが多いと
感じるくらいです。

とまれ、サッチャー元首相が労働党や国民の反発も覚悟で自由主義路線を
貫徹できた背景には、彼女自身の政治哲学への継続的な研究があったこと。

そして、彼女に強い影響を与えたIEAなどのシンクタンクの存在があった
ことが挙げられます(J・Campbell著 The Iron Lady 参照)。

サッチャー氏の死が報道されたことによって、
世界中の自由主義系シンクタンクが敬意を込めてRest in Peace
(安らかにお眠りください)という表現を使っている記事が多数配信
されました。また、彼女の人生と業績をドキュメンタリー動画もありました。

左派からみれば、サッチャー政権は市場原理主義や弱者切り捨てだとして
批判されることも多いでしょう。

ただし、英国病を克服して経済成長をもたらしたこと。フォークランド紛争
に勝利し、英国民を勇気づけたこと。最後まで自由主義者としての政策を
実現しようと鉄の意志を貫いた政治家であったことは否定しようがありません。

「決められない政治」といった情けない言葉がはやる昨今ですが、
サッチャー氏のような強いリーダーシップと信念(あるいは信仰心)を
持った政治家の登場が待たれるのは言うまでもありません。

幸福実現党は、サッチャー氏の意志を引き継ぎ、20年間ゼロ成長という
「日本病」から「自由からの繁栄」が実現できるよう、戦い続けて参ります。

(文責:幸福実現党 静岡県参議院選挙区代表 中野雄太)

☆゜・*:.。. .。.:*・゜
◎本メルマガは自由に転送、転載いただいて結構です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。