ラヂオ惑星モルファス

ウイルマ・ゴイク・・・io non ci saro(あきらめ)



1967年の大変な問題を生じたサンレモ音楽祭の入賞曲を追ってきましたが、ちょっと休憩。
以前にこのブログで取り上げたものの、リンクが切れていたウイルマ・ゴイクの「初期の名曲」を再掲します。当時の文章の一部も・・・

『好きな音楽はおおむね25~6歳くらいまでに聴いていたものが「DNA」となって精神を形作ってしまう・・・好みの固定化となる、というようなことを聞いたことがあります。
若く柔軟な心に入っていった音楽が血となり肉となっていつまでも心に残っていますね。

今日ご紹介したいのは「Io non ci saro 」(邦題:あきらめ)です。日本でこの曲は1965年の秋に発売された「Un bacio sulle dita」(邦題:指先のキッス)のB面にカップリングされていますが持っていません。買いそびれたのかどうか記憶にないのですが、昭和40年は大変に貧しい高校生でしたからそうそう沢山のレコードは買えなかった。親から貰った昼食代をこつこつ貯め、一ヶ月でようやく新しいシングル盤を1枚、または中古レコード屋さんで2~3枚買うのがようやっとでしたから。同じ1965年に発売された「L'amore al mare」(邦題:恋の浜辺)は持っていますので、お金がなかったかもしれませんね。

この「Io non ci saro 」ですが、いかにも60年代らしい隠れた名曲ではないでしょうか?ヒットしなかったのが不思議です。ところで、個人的にはこの動画のようなデビューしたての新人時代ウイルマ・ゴイクが一番良いですね、ヘアースタイルも一番好きです。なので、出来れば2011年の動画は余り見たくありません・・・ファンの我が儘ですが。』


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コメント一覧

yzm22822
タケコン様 コメントありがとうございます。凄い❣️私など及びもつかないカンツォーネファンですね。
私はファンクラブには入っておりませんでした。フレンチポップスも大好きでしたし、ビートルズの真似事やら〜誠に気が多い性格です。歳を重ねても変わりませんね。
当時はラジオから沢山のポップスが流れていましたね、しかも、イタリア語やフランス語❣️現在では想像も出来ないくらいに。
同じ様な青春時代だったのですね。
ほんとうに懐かしいです。
タケコン
懐かしいです。記事を書いた方は同年代のようで、中学生の頃、昼飯代100円もらって、15円のパンを3個買って、55円を貯金して1500円のモノラルLPを買っていました。ゴイクやヴァノーニのLPをその頃買いました。もしかして、キングレコードの河合さんが主宰するカンツォーネファンクラブに入っていましたか?私はキングの月報(レコード店に毎月置かれいた)をみて中学生の時に入会しました。1965年かな。毎月の例会も何回か参加して、ビルラ、ミルバ、ダララ等が来てサインをもらいました。あーっ、懐かしいです。60年年前の話ですね。
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