ラヂオ惑星モルファス

老母の診察

3月9日に入院し、手術をした後3月22日に退院した老母ですが、しばらくは外来で通院するよう指示されて、4月11日は2回目の通院でした。

3月22日には雪の降る荒れた天候でしたが、半月後の11日は25度を超える夏日!もちろんこの間に桜は咲いて散ってしまいましたが、海棠が咲き、気の早いハナミズキが開き始めました。今年は本当に気候が不順ですね~

指定された4月11日、特養の相談員さんと病院で待ち合わせて、先ずはレントゲン室へ。息子が良性の内軟骨腫で手術した時もそうでしたが、放射線技師という人種は病院のメンバーでいながら、どうしてこうも患者のことを考えない人ばかりなのでしょうか?このブログを訪問してくださる人には多分放射線技師の方はいらっしゃらないでしょうね・・・残念。入院するたびに放射線技師の雑な患者扱いには腹が立つことばかりです。

今回は、検査を終えて車椅子に乗った老母を見てびっくり!車椅子に辛うじて引っかかるように横たわっており上着も下着もめくれ上がったりくしゃくしゃに丸まっていてひどい惨状でした。早く出るように冷たく言われ整形外科受付の方へ移動したら、外来の看護師や受付のクラークが「大変、大丈夫?苦しいでしょう?痛くない?」と駆け寄ってきて私共々数人で座り直しさせ、身仕舞いを直して事なきを得ましたが・・・

改めて、検査部門のスタッフの再教育をお願いしたいなあ・・・と感じました。

さて、今回は総合病院の常として、「待ち時間が長い」と言うことがありますので、その待ち時間を利用して・・・昔のことなら覚えているかな、記憶を蘇らせて少しは「息子」のことを思い出せるかな・・・と思い、老母が学校の教員をしていた昭和20年代の写真を見繕って持って行きました。一番の白眉は老母の結婚写真でしたが・・・

なんと、自分の夫のことも忘れてしまっていました。「これは誰だ」というので、「あなたの旦那さんだよ、〇〇さんだよ、もう亡くなって30年も経つけれど、結婚していたことは忘れたかな?」・・・「忘れた」・・・・・・人生はこのようなものなんでしょうね!勿論、昭和23年の結婚写真は全く分からず、敢えて言えば自分自身も分からなくなっています。認知症とはこういうものなんでしょうか?

この日の待ち時間は大変短かったのですが、それでも数枚の写真で老母の記憶を蘇らせる作戦は一つだけ成功。それは、中学校の校舎の前で教員だけで取った集合写真。モノクロではありますが大判で大変鮮明な写真でしたので、8割方の同僚の名前を思い出しました・・・よかった。


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コメント一覧

惑星モルファス
コメントありがとうございます。
母親との関係は、若い頃から決して良好とは言えないものでしたが、自宅で介護している頃の「私を殺せ、一人では死ねないから殺してくれ」には閉口しました。受け流しも上手くなりましたが。
惑星モルファス
コメントありがとうございます。
会うたびに「お前は誰だ」と言われてばかりですが、まだこの世に繋ぎ止めるものがあるかどうか?との思いでした。
ただ、一番の生き甲斐だった筈の茶道仲間やお弟子さんを一人も思い出せなかったのは意外でしたが。
知青
配偶者のことは忘れても
同僚の8割の方々の名前を
憶えておられたのは凄いです。

私の実母も父のことは頭になく
長男のことと
自分の原家族のことは覚えていたようでした。
ミルク
https://blog.goo.ne.jp//hamisita
こんばんは。
お疲れさまでした。たいへんでしたね。
腹がたつのは、当然と思います。
だんだん、記憶をなくしていくのを見ているのは
つらいですね。
母を自宅で介護したので、よくわかります。
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