ゆるい遊び

起こるとは、名前をつけること

私の子供時代を思い返しますと当時は不思議なことが沢山ありました。

そのうちの一つが、何も起こっていないのに周りの大人が騒いでいることでした。

なんでそんなことで騒ぐの?

と子供心ながら不思議でした。

周りの大人から「これはこうで」「こうなるとこうなる」と説明されてもよくわからない子供でした。

しかし、よく説明してくれるので私なりにわかろうとして、こういう時はこうなるこう考える、というふうに覚えました。

ところが、今思ってみるとそんなことなかった。

起こるとは、目の前の形に名前をつけて、みんなで騒ぐことをいうのだと思うのです。

ですので、周りに合わせて、周りと同じように騒ぐ名前を付けなくていいと思います。(自分なりの名前をつけるときは、自分の中だけで。人と話す時は共通の言葉で話した方がいいです)

今でも思い出すのは私が小学校の頃、学校の校庭に指導に来ていたおじさんが「こうなったらこうなる」というのがわからなかったのです。

つまり、こういう時はこう考えるというのが私にはわからなかったのです。

当時の私の周りの大人は一生懸命教えくれたと思います。

精一杯の愛情でしょう。

しかし、誰も満ち足りた表情をしていませんでした。

私が大人になった今、当時の大人たちの心情を察すれば満ち足りな表情になれないのも確かです。

私生活でのストレスがあったでしょうし、体の不調もあったでしょう、人間関係の悩みもあったことでしょう。

そのどれもが私生活でストレスを感じる名前を出来事につけ、体の不調をストレスに思う名前をつけ、人間関係の悩みにストレスを持つ名前を付けていた。

出来事に名前をつけるのは自分なりの自由でいいと思います。

ピンチが訪れたら、挑戦と名前を付けてもいい。

不幸が訪れたらもっと優しくなれるチャンスと名前を付けてもいい。

たまたま育ってきたときに周りの人が使っていた名前をそのまま使うことはないのです。

ところで、自由に名前を付けていいなら意味も自由なのでは?そう思う人もいるかもしれません。

その時は、付けた名前に意味をプレゼントすればいいと思います。

今の自分が苦しんでいるのは、付いている名前と名前に付いている意味に苦しんでいる。

ならば、楽しくなる、嬉しくなる、喜ぶ名前と名前に意味をプレゼントすればいい。

ある出来事に対してどこを観測するかは私たちの自由です。

なので名前と名前に意味を付けることは全然おかしくありません。

それも一つの観測です。

つまらない人生なんてないのです。

楽しい人生をつまらなく生きているだけなのです。


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