可不可以? 又は 最甜蜜的負担

F4と内田篤人を愛でつつ、直観の趣くまま好き勝手に語ってます。
不好意思!

8年目の3.11

2019年03月11日 | Weblog
あのころの未来に ボクらは立っているのかなぁ


 すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ
  悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ
  溜息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた…





 いくら何でも、これで原発は終わると思った。
当時の民主党政権が「2030年代に原発稼働ゼロを目指す」(野田首相)と決定した時、
「遅いよ!すぐ廃止にしろよ!」と思ったけど、
せめてこの決定が生かされていたら、今こんなに暗澹とした気持ちにはならないだろう。
すでに「原発ゼロ」の道筋が見えていたら…

アベネツゾウは、今日の追悼式で「復興を加速化する」と言った。
実際には、「復興終わったつもり」を加速化しようとしている。
今年、4万人を超える原発事故の避難者に対して、賠償と住宅無償提供を打ち切る。
現地に足を運んだといっても、きれいになった道路の開通式やら、三陸鉄道で景色を眺めるだけ。、
それは、お膳立てされた観光旅行じゃ

 まさか、大災害で打ちひしがれたこの国を、さらに食いつぶすようなヤツらがいるとは思わなかった。
なんでそんな悪党が、いつまでも政権の座にあるのだ
早く、早く政権交代を!!
未来を信じられるように…


  このままどこまでも 日々はつづいていくのかなぁ
  雲のない星空が マドのむこうにつづいている
  
  あれからボクたちは 何かを信じてこれたかなぁ
  夜空のむこうには もう明日が待っている
                 
               「夜空ノムコウ」 SMAP(1998年)




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2 コメント

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もう八年、まだ八年 (ごんふく)
2019-03-13 07:24:21
昨日、投稿したらなぜか反映されていなかった(泣)

11日の2時46分はわたしも自宅で黙祷しました。
八年前のあの日、会社で激しい揺れに見舞われ、歩道を埋め尽くす大勢の人に交じって、夜、自宅を目指して国道を歩いたことを鮮明に思い出します。原発の爆発で首都圏も混乱、あのときは首都圏も壊滅するのか? と不安でしょうがありませんでした。

実際、いろんな偶然が重なって「最悪の事態」はまぬかれましたが、首都圏全体が「帰還困難区域」と化してもおかしくない状態だったことがあとでわかっています。
そしていまだにふるさとを追われた人も大勢いるというのに(自宅を見に行ったり、墓参りするのも防護服を着たりしなければならなかった)、原発の再稼働とか原発の輸出だとか、お前ら正気か!?と思いたくなるようなことばかり。

Eテレの再放送を教えていただいてありがとう。
見ていなかったので録画します。
返信する
怒ろう! (英陸)
2019-03-14 00:19:59
 ごんふくさん
本来なら鎮魂と再生の8年にしなければならなかったのに、
私たちはこの8年、いったい何をしてきたんだろう…
そう思うと、SMAPの『夜空ノムコウ』の歌詞が自然に浮かんできました
破壊と悪夢をこれ以上繰り返さないために、
私たちはもっと怒ろう!!
返信する

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