今週も折り返しは公民館での句会です。コロナは相変わらず猖獗を極めており、住んでいる人口22万程度の市での患者は500人以上に達する日もあります。我が家の前の小児科医院からは小さな子どもの泣き声が毎日聞こえます。学齢前の子どもはワクチンも打っていないでしょうし・・・早く抗ウイルス薬の承認、投与ができるようになって欲しいです、切に願っています。
もう一つの所属句会は、メンバーが県内各地から集まることもあり今月は中止となってしまいました。
さて、公民館句会の今月の季題は「立秋」「終戦記念日」「蟋蟀」「桃」。そして、席題は「色」でした。
色という語、或いは字は様々な意味を持っておりますし熟語も多いのですが、やはり取り組んでみると言葉への向き合い方が浅かった事に気付かされますね。講師の方や仲間から様々な評を頂きましたが、自分から離れていった言葉が、いかに自分の思いを伝えられないものであるかに驚かされます。また、指導してくださる講師の師系は伝統俳句に近しいらしく、現代俳句の方々の様な思いがけない言葉の衝撃はありません。高齢になってから俳句を始めた方ばかりですから、やはりこうした作句の方が入りやすいですね。メンバーの句と私の個人的な感想です。
桜の葉色付く頃や秋に入る(よ)・・・この方は動物、植物に温かい視線を持つ方です。
色のよき四分一の南瓜買ふ(の)・・・主婦の句と言ってはまずいのかな?散文的に感じますが。
秋暁の空刻々と神の色(た)・・・手慣れた作り手です。「神の色」は驚きました、そうまで言うか。
療養の残る暑さや五色沼(し)・・・今ひとつ腑に落ちなかったです。「療養」が分かりにくくしているのでしょうか?
空色の抜ける群青帰燕かな(さ)・・・私はこういうところに目がいかないので素直に感心しました。
立秋や吹き消したまえ火の色を(ま)・・・どう読めばいいのか戸惑いました。意味も景色も掴めなくて・・・
桃色の三尺帯や盆踊り(お)・・・「三尺帯」は出てきませんね。時代?世代?の違いかな?
安穏の空飛機進む終戦日(う)・・・分からない訳ではありませんが、リズムや詩情が〜
色草や宿なき猫に寄り添へり・・・拙句です、いささかベタですが。
そういえば、我が家の庭では山吹が数輪狂い咲きしています。地球が少しずつおかしくなっています。