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Zey=G=Sacrifice(新道誠治)によるメモ日記サイト。

魔法のコトバ

2006-08-10 21:59:57 | 日記
2000年以降はほぼ2年周期でライブツアーと新曲リリースを繰り返しているような気がする(当社比)スピッツ期待のニューシングル。
アニメでは注入歌として「ハチミツ」が使われていたハチクロの映画版のテーマソング。春らしく新しい何かの始まりを予感させるような「春の歌」とはまた一味違って、道を違える事になってしまった愛する人に対する再会への想いが綴られている。

この歌に対する俺なりの理解を深める為に、「リサイクル」以後の流れを再び確認してみる。
「リサイクル」リリース後それに反発するような形で「隼」をリリース。その後、各地を転々としつつ常人では考えられないようなペースでライブをこなし、シングルを数枚リリースした。
そういう意味では、「三日月ロック」は「リサイクル」リリース後、初めて自分達のスタイルに正面から向き合ったアルバムになるのではないかと思う。
そういう視点から「三日月ロック」を見た場合、「現時点におけるロックバンドとしてのスピッツの集大成」を掲げた物ではないだろうか。つまり、そういう視点から見た場合それは「始まりの集大成」に過ぎないのであって、俺達はまたここから進化しているんだってことをまた「スーベニア」で表現しようとしたのではないか、と推察する事も出来る。
推察ついでに「スーベニア」の曲を見てみよう。まず、「春の歌」で始まり、『全体的に前作「三日月ロック」に多かったエッヂの聞いた現代系 (や、ババロアのような打ち込みアレンジを含む近未来系) とは裏腹に、逆に80年代ロックなどの要素をふんだんに取り入れた回帰的なナンバーも取り入れられ(以前の自分自身の日記より抜粋)』ていた。そして、「みそか」で終わる。
「春の歌」は『春を感じさせる初々しい曲調と詞は聞いていてすがすがしく、アルバムの一番最初のトラックとしては申し分ない。ここからまた始まるといったスピッツの決意も感じさせられる』と以前述べたように、「新しい始まりの歌」。「みそか」は「始まりの終わり」を歌った歌ではないかと思う。

そして、この「魔法のコトバ」は過渡期に入った愛の中で愛する人を思う気持ちが綴られている。始まりが終わり、過渡期に入った。初期のスピッツに似た少女漫画のような絵物語のような歌詞や曲調とはまた別に、そんなスピッツの姿と照らし合わせてみるのも、面白い。
無論、彼らにとってはいつもが「始まり」かもしれないが……。