すずき日記

仕事から遊びまで思いつくまま!

生きるということ

2008-11-27 03:59:41 | インポート

 大学時代の無二の親友の奥さんが亡くなりました。27日は現場の着工が2件あり、お通夜だけさせていただいて今帰ってきましたが、往復6時間の運転も現実とは思えないような感覚なのです。

 今年最後の「すまいる新聞すずき日記」で我々の世代は予防に気をつけないといけない、旨のことを書いていましたが、その矢先にです。倒れてからたった2ヶ月程だったなんて言葉もありません。

 いくら気をつけて予防していても、定期的に検診を受けていても命尽きる時は尽きるのも運命です。しかし、今まで一見元気だった人が突然倒れ、ほんの数ヶ月であの世に旅立たれるのを何人も見送ってきたんです。その違いは「死への準備」が少しでもできるか?できないか?なのです。彼女など、2日ほど一瞬自宅に帰れたのみのようです。かわいい子供たちが可哀想でなりません。

 人として生まれた以上、死も100%やってきますが、元気なうちから死を直視して生きる人は極めて稀のはずです。そこに死が現実味を帯びた問題としてわが身に降りかかる事で、やっと死を現実問題として捉え、動き出すのが普通です。

 少しでも早期発見することで、「死への準備」時間が増えるんです。そうしているうちに劇的な改善も起こり得ます。仕事先、関係先、何よりかけがえのない家族のために、「自分だけの命ではない」ことを思い知りながら大切に生きていかなければならないように思います。同世代の皆様には本当に気を付けていただきたいと思います。

 

  

 

 

 


住吉の長屋

2008-11-23 01:25:25 | インポート

 先日、南部方面に走ったついでに、抜けるような青空に誘われて住吉の長屋に立ち寄ってみました。住吉の長屋といえば安藤忠雄さんの実質的なデビュー作です。

 個人宅なので内部には立ち入れないし、正確な所在地は当然公表されていないので、今まで近くでありながら見たいとは思っていなかったのですが、あるサイトでこのお宅の手作りの表札を写してある写真を見てから一目訪れておきたいと思っていたのでした。

 一般的には住みづらい住宅に今なお30年以上も住み続けている施主の心意気と人柄とセンスが、この手作りの表札に表れていると感じました。さっと前を往復しただけですが、でもさっと外壁を触らせていただきました。メンテナンスされていて、堅くても繊細なコンクリートでした。素晴らしい。感動しました。ありがとうございました。です。

 村野藤吾さんはこの家を訪れ、「住み手に賞を贈るべきであろう」と言って帰られたそうです。建築家が厳しい建築条件の中で考え抜いて、施工者がプライドをかけて建てた建築に、住まい手がライフスタイルまでも合わせて住み続けている。建築に携わる者にとってこんなに嬉しいことはない、と思います。

 住吉の長屋以降の安藤さんの活躍は、人によっては(建築関係)妬む向きもありますが、独学で建築を学び、世界的な成功を収めても「育ててもらった大阪を離れない」という安藤さんが私は好きです。安藤流の建築表現というよりは、安藤哲学が私は好きなんですね。

 今回は個人宅なので写真は写していません。帰りに住吉大社にお参りしました。

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日没閉館

2008-11-03 13:02:29 | インポート

 昨日は人工の照明設備がなく、明かりは自然の光のみで日が暮れると閉館という、俗に「日没閉館」と呼ばれる安藤忠雄さん設計の美術館へ行ってみました。

 多くの安藤建築は照明を多用せず、自然の光の扱いが巧みですが、ここはうーん・・・。美術館の一般解とはなりにくい建築です。展示する側としては作品を守る、やはり人工的に制御された空間を望むのが大半でしょうね。

 元々はある個人画家の収蔵作品を展示する美術館として開館していたようですが、今ではその方の作品は撤収されていて、別の方の作品が展示されていました。掃除も行き届いておらず、芸術作品を鑑賞するには寂しいスペースと化していました。残念。

 ここのことは以前から気になっていて、安藤さんの最新の著書でも書かれていたので行ってみたのですが、建築はいいものを造るのも難しいですが、それ以上にメンテナンスをして住み込んでいくこと(ここのような公共的なものなら活用する努力)が必要です。大切な予算を使ってハコを造っただけではいけませんねぇ。無駄遣いで終わってしまいます。

 東大阪の司馬遼太郎記念館を見習ってください。ボランティアの方々の努力が素晴らしくて、そこに建築が生きてきているのです。こちらはお勧めです。

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