脳腫瘍のパパ

2008年夏、パパが脳腫瘍に・・。
パパは旅立ってしまったけれど、同じ病気に悩んでいる人の参考になれば幸いです。

忙しいです!

2010-11-25 20:38:36 | Weblog
パパがいなくなってから3週間ほど経ちました。
私は毎日銀行行ったり市役所行ったりで忙しいです。
その忙しさに昼間は気が紛れているのですが、夜は辛いです。
涙がなくなることはないのかなぁ・・・?と思うほど毎日毎日涙がこぼれます。

3人の子供たちがいなかったら私は生きることをやめてしまったかもしれません。
『お腹すいた!』と言われるからごはんを作らなければならない、洗濯物は山になってしまう、これでは私がいなくなってしまったらどうなるのか・・・、そう思うから今の私は生きていられます。
息子たちをパパの分まで立派に育てないと!と頑張る気力をもらっています。

あんなにお金に困っていたのに今はたくさんのお金・・・。
パパが命と引きかえに私たちに残してくれた。
なんだか心にぽっかり穴があいたようで、すごくむなしい。
『こんなお金よりパパに生きてて欲しかった』そう思わずにはいられません。

頑張って3人育てて、頑張っておばあちゃんになるまで生きたら、パパは私を迎えに来てくれるよね?!
私だけおばあちゃんはちょっと悲しいけど・・・(笑)

パパを連れて帰ってきました

2010-11-07 19:19:27 | Weblog
昨日お通夜、今日告別式で一通りのことは終わりました。

2日の夜急変してから3日4日は落ち着いていたのですが、5日の午前3時過ぎに病院から電話があって子供たちと行きました。
4時過ぎに着いたときはまだ昨日の様子と変わらなく見えたのですが、心拍数が180前後になっていました。

6時10分ころ検温と血圧測定に来たのですが血圧が測れません。
ハアハアと辛そうに呼吸していたのに急に呼吸がゆっくりになりました。
そのうち息が吸えなくなったので「パパ! 息吸って!!」と私が言うと1回だけ吸って次は吸えませんでした。

私と子供たちはパパの最期に間に合いました。

病院が変わることをパパは嫌がっていました。病院を変えればたくさんお金がかかってしまうこと、みんなに迷惑をかけていることがパパ自身辛かったし、許せなかったから急いで逝ってしまったのだと思います。

パパの骨は壷に入りきれないほどありました。
41歳は若すぎですよね・・・。

きっと今ごろは空の上でたくさん歩いてたくさん話をしているよね。
タバコもたくさん入れてあげたから心置きなく吸っていいよ。


今までたくさんの人に励ましていただきました。ありがとうございます。
これからは子供たちと頑張って生きていきます。

あさみさん、そよかぜさん、ごんままさん、たけちゃんさん、いつもコメント本当にありがとうございました。
これからもみなさんのブログのぞかせてくださいね。

急変・・・

2010-11-03 21:50:30 | Weblog
昨日の夜、急変してしまいました。
病院からの電話で子供たちと駆けつけたのですが、瞳孔が開いてしまっているから電話したとのこと。
とりあえず点滴で薬を入れたら持ち直したけれど、もう眠ったままの状態・・・。
目を覚ますこともないと言われました。

パパを少しでも自分の納得した病院で診てもらいたいと思って、緩和ケアのある病院を毎日見学に行っていた矢先の事でした。
主治医の先生は『もう病院は探さなくていい』と言っています。
年内、今月もつかどうか・・・、といったところみたいです。

先生に『人工呼吸器をどうしますか? もしもの時はアンビューで家族が来るのを待っていますから・・・』と言われました。
『人工呼吸器は結構です。』と言うのが精一杯で病状の説明はほとんど覚えていないです。

確実なのはパパの命が限界を迎えていること。

きっとパパは病院が変わって自分にお金がたくさんかかってしまうこと、トイレも行けなくてみんなに迷惑かけてしまって、私や子供たちが辛い思いをしている・・・と悟ったのではないかと私は思います。
パパは私と子供たちを何よりも大切に思っていたから、もうみんなを苦しめたくないと思ったのではないのかなぁ・・・。

鼻から管が入っているパパはぐっすり眠っているみたいだけど、本当はあれも痛いんじゃないか・・・。
もうパパが痛かったり苦しかったりしないで逝かせてあげたい、今の私の願いです。