遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

正月供物

2009年09月07日 | その他
お晩でがんす
今年も玉蜀黍の実りの秋が来た
玉蜀黍の干したものはお正月の大事な供物の一つである
最近は何時も青花さんの家の飼料様玉蜀黍の中から戴いてくる、
もう最近では当たり前のように戴いてくる
とても房が大きくて立派なトウモロコシだ
末広がりの八であり、沢山実る八であり十分にならない程良い八分目でもある
この八本を先ず皮をむき中側の薄い柔らかい皮でおさげ髪のように二つ網にする様に縄に綯う



それを両方を結わえて輪っかを作る
此れがなかなか難しい、程良い加減で縄を綯わないと元からはがれて取れてしまう
其の完成品が此れだ



そうしておいて、八本全部そろったら、お湯を沸かして、煮え立てて、軽く湯通しをして中の虫を殺す
こうしておかないと虫に食われて無残な結果になってしまう
20日ほど日向でほしてから後は日陰の風通しの良いところに吊るして置く



こうしてもう三か月以上も前から正月の準備をしている
毎年のことでそれが極めて普通のことになり自然とこういった気遣いができるように成る
先日、信州のコスモス街道の運営管理の方々にエールを送ったが、
伝統を守り育てるそして維持してゆく事はこういう事です
其の事が自然に極極普通に出来る、生活の一部となっている
其の事が大事なことだと私は思っている
継続は金なり。と言います、継続すると言う事はかなりのエネルギーを必要とします
まだまだ八種類のご供物を揃えるのには時間が掛りますが、自然の流れの中でうまず、たゆまず、あきず、にすることです
家を守り家例を守り、後継者に伝えることが、先祖から託された私の仕事だと思っています
相当古い考えですね

そんじゃあまたはなすべえ
遊童子








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4 コメント

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伝統を守る (チョキ・チョキ)
2009-09-08 09:38:10
玉蜀黍{とうもろこし}と読むのね
時々、師匠の打つ字が読めない
一つずつお利口さんになるようです

とうもろこしは採ってから、其のまま干してあるのかと思ったら、一度熱湯処理してあったのですね。
先人の知恵でしょうか?
伝統を引き継いでいくのは大変ですが、途切れたら其のまま終わってしまうので、
お孫さんにも師匠は教え導いているようなので安心ですね

ビエンナーレ行ってきました
かなり脳みそをやわらかくしてもらいました
街中の材木屋さんから見て回った方が良いですよ駐車場がありますから
日曜日は300人ぐらい見えたそうです
昨日は50人位かも
中之条の方達は皆親切で、御茶や漬物など頂きながら、楽しい時を過ごせました
2年前は私達と同じくらいの人が多かったのに、今年は若い人ばかり
全国から見に来てくださってます
それだけ斬新ですの連続
朝から見て、全部回り終わったのが5時半
疲れました・・・・
返信する
中之条ビエンナーレ (遊童子)
2009-09-09 20:51:52
チョキチョキ様、コメントありがとう
私も日曜日に行ってきました
確かに頭は軟らかくなりましたが、少し柔らかく成り過ぎて仕舞う様な物も有りましたね
何はともあれ芸術は難しいと言う事ですね

私の感動は、酒屋のホウロ―引きの樽の上で遠くを見つめている「豹」です
あの孤独さ、そして気位の高さ、耐える事の美しさは、ものすごく感動しました
あの眼差しの先には何が有るのかなあ、、、、
若しかしたら、いくら恋しても慕っても、振り向いてくれない人を遠くから見守るように見ているのかもしれない、、、、、

いやそう遠からず来るであろう豪雨を、どんな形で避けようか或は敵の目をかわして安全なところに避難するか、、、思案中なのかもしれない

作家は何を思わせようとしたのか?
あの豹は、仕上がって作品となった時点で、あの豹自体の個性を持っているのではないだろうか、その個性に従って場所を選び方向を選んでいるのではないだろうか

そうした事をいろいろ想わせることこそ作家の希望なのかもしれない
底知れない芸術の深遠さは見れば見るほど混乱する
それでも見たくなるところが面白い

中の条の人は親切だと言うが、本当に親切なのだろうか?

お茶もお茶菓子も一度も進められなかった
そんなに恐ろしげな顔をしていたわけではないのだが

自分の目と他人の目は違う、、、、、、、、、


そんじゃあまた









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さすが!違いが出る (チョキ・チョキ)
2009-09-10 18:03:38
やっぱり師匠は作品の見方が違いますね
恐れ入りました
豹の作品を其処まで想像もせずただ上手いナ~と感じていただけでした
そう言われて見ると、哀愁のある遠い目をしていたわね~

何を言わんとしている作品なのか理解できない作品が多々ありました
もう少しゆっくり見ないとダメなのか?
其処までの感性がないのか?
自信がないけれど、で楽しかったからまあ~良いか

日曜日で混んでいたせいか残念でしたね
平日はやっぱり空いてて得した気分です
それとも中之条の人は見る目があるのか?・・・石が飛んできそうなので退散します

ももちゃん残念でしたね
お孫さんの心が早く晴れますように
命の大切な勉強ですが・・・
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 (遊童子)
2009-09-10 21:15:55
チョキチョキ様
コメントありがとう
本当に理解できないのは見る側に責任が有るのだろうか

制作する側にも見る人に理解してもらわなければ、少しも売れないし、売れなければ食えない
それでもよいと言う人は、芸術家でも何でもなく只の変人か自己満足の激しい人ではないかなと想像する

或は他に食べられる何かを持っているとすれば
それは趣味の世界であろう

どんなに頭を柔らかくしても意図するところは解るが、作品と言えるものか不明だ
頭の程度が違いすぎるのかもしれない

でも買ってくれる人がお客であることには変わりがない、これは過去から現代まで変わらぬ真実ではないか

中の条ビエンナーレももう少し量より質の作家を選ばなければ衰退してゆくであろう

そんじゃあまた









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