雑談君のよもやま文庫

日々の生活の中で書きとめておいたものです。よろしかったら、ご覧ください。

夏越の祓え

2007-06-30 | 日記・雑感
6月も終わり。近在の神社で「夏越の払え」を行うなんてニュースなど聞いたりする。本来であれば、旧暦の話だろうから、新暦の7月の終わりに行うのがスジなのだろうけれど。

なんでも、平安時代から残っている行事みたいで、一年の半分が終わる6月の末日に厄祓いして、後の半年を無事に過ごそうということらしい。丁度、暑さが厳しく、病も流行りやすいこの時期に、茅で作った輪をくぐりぬけて、ほっと一息というところか。

近頃は、体力がなくなったせいか、毎年毎年、今年の夏を無事越せるだろうかなどと思うようになってしまって、こうした行事にも、ふと、関心を持ってしまう。まだまだ、倒れる訳にはいかないし、がんばらねばならないが、なんとか元気に過ごしたいなと、半分は祈るように思うのである。

一段落

2007-06-30 | 日記・雑感
ここのところ仕事で、自分個人のことがなかなか手につかなかったけれど、やっと一段落。すこしのんびり気分になっている。

仕事に忙殺されながらも、横目で世の中の動きを見ていると、相も変わらぬバカ騒ぎ。論評する気にもならぬが、余裕が出たところで、漫談風に雑談してみますかね。

まずは、参議院選挙から。マスコミの安倍攻撃が功を奏してか、安部さんの人気も自民党の支持率も低落してしまっている。これで、自民党の大敗かとも思うが、まっ、選挙のことは開けてみなければ解らないというのがほんとのところ。民主党をはじめとする野党の皆さんは、年金問題で大騒ぎ。マスコミもその右翼的な体質を嫌ってか、安倍降ろしの大キャンペーン。これではチト安倍さんが可哀想。冷静に観察すれば、安倍さんの方がまじめに改革に努力しているんであって、野党の対応はお粗末だし、エゲツナイ攻撃ばかりしているように思う。

次は、北朝鮮の核施設の凍結措置。IAEAが査察ではなく、視察に出向いたようであるが、果たしてまじめに取り組む気があるのかどうか。バンコデルタアジアからの送金問題から核施設の停止措置まで、何でこんなにゆっくりしているのか。アメリカの時間稼ぎ以外の何物でもないだろう。それにミョンボンの核施設を凍結したところで、核開発が止まる訳でもなく、何の効果もないことは解っているはずなのだが。こんな茶番劇を見せられて喜ぶ人間などいないはずだ。

最後は、株主総会の話題。ブルドックソースなど中堅どころの企業の株を外資系投資ファンドが握り、配当アップを迫ったが、いずれも失敗に終わったとのこと。その他の株主が妙な愛国心?を発揮して、そうなったのだが、何時まで持つのやら。来年当たりは、皆、売国奴となって金儲けに走るのではないかとも思うのだが。

まっ、平成19年の夏は、くるくると変わる天候のように、怪しげに、かつ、胡散臭く推移していくように思う。

美空ひばりとは何か?

2007-06-24 | 歌謡・芸能評
昨日、今日とBS放送に付き合って、美空ひばり漬けになっている。彼女の歌は、何度聴いても飽きないし、聞くたびにその凄さに感じ入ってしまう。

まー、それはそれとして、美空ひばりは、敗戦直後から昭和の終わりまでやく45年間の長きにわたって活躍した息の長いスーパースターである。それを支えたのは彼女の卓抜な歌唱力と個人としての魅力であったのだが、しかし、一方で、彼女を多くの大衆が支持してきたことの背景には、戦後という時代の精神といったものが彼女の歌や個性の中に反映されていたことも事実である。

ところで、美空ひばりの個性や歌の特徴について考えてみると、そこには、焼け跡の中で、貧しさと世間の冷たい目の中で必死にがんばる母と子の姿が浮かびあがってくる。男なんかには負けないでがんばる、まさに男まさりの女が美空ひばりやその母親の個性であったことは誰もが納得するところだろう。

一方、敗戦という未曾有の経験は、日本人に何をもたらしたのだろうか。それは、戦前、戦中を通じ、社会を律してきた男性的価値観の喪失であり、そのことは社会全般にわたる男たちの自信の喪失となって現われることになる。いわば、戦後社会は男性不在の社会から始まったと言え、日本全体が母子家庭といった状況であったと言えるのではなかろうか。

そんな男性不在の社会の中で、美空ひばり親子の男まさりの生き方と歌は、男たちに代わって人々へ生きる勇気と励ましを贈り続けてきたように思うし、この歌を聴いた人々も、美空親子の生き方とひばりの歌の中に自分たちの生き方を重ねあわせ、共感し、人生を歩んできたのだと思う。

そうでなければ、美空ひばりは、あれほどの社会的な影響力を持ち得なかったような気がするのだ。・・・いや、美空ひばりは過去の人ではなく、今もなお、一定の世代までには確実に影響を与え続けているのだと思う。生誕70周年記念で美空ひばり特集がこれほど派手に行われることが何よりの証左であろう。・・・ということは、戦後60年を経過する中で、美空ひばり以外には敗戦で喪失した価値観そのものを再構築した人間がいないことを表しているようにも思うし、男たちの復権もまだ果たされてはいないのではないかとも思ってしまう。

日本人のアイデンティティというものを考えるとき、美空ひばり存在が大きい分だけ、なんだか日本人そのものの精神的な貧しさが見えてくるようにも思う。

「愛燦燦」から「みだれ髪」

2007-06-24 | 歌謡・芸能評
美空ひばり生誕70周年ということで、NHK・BSで特集番組を組んでいる。久々に美空ひばりの歌をまとめて聞いたのだが、やっぱりすごいなと思う。歌声も歌唱のテクニックも表情も、すべてが人を呻らせてしまう。

今回は、ほぼ年代順に歌が流れたので、美空ひばりという歌手の人生の軌跡みたいなものを感じることができた。その中で、やっぱり、気になったのは人生の後半部である。

昭和56年の母親の死亡から美空ひばりは大きく変わったように思う。それまでは、どちらかと言えば、女らしい艶っぽい声の中に感じる男気のような明るさ、気風のよさが魅力だったと思うが、久々のヒットとなった「愛燦燦」(昭和61年)は、歌そのものだけでなく、美空ひばり本人の持つ雰囲気もそれまでのものと一変していた。

しっとりとした女らしさが前面に出てきていて、ある種の愁いみたいなものが漂っているのだ。

それは、一卵性双生児とも言われた母親の死から立ち直った美空ひばりが、初めて一人の女として見せた孤独な姿だったのかもしれない。或いは、近い将来の死の予感だったのかもしれないが、そこには、幾分少女のような初心な心と年老いていく女の諦念みたいなものが混在していて、そんな彼女の気分が「人生って不思議なものですね。」という歌詞に表われているように思う。

その後、彼女は病に倒れ、短い闘病生活の後に東京ドーム公演を行うのだが、その時の冒頭の歌が「みだれ髪」(昭和62年)である。この時点では、彼女は自分の死を実感していたと思う。歌は「三重に巻いても余る秋」と自身を表現し、かつ、最後は「ひとりぽっちにしないでおくれ」という叫びで終わるのだが、聞いていて、その壮絶さが強烈に伝わってくる。

東京ドーム公演は、不死鳥のような復活をアピールしたのだが、本当のところは、復活どころではなく、「人生一路」として歌い続けてきた彼女のお別れコンサートであったと思う。

彼女は、平成元年に亡くなるのだが、僕らは、彼女が人生の終わりに見せた純粋な心根や人生に対する孤独感、歌にかける意気地みたいなものに飲み込まれてしまって、しびれるような感覚を身体全身に受けてしまう。

年金問題を巡って

2007-06-10 | 日本政治経済(厚生・労働)評
様々な議論が百出している。ただ、その内容をみると、与野党間では来るべき参議院選挙に向けて互いのなじりあいが軸になり、マスコミによる批判も現政権の責任追及に偏り、問題の本質を見えなくしてしまっている。

国民に解っているのは、過去の年金データのうち、電算分の約5,000万件とマイクロフィルム分の約1,400万件がが宙に浮いてしまっていて、現在の年金支給根拠として反映されていないことと社会保険庁の事務がいかに杜撰に行われてきたのかということだけである。

具体的数値はともかく、こうしたことは、随分と昔から解っていたことではないのか。個々の年金支給に当たって、過去の払い込みが反映されずに起こったトラブルは数多くあったのだから。

政治家連中も、参議院選挙に向けて自党を有利にし対立する党派を貶める行為にのみ心を砕いているのは如何なものか。行政を監視する立場にある政治家として、過去営々とこうした行政の怠慢を見逃してきた責任は、与野党を通じ、すべての政治家に責任があるのではないか。政権与党であった自民党はもちろんのこと、労働組合の怠慢を許してきた、民主党、社民党、共産党も同じ重さで責任があるのではないか。

一国民として年金問題について言わせてもらうなら、まず、政治家全員が行政の怠慢を十分にチェックできなかったことを国民に謝罪すべきだと思う。そして、年金問題については超党派でその改善修正を行い、決して政治宣伝に利用しないことである。社会保険庁の今後の有り方は政治課題であるものの、年金データの修正は単なる技術問題に過ぎないからだ。

そして同時並行で、こうした問題が生じた原因を過去までさかのぼって追究して、行政責任とともに政治責任も明確にしていくべきである。とりあえずは、国会議員全員に責任があることを明確にするために歳費の一部をカットするなどの措置を行ったらどうか。

マスコミの報道振りにも不満がある。相変わらずステレオタイプの皮相な現政権批判と行政批判を繰り返すだけで、ちっとも問題の本質に迫っていかない。特に、左翼系のマスコミは安部政権の路線に不満があるのか、安部降ろしの材料として年金問題を扱っているようにも思える。

こうした愚かな国民を相手にしたポピュリズム的な馬鹿げた議論を聞いていると、ほんとに日本という国は救いようもない国になってしまったと感じてしまう。