前回から「ユーロビジョン・ソングコンテストで歌われたフランス語の歌」と称して、日本では特別な分類がされている「シャンソン」・・・フランス語ではご存じのとおり単に「歌」、全ての世界を含んで「歌」・・・がどんな変化をしてきたかを見ています。
ユーロビジョン・ソング・コンテストは、イタリアのサンレモ音楽祭を参考に、欧州放送連盟加盟国による国際的な歌謡コンクールとして1956年に第1回が開かれました。ですので、比較的分かりやすい普遍的で誰もが歌いやすいポピュラーソングを選ぼうとする企画です。ある意味では歌から欧州の一体感を得ようとする、ある意味ではEUのポップス版のようなかなり挑戦的な企画だったようです。
勿論、欧州放送連盟とは全く無関係なアメリカや日本での知名度はとても低いのですが、1960年代は日本でもフレンチポップスやカンツォーネが全盛期だった所為もあり、フランス・ギャルやジリオラ・チンクェッティなども出場していますから私のような年代の者には知っている方も多いと思います。
第1回のユーロビジョン・ソング・コンテストはスイス(ロマンド地方だけ参加)で開催され、参加国はスイス(ドイツ語とフランス語で1曲ずつ)の他にフランス(2曲フランス語)、ベルギー(2曲フランス語)、ルクセンブルグ(2曲フランス語)、西ドイツ、イタリア、オランダでこの年だけ各国2曲ずつ歌が提出されていました。当時はフランス語が大勢力でした・・・
ダニー・ドーベルソンは1925年生まれ、1979年に亡くなっています。ウィキの記事によると1967年4月に自動車事故を起こし、同乗の女優さんが亡くなってしまい、精神的なショックもあり歌手を辞めているとのこと。Encyclope'disqueを見ると1955年頃レコードデビューして1965年のEPが最後になったようです。全く忘れられた歌手ですが、記念すべき第1回のユーロビジョン・ソング・コンテストのフランス代表の一人です。
Dany Dauberson Il est là France, (2nd place) 1956