舞斗の正義禄

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表の発し

2008-02-15 23:40:36 | 日記
 成績発表日ということで大学へ赴いた。+5日ぶりに外出した。かの地の空気は澄んでいるのか知らないが、やはり外出るといい気分である。こういう時こそシータの言葉が浮かぶ、

『どんなに科学が発達しても、人は土無しでは生きられないのよ!!』

特に空中で生活してる訳ではない私なので、些か視点がずれているかもしれないが、どうもこの事は思い出してしまう。
 さて、大学へ行く日も残りは卒業式のみ(多分)となった。もう4年経つのか・・早すぎる。高校3年間より大学4年間の方が圧倒的に短く感じているのは、あまり良い気分ではない。それだけ老いぼれて来ているといえばそれまでだが、少し考えれば原因も考えられる。
 先んじて言えること、短く感じる概念の一端として挙げられるのが、その時々に際しどれ程夢中に且つ継続的に行えたものがあったかどうかによる。私は中学高校と運動部なので、授業終了後は毎日練習があったわけだが、大学はどうだ? 只の帰宅部状態だ。この差はあまりに大きい。〝何もしない〟というのは人間含め生物全般的に当て嵌まる、肉体・精神的最大の〝苦痛〟である。「苦痛を感じるなら時間は長く感じるのでは?」とこれを読んだ人はお思いになられる筈。確かにその通り。然し、やはりそこには歳というものが絡んでくるのではなかろうか。然るべきことだが、もしもこの4年間を10才位の時に体験したとしよう、当然の事ながらその4年の歳月は今の2倍以上に長いモノと捉えている筈。要はそれだけである。もっと簡潔に述べれば、『歳食ったから何でも短く感じるんだぴょん』で片が付く。
 他に挙げられる原因として、やはり授業回数だと思う。高校までは6~7時間毎日ぶっ続けで座っていた訳だが、大学は1日フルで授業を受けたとしても5限が最高(理学部系統除く)。しかも毎日フルでというのは専ら有得ない。1時限90分で1日の滞在時間は同等かそれ以上だが、大抵の人は1日多くて4限なので、同じ滞在時間でも6~7時間という数字と4~5限という数字の〝錯覚〟により大学の1日は短く感じるのである。万人にこの事を当て嵌めるのはちょいと無謀かもしれないが、少なくとも私はそうだった。
 3つめの原因として、これは本当に私の場合として成り立ってしまうかもしれないが、3学期制から前後期制になったことではないか。3学期合計期間を前後期に割り振った訳ではなく、1,2学期が前,後期となったのである。1月に何をするのかと言えば後期試験のみ、1学期分が無くなれば流石に1年は短く感じずにはいられない。そういうことである。
 どうにか時間を短く感じない様にしたい、何か方法があるものなのかのー。んではでは・・。