遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 地鎮祭

2020年09月13日 | 年中行事

おばんでがんす

先日当社で請け負った集会場の地鎮祭があった

地鎮祭はもうはるか昔の竪穴式住居の時代からあったと言われている,神道の大事な儀式だ

その建物が 長く風水害や火災に遭わないようにという、建物のためと、その建物を作る施主を含めた職

人などの関係者が無事に完成できるようにというご加護の祈りでもある

この絵はごく普通の然も最低限しなくてはいけないものだ

中央の祭壇をしつらえるところは土を均し箒目立て清浄にする、それは神を迎えるという心の準備と

神にたいする畏敬の念の表れだ、神仏の信仰は比例だという。大きく正しく真剣に願えばそれにこたえ

てくれる、適当に手を抜いて簡単にすればそれなりにこたえてくれる

まず祭壇をしつらえる場所にお祓いを受けた者以外は入れない結界を作るその結界には三十六欽神と

いう、清浄で慈愛と力に満ちた神様が集いその地と人と家を守ってくださる

まず一辺を九尺にした四角地を図りだし其処に今年の新竹を立てる。ほぼ参列の人たちの背丈に合わせ

てしめ縄を張る東南の隅から張り出して一回りして東南に戻るように張る、竹の四柱には、のの字まわ

りにからめて固定しつつ張り巡らす

その時二本の注連縄が交差しない様に張らないと後仕事が苦労する

そして神官が用意してくださった四手幣を、ひと間に四枚ずつ等間隔に縄の,撚りを戻しながら上下二本

の縄に挟み通すこの時先に言ったように交差して張ると苦労する.四手幣が4*4で16になる

竹はしめ縄の位置から上に枝がはじまるような長さにする、枝は四枝を残して先端は伐る

これで枝の数が4*4で16になる

こうして結界を作り。中央に主神が一柱、両脇に侍神が二柱となり、合計すると35柱の神様のお座がで

きるそして最後にその地にいらっしゃる、産土の神様を加えて36となり、三十六欽神になる

又、一辺を九尺にすることで4*9=36で等しく神々のお台場が整う

結界の中央より少し真北の位置に砂盛りをしておく、砂は適度のりょうで、結界すべてに敷く場合も

あるし、盛り砂で間に合わせる場合もあるし、それはどの程度にするかは施工者と祭事者の判断,協議

である

奉献品については、その地に根を張るという意味合いから。地中の物二種、その地の上から豊かな実り

を受けるという意味合いから葉菜類など二種、果物二種、を選択する

そして海や川からも豊かな収穫を受けるがために海川の物も進ぜる、しかも清浄なものが良いが

アユやヤマメやコイなどの川魚か、海のものならば深いところに住むタイやエビや貝が良い

なぜなら、悪いことは水に流して仲良くしようとか言われ下流は悪いことのより集まりになってしまう

そこで清流に住む清流魚を神には進ぜるということだ

同じような理由から海は芥のながれこみなので大海で或いは深海で育つ、魚が良いということになる

鯛は水気圧の高いところで暮らし吊り上げると気圧が下がり目だ飛び出てしまうことから目出鯛、

エビは海老と書き長寿の願いであり、貝は、二枚合わさって夫婦和合を表す

当然家族の基本である夫婦和合は山の物にも言えるので必ず二本以上の数を使用する

その他たくさんの奉献品の種類があるが後日とし、洗米、浪の華,お神酒.御神水、などは必須だ

祭壇左にはこの荒れ地の草を刈り払うべく,斎鎌、とこの地を平らかくすべく。斎鍬が用意してある

神事は神官にお任せして、一連の諸事を行って戴き、刈り払いの儀は施主たる区長様が行い草が刈りはらってある

鍬入れは業者の私が行うので撮影できない・

参列者全員が玉串を奉典して終了し、

直会の御神酒を拝戴して終了である

しからばこの地鎮祭をしなければどれほどの障りがあるか言えば何もないだろう、しかし心のありよう

や持ち方やゆとりは、必ず向後の生きてゆく上に良いことをもたらすだろう

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

 

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