謝れる相手がいること、謝ることができる。
これは幸運であり幸福です。
誰だって罪を犯したくて罪を犯しているわけではないです。
時代が、社会が、家庭が、学校が、職場が、そのストレスでつまらないことをしてしまうものです。
その時、相手がご年配の方だった場合に、自分が罪を犯してしまったことに気づいてもご年配の方ならもうこの世にはいないかもしれません。
つまり、謝りたくても謝れる相手がいないのです。
これは大変辛いことです。
しかし、深く深く自分の罪を反省したならば、自分の犯した罪以上に善行をすれば良いのだと思います。
いつの日か真我に許される日が来るかもしれません。
もし、相手の人の怒りが頂点に達して、謝罪を受け入れてくれることがなければ注意です。
これは本当に怖いことです。
自分の罪の精算ができないままあの世に行く可能性があるからです。
自分が気づかないところで恨みを買っていることもあるでしょう。
自分が善意で生きて最期の最後に真我が自分を判断してくれます。
その判断に委ねます。
けど、生きている間は善意を利用されることもあるので注意が必要です。
あの時の誰かごめんなさい。
ありがとうございます。