検察庁出頭 および意外な結末
知らされていなかった書類送検
2012年11月13日
書類送検される。
わたしには何の連絡もなかったので、わたしは知らずにいた。以下の記事をわたしはちょうど1ヶ月後の12月13日に、気になってネット上で検索して初めて目にした。
書類送検の報道記事については別ページを立てたので参照されたい 「書類送検とその報道」
兵庫および横浜地方検察庁から電話連絡
2012年11月16日
兵庫地方検察庁から電話。
「兵庫県警から書類が来ている。夫婦両名に出頭してほしいが、所轄の横浜地方検察庁でもよい。12月中に横浜地方検察庁から出頭要請がある」という内容。
2012年12月 6日
横浜地方検察庁から電話。
12月 10日に出頭するように要請される。了承する。守衛に○○検事に呼ばれた旨伝えるようにとの指示。
横浜地方検察庁に夫婦で出頭
2012年12月10日
約束の朝10:00に横浜地方検察庁に夫婦で出頭。
案内に従い、待合室で待たされる。指示に従い、まず夫の私から検事の部屋に通される。次に妻、そして最後に二人一緒に。
警察の取り調べ室とは違い、広くゆったりしていて、格子のない窓も大きく、デスクも大きく、まるで校長室のようであった。デスクの向こうにはネクタイをした大柄の三十代後半の男性が座っていた。兵庫県警から回ってきた訴状関連と思われる書類がデスクの上にどんと積んであった。厚さ30センチ近くはあったと思う。
あいさつと互いの自己紹介のあと、指示にしたがって着席する。
「いちおうこの書類は見ましたが、起訴事実に関しては認めているわけですね」
「はい、事実関係については認めています」
「何かあなたのほうから言いたいことはありますか」
最初からいきなり弁明の機会を与えられるとは思っていなかったが、できるだけこの機会を有効に使おうと思った。
「はい、わたしが今度の件で問題になっているヨウ化カリウムの取り扱いを始めたのは、もう1年半以上になるあの2011年の3.11の東日本大震災のときの福島原発事故の直後でした。当時放射能についての情報は新聞でもテレビでも信頼性がとぼしく不安を感じている人がたくさんいたと思います。わたし自身は神奈川県に住んでいますが、それでも心配でしたし、まして福島県や東北の人々の不安や恐怖は大変なものだったと思います。今でこそパニックは収束したかに見えますが、当時は原発事故の原子力災害がどの程度の規模なのか、チェルノブイリ程度なのかそれを上回るものなのかもわからない不安な時期だったと思います。
わたしは当時海外のサイトや放送を通じて日本の状況を把握していました。日本のマスコミはまるで報道管制が敷かれているように真実を隠蔽していました。福島原発の最初の水素爆発の映像は日本ではすぐには報道されていませんでしたが、わたしはBBCのニュースでいち早く知っていました。福島からの放射能の地球規模の拡散についてインターネット上の海外の情報ではすでに懸念が広がっていました。その中で放射能対策、被ばく予防対策の情報を集めたサイトを目にし、そこでヨウ化カリウムというものがあることを知りました。わたし自身20年以上もサプリメントを扱っていながら、このヨウ化カリウムのことは恥ずかしながら知らずにいました。
このヨウ化カリウムについてさらに調べると、世界保健機構(WHO)が原子力災害時にはこのヨウ化カリウムの摂取を勧告していることがわかりました。1999年にその改訂版が出ています。ちょっと、いいですか、資料を持ってきていますので・・・」 そう言って、わたしは持ってきたかばんの中から用意してきたコピー資料、ネット情報のプリントアウトを入れたフォルダを取り出した。
「こちらがそのWHOの勧告の原文の英語版で、こちらはその日本語版です。こっちはFDAが出した同じく核災害時におけるヨウ化カリウム摂取を推奨する声明です。」
「ほう」 と言って、検事はわたしが差し出した資料を手にして目を通してながら、
「1999年っていうと、東海村臨界事故の頃かな」 と言った。
「そうですね、ただこのWHOの勧告は、改訂が1999年であって、第1版はチェルノブイリの直後だったと思います」
「ああ、そうか」
「わたしはサプリメントの輸入が仕事ですが、このWHOやFDA、つまりアメリカ食品医薬品局が勧告、推奨しているヨウ化カリウムを日本で必要としている人に提供しようと思ったのです。えーと、これがその実物です」 と言って、わたしは用意していたアメリカ製のヨウ化カリウムのボトル1本をかばんから取り出した。
「どうぞ、ごらんください」 そう言って検事に差し出すと、検事はためらうことなく手を伸ばした。
「ほう・・・、これはまだ在庫があるんですか」
「あともう1,2本でしょうか。ちなみにこれはこうして持っているぶんには違法なものではありませんので・・・」
「これはサプリメントですか」 と訊きながら、ラベルを詳しく見ている。
「はい、そうです、サプリメントです。そこのラベルに横文字でサプリメントと書いてあります」
「日本には同じようなものはないんですか」
「あの頃は、わたしのサプリメント取り扱いの経験からして日本では簡単に手に入らないものだと判断しており、それを確かめようとも思いませんでした。たいていのサプリメント類は海外の輸入品の方が安いですし、わたしの仕事じたいがそうした安い海外のサプリメントの輸入でしたから、日本製のことは最初から頭にありませんでした。あとで知りましたが、じっさい、日本では医薬品扱いで一般のひとには手には入れにくいものです」
「なるほど・・・ で、いつ頃輸入したんですか」
「2011年の3月の末には輸入していました」
「3月中ですか、早いですね」
「はい、できるだけ早く必要としている人に届けたいという一心でした」
「どのくらい輸入しましたか」
「はっきりした数字では言えないのですが、数にして100本くらいでしょうか、200はいっていないと思います。すみません、その数についてのデータをまとめたのですが、今日持ってくるのを忘れてしまって・・・」
「100本というのは・・・」
「あ、タブレットの入ったボトルの数です」
「なるほど」
「実は輸入と言っても、わたしのサプリメント輸入業は、輸入代行でして、品物の送付先は原則としてお客様の住所です。品物は直接お客様の住所に届くのが原則です。しかし、当時は原子力災害の起きた非常時で緊急性があったために、少しでも早く供給できるようにとわたしの自宅ににも取り寄せ、注文に応えるつもりでした。ですから、お客様の自宅に発送される分とこちらの仕入れ分との2通りのかたちで輸入しました」
「税関で止められていますね」
「そうです。わたし宛ての仕入れ分が止まりました。数量が多かったためだと思います。税関からハガキで通知が来ました」
「何て言ってきたんですか」
「医薬品であるために輸入できない、ということでした」
「それで、どうしましたか」
「税関に電話をすると厚労省の薬事課の電話を教えられ、そちらに電話をしました。しかし、しゃくし定規に医薬品なのでダメだというばかりでした。原子力災害時の被ばく予防のための緊急物資なので、認めてほしいと頼みましたが、聞き入れてもらえませんでした」
「そうですか、厚労省は輸入を認めなかったということですね」
「そうです。ただ、税関というところも案外おおざっぱなところで、何箱か輸入したうちの一部はわたしの自宅に届いていました。一部がひっかかったということなんです。ですから、そのひっかからなかった分はお客様の方に回すことができました」
「なるほど」
「当時、震災後、原発事故後にインターネットにはいろいろな情報が飛び交っていました。ただのデマも多くありましたが、ちゃんとした出どころの情報もありました。その中で福島原発の近くの町がヨウ素剤の備蓄を自主的に町民に配布したところ、政府によって回収を命じられたうえ厳重な叱責を受けたというニュースがありました」
「それはどうして回収されたんですか」
「いろいろな理由があるようですが、まず、政府の指示を待たずに勝手に配布したということがあります」
「どうして配布してはいけないんですか」
「それについては、パニックになることを政府が恐れたという説がありますが、私もその通りだと思っています」
「どうしてパニックになるんですか」
「まず、当時すべての県にヨウ素剤の備蓄があったわけではありませんでした。ヨウ素剤の備蓄は原発のある県にしかなかったのです。ところが、福島原発事故の放射能の拡散は県境を越えています。県境どころか国境まで越えて世界中に広がる規模でした。そうなると、福島県のひとたちにヨウ素剤を配布しても、福島県のとなりの原発もなければヨウ素剤の備蓄もない県の人たちには配布できないことになります。こうなるとヨウ素剤をめぐってパニックが起こる可能性が出てきます。かりに日本のすべての県にヨウ素剤があったとしても、それをすべての国民に配布し始めたら、どうなるでしょうか。放射能の不安、恐怖が却って増大する可能性すらあります。そうしたパニックが起きると必ず批判は政府に向けられます。だから政府はヨウ素剤を配布したがらなかったのです」
「ふーむ、まあ、それも一つの解釈ですね」
「そうですね。ただ、当時アメリカ大使館では日本在住のアメリカ人に対して独自にヨウ素剤の配布をしていました。これはニュースでちゃんと報道されています。さらにフランスやイギリスも同様に自国民を放射能災害から守るために日本のそれぞれの大使館でヨウ素剤を日本在住の自国民に配布しているのです。スウェーデン大使館もそうしています。いっぽう日本政府は自国民を守るために何をしていたのですか。町民が自主的に配布したヨウ素剤の回収を命じていたんです。こうしたヨウ素剤をめぐる日本政府の消極的な対応は海外でも批判されています。その一端がこのニュース記事です。これはウォールストリートジャーナル紙の記事です」 そう言って、わたしはデスクの上に出していた資料の中から当の記事のプリントアウトを取り出した。すると検事は、
「それ、コピーさせてもらってもいいですか」 と言って体を乗り出して資料を手にした。
「ええ、どうぞ、かまいません」
すると、検事はそれまでずっと脇にいた助手に合図した。助手は立ち上がって私の横に来たので、わたしは資料をまとめて彼に手渡した。いろいろな資料を用意してきて本当によかったと思った。
「ヨウ素には有機ヨウ素と放射性ヨウ素の2つがあります。ワカメや昆布といった海藻類が多く含むのは有機ヨウ素で、微量ながらも人体には必要な栄養素です。いっぽう放射性ヨウ素は人体には害があるばかりのやっかいものです。そして人体の甲状腺には有機ヨウ素も放射性ヨウ素も蓄積します。ヨウ化カリウムはこの有機ヨウ素を人体に吸収しやすくしたものです。そこで原子力災害が起きてまっさきに広がる放射性ヨウ素をかぶる前に、このヨウ化カリウムを飲んで甲状腺を人体に安全な有機ヨウ素で飽和してしまうのです。そうすると、あとから来た放射性ヨウ素はたとえ人体内に入っても甲状腺に蓄積することなく排出されます。
さっきのウォールストリートジャーナルの記事にも出ていますが、ヨウ化カリウムというものは原子力災害時にはまっさきに摂取すべき放射線防護剤です。もちろん放射線には放射性ヨウ素以外にも、プルトニウム、ウラン、セシウム、コバルトなどといろいろあります。ヨウ化カリウムはそのうちの放射性ヨウ素に対してのみ防護作用があります。たしかにヨウ化カリウムは決して万能ではありません。しかし原子力災害時には不可欠なものです。恐ろしい放射能被ばくに対して一般人が対処できる唯一の備えです。ヨウ化カリウムが放射性ヨウ素に対して防護効果があることは原子力災害医療の常識になっています。チェルノブイリ原発事故の直後にポーランド政府は自国の子供たちにすぐさまヨウ化カリウムを摂取させました。その数、1千万人です。そのおかげでポーランドの子供たちには甲状腺障害がほとんど出なかったのです。いっぽう当時のソ連ではそのような措置がなされませんでした。そのため後々まで甲状腺障害で苦しむ人々が存在しています。なお、先ほどのウォールストリートジャーナルの記事にもありますが、1千万人の子供たちの中にヨウ化カリウムの服用による目立った副作用もほとんどなかったのです。
じっさいわたしが扱ったヨウ化カリウムでも健康被害があったようには警察からは何も聞いていません。このことは今回のケースでもわたしにとって腑に落ちない点ですが、わたしの扱ったヨウ化カリウムで一人でも被害者が出たり、被害事実があったのなら、警察が出てくるのも理解できないことではありません。しかし、何の被害事実もないのに兵庫県から7人もの捜査員が家宅捜査令状をふりかざして朝の6時に乗り込んでくるというのは今でも理解できません。それも『効果効能をうたった』という嫌疑です。もしそうなら、風邪にはビタミンCが効きます、と言ってビタミンCを宣伝したら刑事さんが7人飛んできますか。いくら薬事法上の違反行為であっても、実害がなければ、まず所轄の保健所をとおして注意・指導があるのがふつうの順序ではないでしょうか。そして“報告書”といって、いわゆる“反省文”を書かせ、同じ違反を繰り返させないように約束させるものです。それでもその約束を無視して同じ違反を繰り返すようなことがあれば、さらに厳重な注意が、それでもなおも改めず、さらに悪質に違反を続けるばあいは警察が出てくることになると思います。ところが、今回のわたしのケースでは、何らの注意、警告もなく、いきなり7人の捜査官が乗り込んできたのです。
警察がこのわたしを当時の放射能に対する社会不安に乗じて荒稼ぎをしようとした悪徳業者に仕立て上げようとしているのはわかっています。たしかにわたしがヨウ化カリウムを輸入したのはビジネスです。あくまでも商売です。しかしわたしはそのヨウ化カリウムに法外な値段をつけてぼろ儲けしたわけではありません。警察の方ではわたしがいくつぐらい売って、いくらぐらい利益を得たかはすでに調べつくしているはずですが、そんなに大きな額ではないはずです。世の中にはヨウ化カリウムを売ってぼろ儲けをしたひともいたかもしれませんが、世の中そういう人ばかりではないということをわかってもらいたいと思います」
「はい、だいたいわかりました。それではですね、こちらで今の話をまとめますので、聴きながら違っているところなどがあったら言ってください。」
こういって、検事はわたしの話をまとめたものの口述を始め、それを助手がワープロで入力していった。検事の斜め前にはパソコンのモニターがあって、こちらからは見えないが助手が入力していく文面がそのまま見えるようになっているらしかった。“今の話をまとめる”といっても自分としてはかなりの内容を話した気がするので、それを文章に起こすとなると相当な時間がかかるのではないだろうかと内心危ぶんだ。じっさい警察での取り調べのわたしの“豊富な経験”からすると、1時間以上は優にかかるはずである。ところが予想に反して、その“まとめ”はあっけないほど簡単なものであった。A4半分にも満たないほどのものであった。思うに、形式的なものであろう。
「わたくし、有限会社▽▽▽▽の実質的経営者、◇◇◇◇は2012年3月11日の東日本大震災、福島原発事故直後に、日本では未承認の医薬品のヨウ化カリウムをネット上に広告しました」で始まり、「当時の放射能の不安に満ちた状況下でヨウ化カリウムを必要としているひとに提供しようとしたものです」で終わる全部で20行にも満たないものであった。ここで全文を再現することはあえてしないのは、あまりに短いので、今度は再現文と原文との違いが問題になっては困るからである。文章の量が多い場合には、表現の細かい相違はさほど問題にならないが、短い場合には一言一句の違いが目立ってきてしまうからである。ちなみに、わたしはこの記事をほとんど自分の記憶から書いている。
警察との相違、検事の人柄か
「まとめ」ができて、助手がプリントアウトをわたしの目の前に置いた。
「読み上げたものと同じですが、念のために確認してください。問題なければ最後に署名をお願いします」 と検事が言った。文面はたしかに読み上げられた通りのもので、誤字もなかった。助手が差し出したボールペンで署名をした。そして署名のあとに印を押すように言われた。わたしはあらかじめ持ってくるように言われていた印鑑をかばんから出して押した。警察の調書では朱印の印鑑ではなく、右の人差し指の指紋を“警察御用達”の特殊な黒いスタンプ台を使わされて幾度となく押したものである。いくらか人間的な扱いに変わった気がしたのはこの捺印だけではない。
まず、検事の人柄である。同じ法の番人ではあっても、相手を頭から犯罪者と決めつけたような態度の警察の人間と、この検事は別種の人間であるように思えた。わたしは警察での取り調べを延べ6日間も経験していたため、今回の検察庁出頭もその延長のように予想していた。部屋の雰囲気については最初にも書いたが、やはり検事の態度、話し方、つまりは人格である。わたしは自分の話を最後までちゃんと聞いてもらえただけでなく、こちらの話に関心をもってくれ、こちらの気持ちを理解してもらえて内心驚くほどであった。世界保健機構の勧告の資料等をコピーさせてくれと、向こうから言ったのである。やっとまともに話を聞いてくれる相手が見つかったという気持ちすらした。というのは1時間に1万円も払って相談に乗ってもらった弁護士でもここまでちゃんと話を聞いてはくれなかったのである。その弁護士は再び相談してもらおうとメールで連絡しても無視し、何度か目にはあいまいな受け答えをしたままそれっきりナシのつぶてである。わたしはその弁護士に見捨てられ、たったひとりで闘う気持ちで弁護士なしでこうして検察庁出頭まで来た。今回はもしかしたら、たまたま人間的、人格的に優れた検事に当たったのかもしれないとも思う。わたしが思うのは、ふつうの社会人であって人間的で、寛大で、立派なひとは決して希有ではないと思うのだが、検事という仕事をしていて、あそこまで寛容で親身な態度で相手に接することができるひとはなかなかいないだろう。決して特別に温かい言葉をかけてくれたわけではない。励ましてくれたわけでもない。ただ、同じ人間として少なくとも対等の立場であるかのように相手をしてくれただけでわたしには十分嬉しかったのだ。相手を見下したような態度、小馬鹿にしたような物言い、意地の悪いあげ足とりなどはまったくなかった。実はこれらはわたしが検察庁に来る前に予想していたものだった。その意味で、拍子抜けであった。ある意味でわたしは日本の司法を見なおした。こういうひとがいる限り、日本の司法も捨てたものではないと思った。わたしは今回の自分のヨウ化カリウム事件以来、日本の警察、司法に対して不信と猜疑心に固まっていたとも言える。その意味ではさわやかな肩透かしではあった。どこの世界にもまともな人間が若干はいるということを再確認した気がする。
検事はわたしの被疑事件の、積み上げて30センチ近くになる調書に少なくとも一度は目を通しているはずである。であるから、この私が延べ6日間にわたる警察での取り調べで話したこと、主張したことを、このわたしの顔を見る前に知っているのである。そのうえで当人に直接会い、当人の人となりを把握し、そして当人の口から直接話を聞くのが検事の仕事である。そして、検事であれ、誰であれ、まともな人間なら、今回のこの私のしたことがたとえ違法なことではあっても、道義的に見て決して非難されるようなことではなく、わたしの主張もいちおう筋が通っていることは調書を読めば、判断できるはずなのだ。その時点で実際の被疑者にどういった態度で接するかが自動的に決まってくるのではなかろうか。
“罰金刑”という落としどころ
わたしの取り調べは正味1時間20分に及び、それがいったん終わり、妻と入れ替わった。妻の取り調べは、わずか5分間であって、主にわたしたちの会社における妻の役割等についての確認であったそうだ。二人の個々の取り調べが終わり、しばらく待合室で待たされたあと、最後に二人一緒に同じ部屋に通された。
「そうですね、ま、今回の件はいちおう法律違反ですから、処罰ということになりますが、罰金刑というかたちにしようと思います。これを裁判所の方に送って実際にそうなるかどうかはわかりませんが、こちらではそういうかたちでと思っています。もちろん罰金刑に不服であれば裁判に持っていくこともできますが、どうですか」
「いいえ、裁判までは考えておりませんので・・・」 と苦笑しながら答えた。罰金刑と言っても額が気になったが、この検事の考える量刑なら法外なものではないだろうという漠然とした期待があった。
「それでは、裁判ではなく、略式手続というかたちになりますが・・・、略式手続は交通違反とかで経験はありませんか」 と言って、わたしと妻の目を見比べた。わたしたち夫婦はペーパードライバーなので、そういった経験は皆無である。
「いいえ、二人ともありません」 と答える。
「それでは、こちらの用紙ですが、略式手続を承諾する意味で署名、捺印をお願いします。また、結果についてはこちらから連絡することになります」
言われた通り、署名、捺印を済ませ、手続きは終了した。わたしたち夫婦は、「いろいろとお世話になりました」 と言って頭を下げてから、部屋を出た。
横浜地方検察庁の建物を出ると、歩道の銀杏の落ち葉が冬の日差しにまぶしかった。わたしたち夫婦は日向をたどりながら駅へと歩いた。
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