ワタリ

Zey=G=Sacrifice(新道誠治)によるメモ日記サイト。

ソフトバンク「0円」広告問題に関して

2006-10-29 00:32:47 | 日記
問題について以下にまとめました。

1.広告手法の問題点
○全機種0円
・持ち帰り価格(頭金の支払い) が0円と言うだけであって、今後の支払い義務が必ずしも存在しないわけではないばかりか、通常の条件で考えると支払い義務は以後必ずと言っていいほどの確率で発生する。
・上に関連して、機種の価格が完全に0円と言うわけでも無い。ハイエンド機種など、月々の支払額が必要な機種も存在する。その場合、全機種0円と言うよりは機種購入のローンと言った感覚になる。
○メール0円、通話0円
・ソフトバンク端末同士以外のメールのやり取りや通話は0円にならない。
・ソフトバンク端末同士の通話においても21時~24時に関しては無料通話分が存在するものの、無料にはならない。
・この二つを総括するとソフトバンク以外のシェアが大きい現状では月を通じて0円になるケースの方が少ない上、これらのケースに当てはまらない通話はむしろ他キャリアに比べると高い。

○宣伝関連のまとめ
・必要に応じて携帯会社を変える事の出来るサービスを利用して(膨大宣伝を用いて)利用者を取り込んだ後は携帯の分割額を質に抜け出せないようなシステムが構築される結果となった。
・膨大広告とみなされないためには、0円となる条件をはっきりと明記した上で、そのような条件以外では安くならない事もあるという印象を多少なりとも持たせる事が必要。


2.料金体系の問題点
○意外と煩雑な料金体系
・上の話が関係するが、0円と宣伝している事項に対して例外が多すぎる。
・特に他キャリアとの通話料に対しては「月~水」「木、金」「土、日、祝」のそれぞれに対しさらに時間で4分割されており、曜日と時間帯によって12種類の料金が存在し、非常に分かりにくい。
○他キャリアの各料金プランより210円値下げ
・ドコモと比較した場合はWebアクセス料金や領収書に関する差額を考慮した結果、210円値下げの効果は相殺され結果的には意味が無くなる。
・auの場合は学割、My割で基本料金自体が大幅に割り引きになるためソフトバンクより安くなるケースも多い。

○料金関係のまとめ
・料金体系が非常に煩雑な上、他キャリアと比較しても安くなるケースがある程度限定される。(1でも述べたケース)
・それこそ孫社長自身が掲げる分かりやすい料金体系の構築、そして中長期的(ソフトバンク携帯のシェアが大幅に増加した後) だけではなく短期的に見た料金制度も構築していく必要がある。


3.整備関係の問題点
○加入者数増加に対する処理の遅れ
・指摘としては自らの宣伝手法への世間の反応に対する認識の甘さ。
・もっと言えば、携帯電話業界に対する認識の甘さ。この調子では携帯電話業界で起こるトラブル、問題に対し処理できない事も考えられる。
○迫り来る通信容量の問題
・J-PHONE時代からシェアは他の会社に比べると高くなかったが、通信に関する障害は発生していた。
・多少の余裕はあるだろうが加入者数増加に対する処理の遅れを考慮する限りでは、近い将来想定した以上の通信容量が必要になり、メールのトラフィックに限界が来ることも予想される。

○整備関係のまとめ
・携帯電話業界に対する認識は甘く、近い将来メールの障害などの問題に対しそれを処理出来なくなる事態の発生がかなり高い確率で想定できる。
・ネットと違い携帯電話と言うのはもはや日常生活に欠く事の出来ないものであるという時代であるため、Yahoo!BBの二の舞を避けるためにも認識や体質の改善、様々な施設関係の整備を早急に行うことが求められる。


と言った感じで、今のソフトバンクの手法では様々な方面に迷惑をかけたり、様々な機関から警告が発せられることが考えられ、最終的には免許取り消しなどの事態が発生することも考えられなくは無いでしょう。
ソフトバンク乗換えを検討されている皆様は、以上の事を良く考慮した上で行動してください。

幸せ保存の法則。

2006-10-24 00:13:04 | 日記
昨日、バイト上がりに買って帰ったクレープが冷蔵庫の中に残っていた。
そういえば昨日はお土産のビールを飲んでそのまま寝てしまったんだっけ、と取り出して食べてみた。
ちーっちゃなことだけど、こういう思いがけないところに幸せが潜んでいる、てことが良くある。思えば、全部自分がした事で、結果的にはプラスマイナスゼロなんだけど、そんな細かい事は気にしない。幸せなんだからそれでいい、って思えてくる。安っぽいな。(笑)

ちなみに明日食えば、って意見があるだろうけど賞味期限は24日の午前3時、ってことで却下。

erosion

2006-10-20 23:12:36 | 日記
夕闇に紛れて 獣が目覚める
今日もこの街で 声が一つ消える
足音さえたてずに 近寄る運命(さだめ)に
肩を震わせ ただ裁きを待つ

Ah.. 限られた 時の流れの中で
Ah.. 残された 罪を償う

erosion my mind
満たされないこの世界で
わずかな夢さえも消え去って行く
erosion my mind
叶わない そう分かってる
けれども君のぬくもりを探して


光も届かない 最果ての街で
何を求めて 彷徨うのだろう
月明かりは遠く ここには届かない
もう二度と 僕は戻れない

Ah.. 血塗られた 過去の過ちに
Ah.. 縛られて 二度と戻らず

erosion my mind
壊されたこの体は
Don't leach to you
君の元へと向かえずに
erosion my mind
蝕まれたこの心も
Don't leach to you
もう君には届かない


Ah.. 願わくば この身滅ぼしても僕が
最後の 犠牲に ならんことを……

erosion my mind
満たされないこの世界は
わずかな夢さえも許されない
erosion my mind
数え切れない人の罪
一体誰が償ってゆくのだろう

続・憲法9条改正に望む事

2006-10-17 00:15:04 | 日記
http://blog.goo.ne.jp/zey_sacrifice/e/04e3dee4bdb4b65538c15d8fb353223d

と、先日「憲法9条改正に関わる議論を、現実だけではなくもっと理想に対しても有意義な形で活発に行って欲しい」と言うような趣旨で日記(と言うか半分論文だな……こりゃ) を書きました。

この件に関して、今のところトラックバックが数件上がって来ております。(トラックバック先の記事はトラックバック返しとかはないですが、ちゃんと拝見させていただきました。トラックバックありがとうございます)
それらのブログを拝見させてもらったのですが、やはり平和に対する思いは根付いているのかな、と思いました。
これからは、単なる平和ボケとしてこの平和を享受するのではなく、戦争に対して、平和に対して、しっかりと考えて行きながら、それらに向き合って行かなきゃならないのでは無いのでしょうか。根本的な部分でその部分から煮詰めて行けば、やはり今の憲法9条に対する答えも出てくるのだろうな、と考えています。

結局は

2006-10-15 01:51:44 | 日記
自分に出来る事を、自分の出来る範囲でやって行くしかないんだな、って事を考える。
地球の広さと比べると、人間はとても小さくて、非力だ。
だけど、そんな人間が日夜核だ戦争だ、って騒いでいる。
だから、それをやめるのも、また人間に出来ることだと思う。
自分が出来ること、っていうのは本当に小さな事かもしれないけど、一人一人、少しずつ広がって行けば、大きな力になると信じている。

あきらめたり投げ出すのは容易いと思う。
でも、最初に踏み出すのは小さな一歩。
一歩の積み重ねで、何処へでも行ける。そんな気がする。

憲法9条改正議論に望む事。

2006-10-06 23:33:52 | 日記
今日、太田が総理に扮して国会を行うという番組を見て、思った事を徒然と書いて行きます。また自分の中で整理出来て居ない事項も多分に含んでいますので、恐らく突っ込み、反論さまざまあるでしょう。その上でなにか言いたい事があればコメントなど自由に受付ますので自由にやってください。


個人的に、現在の憲法改正論議の方向性自体が間違っている、という認識を前提にしたうえで憲法改正に反対している立場を取っているので、憲法9条に対してもほぼ同様の考えになると思う。ただ、本当に改正が必要なのかどうか、その時点からもう一度考え、何度も自分自身の考えを否定、そして再構築していきながら良く議論したうえで性急な答えを出さないことが何より求められることではあるだろう。
憲法9条、と言うより憲法そのものが性善説に基づいた考えであり、そのあたりの反論はあると思う(北朝鮮がその前提を崩したと捕らえた人も多数いるし、その辺に関しては特に反論するつもりは無い)。ただ、北朝鮮に対して自衛能力を高め、戦争を起こし得、対抗するだけの力を身につけたとて、北朝鮮は日本に対する拉致やミサイル発車をやめただろうか。やめたと言えないばかりか現状では在りうる、とまで言わざるを得ないと思う。平和憲法があったからこそ日本は平和に過ごせた、と言う考え方もそれはそれでナンセンスだろうが、平和憲法があるからこそ北朝鮮は日本に対して拉致を行ったり、ミサイルを発車するなど不穏な行動を取っている、と言う考えもそれはそれで間違っていると(現代の事情を考慮する限りは) 断言しても良いとは思う(特に前者は軍隊を持っている韓国に対しても拉致を行った事は明らかになっているし、後者に対してもイラク戦争の経緯、テロの多発などの事情を考慮すれば他国の事件であるとは言え、無視できない)。よって、戦争抑止力としての軍隊と言う考えは再考の必要はあると思える。
また、GHQに作られたものだから改正すべきだ、と言う意見も耳にする。ただ、その過程がイラク戦争における自衛隊の派遣を発端としており、アメリカの意見(圧力とも言える)も多分に含んでいる事は否定出来ない。アメリカから与えられたものだとしても、アメリカの意見で変更する事はまた日本人の日本人としての自己主張(ナショナリズム・アイデンティティと言う言葉が流行っているようだが) を否定する事ではなかろうか。アメリカや、他の欧米諸国などがやっている、だから日本人もやっていい、自衛のため仕方が無いではないか、時代の流れだ、そういった意見にも、GHQが作ったものだから変えるんだ、そういうネガティブな考えを前提とした意見にもなんら主体性を感じる事は出来ない。時代に合わせるのも、他の人に合わせるのも、ようは小学生並みの誰々がやった、みんながやった、だからやっていいと思った、と言うような言い訳そのものでは無いだろうか。集団主体、まとまり重視と言った日本文化の否定と言うわけではないが、憲法改正にこの考えを持ち込むのは小学生が帰りの会でクラスのルールについて議論したりするのと同レベルではないか。高学歴、血統が多いとされる国会議員の中でこのような理由がまじめに掲げられること自体、恥ずかしいことだと思うのだが、如何なものだろうか。

憲法9条の存在自体が理想や夢想だからといい、笑う人も居るだろう。当然、擁護論を唱える人に対しても、現実を良く見据えるべきだ、そうやって言いたい気持ちもあるのだとは思う。
ただ、理想は掲げ、実行に向けて歩み続けるからこそ意味があるのであって、理想の存在が次第に人々の記憶から消えて行き、やがて無くなってしまえばそれはもう意味を成さない。それはもう、太田が言ったとおり100年や200年、あるいはそういった規模の話では無いのかも知れない。ただ、現実だけを見るためにここで歩みをやめてしまえば、理想を捨ててしまえば、それはあるいは意義のあるものになるだろうか。理想?夢想?結構な話だと思う。
たからこそ、と思う。ここで現実だけを見据えて、早急に夢や理想を捨てることばかりを論じていて良いのだろうか。戦争を無くすことが絶対不可能な事なのだろうか。軍隊を持たずに、北朝鮮と諸問題を解決して行く事は当然不可能な事だろうか。固い頭で可能性をすべて捨てた上で、自分が掲げた前提だけを元に論議をすれば話は早いだろう。だがちょっと待てよと。そんな議論に果たして意味はあるのだろうか。そもそも、国会議員の議論なんか小学生のクラス会ぐらいのレベルの事も多々あるが(失礼)、このまま憲法9条を改正ありき、軍隊の保持も当然じゃないかみたいな方向ばかりで議論をして、ひとつの(あらかじめそういった枠組みの中で決められている) 答えは出るだろうが、その議論自体、意義のあるものだと言えるのだろうか。果たして、将来の日本に対して、私たちの子孫がやがて構築してくれるであろう遠い未来の世界に対して、意義のある議論が成された、と言えるのであろうか。
当然、そのような論議が十分成された上で憲法を改正するのであれば私は受け入れる用意も出来ているだろう。結果、徴兵される事となってもいつものようにグチグチ言いながらも出て行くとは思う。ただ、ひとつ思うのは理想を掲げた理想に対して十分に意義がある憲法の条項であるからこそ、改正に際して、意義が無い形だけの話し合いを経ただけで変わって欲しくない。その話し合いの過程で十分理想に対して(当然、現実を見据える必要は十二分にある必要はあると思う。ただ、理想をないがしろにした、前提条件が限られているような状況での議論に果たして、意義があるのかを問いたかった。意義、意義と耳が痛いほど言ったかもしれないが、意図的なものである。勘弁してもらいたい) 意義があった、10年、20年、いや、100年、200年たってもそう思えるような議論を行って欲しい。

人類が文明を築き上げたときから数えればもう5000年も経過した事になる。だが、逆に違う人種同士の交流、大陸間の交流、そういったものが活発に行われるようになってまだまだ400年経っていない。分かりあうまで、打ち解けるまでにはまだまだ時間がかかって当然だろう。短い周期、特に現実だけを見据えて平和を考えるのではなく、もっと長い時間をかけて分かりあうべきでは無いだろうか。


最後に、藤崎竜氏の「封神演義」において、太公望が老子に語った台詞に自分の考えにほぼ一致するようなものがあったので、そこから拝借して終わりにさせていただきたいと思う。(うろ覚えなので脳内変換しつつ)
「最も、千年、二千年と長い先の未来の事まで責任を持とうとは思ってはいない。ただ、私たちに出来るのはこの世界を正しく使って次の世代に引き継ぐことではないだろうか」