JDさんのブログ

頑張りたくても自律神経の乱れであまり無理はできず…。日々の発見や不安について書いてます!

喘息になりました(多分)

2024-06-05 21:53:59 | 日記
こんばんは。お久しぶりです。毎回ブログの書き出しが「お久しぶりです」となっていてすみません。
どうにも私生活が忙しく、なかなかブログを開く機会に恵まれず…高校生のときは通学する電車の中で、しかもスマートフォンでそれなりの長さのブログを書いていたのですが、今はパソコンの方が早いので、パソコンを開くという一手間を惜しんだ結果久しぶりの更新が続いている…といったような状態です。
ちなみに4月の末ごろに初めてコロナにかかりました。
周囲に感染した人はいなかったのですが、直前までとても忙しくしていたのでおそらくそのせいだと思います。
ひどい倦怠感に苦しめられ、お風呂に入るのすらやっとという状態だったのですが、後遺症というほど引きずることなく日常生活を送ることができています。
また、5月に入ってから近しい人を2人立て続けに亡くすという悲しい出来事もあり、相変わらず忙しい日々を送っています。

さてこれも最近の傾向ですが、何かことが起こった時にブログを更新するようになってきています。
今回も例によってことが起こったからなのですが、その理由はタイトルに書いてある通りです。
数日前、勇気を振り絞って呼吸器内科を受診したところ、高確率で喘息だという診断を受けました。
正直、小学生の頃から花火や湯気、液体の制汗剤を吸い込むと激しい咳が急に出ていたこと、中1の秋と中3の春に喘鳴とも言える症状(息苦しさで目が覚め胸からキューキュー音がする、仰向けが苦しい、ゼーゼー音がする)を経験していたこと、喘息と診断は下りていないまでも気管支の弱い家系であったことなどから、喘息だと言われることに一種の覚悟のようなものをしていました。
今回は春先から夜中に目が覚めて咳が出ること、舞台を観に行っても咳を必死で我慢するために集中できない時間が生まれることを理由に受診しました。
大したことでは無いけれど、なんとなく困っているという程度の症状での受診だったので、おそらく一番辛かったであろう中学時代の頃と比較すると落ち着いた状態での受診だったと思います。
なんとも無いならそれでいいかな、という気持ちで受診したのですが…。

まずは問診の段階で、今の私の症状に一番当てはまるのは喘息では無いかという話がありました。
ただ喘息と診断するためには肺炎や結核といった他の疾患を除外する必要があるため、まずはレントゲンとCTを撮り、呼吸器の検査(後からNO検査と判明)、血液検査を受けるように指示されました。
検査を終えて診察室に入ると喘息についてのパンフレットが置いてあり、そこでなんとなく察しました。
血液検査の結果は出るまでに時間がかかるということでしたが、CTを見る限りでは気管支が腫れて狭くなっていること、NO検査で確定とはいかないが喘息の可能性が高い数値であったことを伝えられました。
ここまでの段階で「血液検査の結果次第なところもあるが、おそらく喘息なので、今日からもう喘息の治療を始める。治療すると比較的早期にNOの数値も下がっていくと思う」と告げられました。
先ほども書いた通り、ある程度の覚悟をして受診していたので大きな動揺はなかったつもりです。
でも診察室でパンフレットを見つけたときにはなんとも言えないショックのような感情が襲ってきました。
あ、やっぱりそうなんだな。喘息だったんだな。という言葉が浮かんできただけで、あてはまる感情を表す言葉は見つけられていませんが、やはりドキッとしました。
早速吸入治療がスタートし、苦い吸入薬と悪戦苦闘する毎日です。
明確な症状があまり無い今で診断されるなら、中学生の時の私はやっぱり辛かったんだということを実感しました。
そしてそんな自分に対して少し悲しい気持ちになっています。
あんまり無理せずに早く治療をスタートしていれば、こんなに不安な気持ちにならずに済んだのだと思うと複雑です。
状態の良くない気管支を放置していたせいで今も腫れているのだと思うと、もっと早く誰かに相談すべきだったなと反省する気持ちもあります。
ただ、病名がついて治療がスタートしたので、やっと普通の人と同じ生活を送れるかもしれないという希望もあります。
すぐに息切れしない、咳も突然でない生活が送れることが楽しみです。
血液検査の結果もなんとなく過去のデータを考えると予想ができるので、喘息だと改めて宣告されるという覚悟をして次の外来に行こうと思います。
なんにせよ今は吸入がスタートしたところなので、苦いしむせるし大変ですが頑張ろうと思います。

過去の私も最近の私もいろいろありました

2024-03-06 21:21:28 | 日記
こんばんは!とてもとてもとても久しぶりの更新になってしまいました。
いろいろ見てはいたのですが、なかなか書くまでには至らず…気付けばもう数え切れないほどの時が経っていたようです。
この間に私は就職、離職、転職を経験しております。
あっという間の転職でしたが、自分を守るためには必要なことだったのだと、今はそう思っています。

いろいろありすぎて、もろもろ書き切れないのですが笑
とりあえず誕生日の一人旅の話を中心に、思い出した順に備忘録がわりに書いておこうと思います。

ではまず一人旅の話から。
私の誕生日は2月中旬で、毎年のように受験シーズンと被っていました。
私が受験する年もちょうど入試シーズンでした。
きちんと勉強しておけばよかったと今となっては思うのですが、中学3年になるかならないかくらいの時期から体調が安定せず、勉強に気持ちが向かなかったのもまた事実です。
結局のところ私は自分の誕生日に不合格を悟りました。
親からも誕生日を祝われるより前に「勉強しなかったあなたが悪いね」という話をされ、落ちるところまで落ちました。
自分の誕生日を親に祝ってもらえない、それどころか責められるようなことを言われるのはもちろんショックですが、今以上にそれが重くのしかかったようです。
「生まれてきたこと自体が間違いだったのだ」と泣きながら二の腕に剃刀を当て、ズキズキと走る痛みを我慢して切りました。
比較的冷静に自傷行為に走ることが多かったので、激情に駆られて腕を切ったのはこの時がほぼ初めてだったと思います。
それでもツーっと血が滴り落ちるのを見て「あ、やばいな。」とティッシュで流れ出る血を拭い、誰にもバレないように絆創膏を貼って何食わぬ顔で過ごしました。
相変わらずカミソリを離した瞬間に痛みが消えていきました。
無痛状態は長続きせず、徐々に痛みが出てきましたが何とか我慢して過ごしたことを覚えています。
次の日も傷跡を見ることができず、この時初めて自分の自傷行為で保健室を頼りました。
さっと処置をしてくれた先生には今も感謝しています。

…とまぁ自分の誕生日にとても悲しいことがあったのです。
その時の傷跡はもちろんしっかりと腕に残っていて、嫌でも思い出さざるを得ないことがあります。
一種トラウマのようなものだと私は思っています。
本来は生まれてきたことを祝われる日であろう誕生日が、今までで一番死にたくなった日だというのはなんとも悲しいことです。
楽しい誕生日もそのあと経験しました。
でも毎年毎年、どこかのタイミングで死にたかった孤独な私に向き合っています。
今年も例外なくそうでした。

でもふと「孤独をいい思い出で上塗りすれば、あの時の孤独も悪いものじゃなかったと思えるのでは?」と思い立ったのです。
家族から離れて一人になってみたいと思ったのもあります。
年に一度しかない誕生日を無駄遣いしたような気もしますが、逆に年に1回しかないからこそ今回がチャンス!と感じました。
思い立ったが吉、さっさと切符とホテルを抑えて、一人で旅に出ました。
誕生日の孤独は誕生日の孤独でしか癒せない、をモットーに出かけたはずが…

まず仕事が押して新幹線に間に合いそうになく焦っていた私にタクシーを手配してくれた先輩。
頑張ってタクシーを飛ばしてくれた運転手さん。
財布のない私が唯一入れたお店でご馳走してくれた店主さんに、同じ旅人の方。
偶然で繋がっていた女性に、隣にいた同業者さん。
店主さんの紹介で出会った様々な背景を持つ人々。

本当にたくさんの人に出会って、たくさんの人にお祝いしてもらいました。
一人でほの暗い過去と向き合う時間にするはずが、朝から晩まで温かな人々に囲まれる時間になったのです。
本来の旅の趣旨とはだいぶずれましたが、生きていてよかったなと心から思える時間になりました。
トラウマはトラウマで、辛い過去であることに違いはありません。
でもそのトラウマを包んで癒してくれるくらいの素敵な誕生日にしてもらえました。

…結局のところ私は今も自分の過去に囚われている節があります。
でもその思い出を数年間かけて上書きできて今はとても充実していると思っています。


これに関連してもう一つ。
いや二つくらいあるかもしれません笑
とりあえず自傷行為のところから話そうかと思います。

私と自傷行為は切っても切り離せない関係になってしまいました。
小6の終わり、12歳になった直後から大学2年生の20歳までおよそ8年間、断続的に自傷行為を繰り返してきました。
特に中学生・高校生の間は感情が大きく揺れ動くことも多く、せっかくやめられたと思ってもまた切る…というのを繰り返していました。
表面上は明るく楽しく見えていたでしょうし、私自身も忙しいながら充実感は持っていました。
でも私の心の奥底、ベースとなる場所には自傷願望や希死念慮が残っていて、ふとした瞬間に自傷行為のことを考えている自分がいました。
最初の頃はリスカをやめて何ヶ月とか、何年になったとか数えていました。
でも今思えばその時点で自傷行為のことを考えていたんですね。
ちなみにコロナ禍以降は一切の自傷行為をしていません。
切りたいと思うことがなかったわけではありませんが、切らずに何日経ったとか、何ヶ月経ったとか、そういうことを考えずに気付けば3年だか4年日々が過ぎていました。
やっと今になって自傷行為の呪縛から解き放たれたのだと思います。
逆にそれまではずっと自傷行為が日常でした。

本当の大元の大元の自傷行為との出会いを考えてみました。
それは多分小学校中学年〜高学年の間にブックオフで出会った2冊の書籍です。
大筋は恋愛ものでしたが、2冊とも絶望のどん底で自傷行為の描写が出てくるものでした。
どうしてその年でそんな内容の本を手に取ったのかですが、意外にも理由はシンプルで装丁が綺麗だと思ったことにあります。
もちろん帯や背表紙、冒頭数ページを読んでその内容にも惹かれたから買ったのですが、でも最初の理由は綺麗な表紙です。
そして読み進めるうちに自傷行為について知るようになった。これが記憶にある限り一番最初の理由です。

ただここで私の中にあった歪みが可視化された部分もあります。
何回も何回も繰り返し同じ本を読んで、心に残ったページに折り目をつけるようになりました。
内容に感動して泣いてしまったシーンが多かったのですが、自傷行為の描写が出てくるシーンのほとんどに折り目をつけていたのです。
当時は自傷行為をする自分のことなんて想像もできませんでしたが、たぶん人よりも早く自傷行為について触れ、刺激されてしまいました。

実際に行動に起こしたのは小学校の卒業式から数日経ったある日、自宅で1人でテレビを見ていた時でした。
理由は多分一つではなくて、複合的なものだったと思いますが、大きいところとしては卒業した喪失感、仲のいい友人と離れてしまう不安、そして中学受験に失敗したこと、が挙げられると思います。
そして何より一番仲の良かった友人が画鋲で手首を傷つける自傷行為をしていたのです。
教室でもその行為をして、私に見せつけてくるような出来事が何回かありました。
それらが重なって、たまたま1人になったときにカッターと針で一本の傷をつけたのです。
本で読んだように血が滴ることはなくて、うっすい浅い傷をつけるのが精一杯でした。
でも1人の時にそんな悪いことをしている背徳感で心拍数が跳ね上がり、なんとも言えない気分になったのを覚えています。
そうやってつけた薄い薄い傷を残したまま私は中学生になりました。

中学生になってすぐの頃、仲のいい友人1人と同じクラスで同じ部活の友人2人と担任に呼び出されました。
私が何をした記憶もなかったのですが、普段は入れない他の学年のフロアにわざわざ呼ばれて、話がしたいと言われたのです。
4人で2人ずつのペアになって話す、という作業を何回か繰り返しました。
そして最後のペアの時、私の前に友人、そして担任がいました。
そこで友人から腕を見せて欲しいと言われ、私は致し方なく自傷行為の傷跡が残る腕を見せました。
きっとこれが聞きたかったんだろうな、とすぐに悟りました。
私の腕を見た友人はその場で大号泣でした。
そしてその場で「いつでも相談に乗るからもう切らないって約束して」と言われました。
そこまでしてくれるなら…と自傷行為をやめる決意をしました。
これが夏前の出来事だったんじゃないかなと思います。

教室での約束からたった2ヶ月ほどで、私は一番心配してくれた友人と絶交状態になりました。
何をしたという心当たりもないのに、コソコソ聞こえるように陰口を言われ、クラスでも部活でもずっと気にしていました。
部活内にも仲のいい人はいましたが、どうしてもパート別に分けると離れてしまったので、当時の私には居場所なんてありませんでした。
そんな生活が続いたある日、先輩とのやりとりで落ち込んだことも相まって、「約束を先に破ったのは向こう(相談に乗るどころか追い詰めるようなことをしてくるという意味で)なのだから、私だって約束を破ってもいいんじゃないか」と思いました。
そして私は半年ぶりにカッターで手首を切りました。
最初にした時の傷に比べればほんの少しだけ深くなりました。
血が滲むかどうかという浅い浅い傷をたくさんつけました。
1回で20〜40回ほど切りました。
約束を破ってしまった後ろめたさのようなものもありましたが、それ以上にやっぱりスッキリしました。
そして私は次の日学校を休みました。

ちょうど体育祭や文化祭の時期で、クラスに居場所がなかった私はそれ以降もちょくちょく体調不良を理由に学校を休みだしました。
月3日、家族が誰もいない日を狙って休みました。
休んだ日は心ゆくまで寝て、なかなか見られない昼間のワイドショーを見ました。
そのうちにテレビにも飽きてきて、自室に戻ったらふと「今日も切ろうかな」と思い立つのです。
別に何か悲しいことがあったとか、辛いことがあったとか、そういうことはありません。
でもなぜか切りたくなって、隠し持っていたカッターでまた浅い傷をつけました。
ある日、ふとカッターじゃなくてカミソリで切ったらどうなるだろうと思い立ちました。
私の中でカミソリというとT字のイメージだったのですが、リストカットにはI字カミソリを用いることを知ったのがこの頃だったのです。
早速興味本位でカミソリで切ってみました。

とにかく痛かった。
ヒリヒリしてズキズキした。
血はいつもよりも出やすかった。
でもやっぱりカッターより痛かった。

あまりにも痛くて、しかも怖くて、一旦はカッターでの自傷行為に戻りました。
でも気持ちがあまりにも落ち込んだ日、カミソリでまた切りました。
力を込める分痛かったけれど、初めて血が滴り落ちるのをみて、今までにない感覚を味わいました。
そしてその時の傷は10年以上経った今でもしっかりと右腕に残っています。
ある程度治ってからも半年近くの間、お風呂上がりに傷がピンク色に変わっていました。
しかも力の込め方が悪く、手首の内側というよりは手の甲側に近いところに傷が残ってしまいました。
どうせならもうちょっと隠しやすいところにやってくれよ、と思った記憶があります。笑

じゃあそんなにボロボロで周りにバレていなかったのか、と思うのですが。
答えはどちらでもあると思います。
普段は絆創膏を貼った上から、怪しまれないように肌色の湿布を貼って過ごしていました。
だから傷が見えることはなかったと思います。
両親からたまにどうしたの?と聞かれることがありましたが、学校を休むたびにサボりサボりと言われ続けていたので、私が追い詰められていたことには気付いていなかったかもしれません。
学校ではサバサバと厳しいところもありつつ、とても優しい英語の先生と、学年主任の数学の先生が様子がおかしいことに気付いてくれていました。
その2人が心配しているということで、担任に話を聞かれました。
その時に色々あることを話しましたが、その後は「自分でなんとかして」と突き放されるばかりでその度に絶望した記憶があります。

同じ時期、私のリストカットは学校でも行われていました。
土日の部活の1人の昼休みに屋上に出たい、この窓が開けばいいのにと思いながら5Fでよく切っていました。
願わくばそのまま飛び降りで死にたいと思いながら、でもそれがうまくできない悲しみで切るのに、薄暗くて寒いところでは痛くてたいして切れなくて、それにまた苛立っていました。
平日もいつもスカートのポケットにカミソリが入っていて、学校のトイレで何回か切りました。
でもたまたま近くの席の子が休みだった数学の授業中、あろうことか授業中に手首を切ったのです。
ノールックで切ったら思ったより深いし、机の上に手を出さないしで血が止まりませんでした。
それからは手が血まみれで授業どころではなく、終了のチャイムと同時にトイレに駆け込み、血のついたワイシャツを誤魔化しながら、またうまく手当てをしました。
誰にも気付かれず無事に終えられたのですが、あまりにもドキドキしたので学校で切ることはやめました。

同じころ、体調不良で訪れた保健室で(保健室のアンケートを集計した結果)要注意リストに入っていたことを契機に話を聞いてもらいました。
そこではしっかり話を聞いてもらえて、最悪辛ければ保健室に行けばいいやという気持ちになることができ、欠席日数が少なくなりました。
かといって保健室に行くことはそんなに多くなく、年間で2〜3回だったと記憶しています。

また部活の先輩たちがあからさまにハブられている私をみかねて、声をかけてくれました。
ずっと辛かったことを涙ながらに話すことができ、あろうことか引退間際だからと2年の先輩に根回しまでしてくれたのです。
その1歳上の先輩とは今も遊びに行く仲なのですが、それも全て根回ししてくれた先輩のおかげです。
その感謝を十分にできなかったことに対して憤っている先輩もいたと聞いたのですが、一番話を聞いてくれた先輩は「今が楽しいならそれでいいよ」と言ってくださったようなのです。
今思えば本当に本当に大人の対応をしてくださって、いまだに感謝しています。

保健室と先輩。今までになかった頼る先ができて、2年生以降は自傷行為が格段に減りました。
というか2年の5月から3年の1月ごろまではリストカットのことは忘れて過ごしていました。
それ以降はあまり強烈な自傷行為エピソードはありません。
やはり中学1年生が自傷行為のピークでした。
もちろん希死念慮もあって、毎日のようにどうやって死んだら迷惑がかからないかを考えていました。
でもいくら考えたって誰かに迷惑をかけてしまうことに気付きました。
本当に死にたくて、死にたくてたまらないのに死ねない自分にも、死ねないと分かっていてリストカットする自分にも毎日絶望していました。
最終的に迷惑をかけてしまうからという理由で自殺を選ばないように、自殺から逃げていたのかもしれませんが、とにかく死ぬ方法が思いつけませんでした。
もし迷惑をかけない(と判断した)死に方があれば、躊躇なく選択していたと思います。
自分でもどうやって生きていたのかと怖くなるくらい、死に執着する毎日でした。
放っておけば多分死んでいたんじゃないかなと思うくらいには危ない状態だったと自分では思っています。

要所要所で助けてくれる人はいて、そのおかげでなんとか生きながらえてきました。
たくさん話を聞いてもらったことも覚えています。
でも究極的に「死にたい」「リストカットをやめられない」と誰かに告げられたことは一度もありません。
自傷行為をした後に誰かに話したこともたった2回だけ、しかも中1のときにはできませんでした。
いつも死にたいという感情は私の中に留められていて、ずっとずっと孤独に向き合ってきました。
最後の最後、どうしようもなく辛いところは多分誰にも言ったことがないんじゃないかなと思います。
もし死にたい気持ちがあったと知られていたら、きっともう少し大ごとになっていたかもしれないので、気付かれずにいてよかったような気がします。
でも多分、周りに見えている以上に繊細で、生死の境をさまよっていたと思うので、誰か1人にくらいは気付いて欲しかった気もします。
最後の最後は抱え込める強さを持っていた自分を褒めてあげたいなと思います。


もう一つ。
最近自傷行為について触れる機会がありました。
私の自傷行為ではないのですが、経験談を聞くうちに私に突き刺さってくることがあります。
死にたいと思いながら自傷行為をするのは危険な状態であるとか、興味本位ではなかなかできないとか。
心当たりがあまりにも多すぎるからです。
正直なところ、自傷行為は危ないことだと分かっていても、それがかつての私にとっての日常だったので、危機感を持てずにいる部分があります。
だからこそ自傷行為の危険性や、ある種の異常性に関する部分がやや麻痺しているんですね。
もちろんかつての私の状態が非常に悪くて、そうなってはいけないと思う気持ちはあります。
想像がつく分、どれほど辛い状況に置かれているか想像に難くないからです。
でも同じ立場に置かれた経験があって、しかもそれを曲がりなりにも乗り越えてきたので、周りの人からすると少し温度差があるんじゃないかな、と思います。
その温度差が見えてしまわないように何とか振る舞っているのですが、どうしようもない空気感を感じる時はあります。
自分でもうまくリアクションできない時もあります。
そういうときに、自分もあんまり良くなかったな、と思い直す時間が有意義でもあり辛くもあります。
でもそんな経験も全て含めて誰かの役に立てたら嬉しいなと思っています。


ではそろそろ眠くなったから、一旦書き上げたことにします。
多分追加すると思いますが、とりあえず…
これ多分1週間くらいチマチマ編集していました笑
おやすみなさい💤

最近の話

2023-02-06 22:32:02 | 日記
こんばんは!お久しぶりです。
そして。あけましておめでとうございます!

もう2月になってしまって。年明けから本当に忙しかったな〜と思っています。
あと1週間もしないうちに国家試験本番があるので、その勉強に追われていて。
大学もまだあったのでそことうまくバランスをとりながら…という感じですが。
私は基本的にテスト前以外はあまり勉強をしないタイプなので、こんなに長期間に…といっても1ヶ月程度ですが、集中して勉強するのは初めてでした。
勉強が嫌いなわけではないのですが、テスト前くらいしかやる気を出せないという。
自分で立てた計画通りに勉強を進める力はあるので、割と理想的なペースでここまで進められました。
もう直前期なので過去問の復習とこれまで間違えた問題の復習、あとは仕上げのために買った予想問題集を終わらせる…こんなところでしょうか。
学校で受けた模試に加えて、昨年受けた友達にもらった問題集、必修問題を厳選した問題集、ネットで買った予想模試、必修の予想問題集、全部をまとめた予想問題集、過去問8年分…並べると結構やってますね笑
友達にもらった問題集はちゃんとセオリー通り3周しました。
過去問ベースに進めているというのもあると思いますが、手応えとしてはかなり仕上がってきている印象です。
本番も今まで通りの実力が発揮できれば十分に合格できると信じています。笑

珍しくちゃんと勉強したのでちょっと語りたくなってしまいました笑
そもそも国家試験直前にブログなんか書いていていいのかと思わないでもないですが、息抜きということで笑
あとちょっと頑張れば精神的にも身体的にも楽になるので、体調管理をしつつ本番を待ちたいと思います。
本番は時間がだいぶあるので、いつも通りに解けば5周くらいは復習できます。
マークミスだけ怖いので、そこはしないように頑張りたいと思います笑

ということで勉強の方は順調です。
ただ実は年明けに一度派手に体調を崩しまして…
喉が痛いとは思っていたのですが、薬を飲みつついつも通りに過ごしていたんですね。
そうしたら夜に微熱が出ました。
ただ元々平熱が高い方だということもあり、あまり気にしていなかったんです。
でもその日の夜は結局眠れませんでした。
喉が痛いし寒いしで…
朝方になって徐々に熱が上がり、あっという間に38.6度まで上がってしまいました。
今は世の中的に熱があると受診するのすら難しい状況です。
高熱の中頑張って電話をかけたのですが、流石に辛くて途中から親に代わってもらいました。
なんとか予約は取れましたが、受診までの間も長くて長くて。
受診前に熱を測るように言われたので、ちゃんと測るとなんと39.4度。
熱があっても動ける私ですら倦怠感に支配されるほどの高熱でした。
ただちゃんと歩けるんですよね。笑
普通に歩いて病院に行って検査をしてもらいました。
症状は発熱と強い喉の痛みだったので、まさか…?とは思いましたが、結局全て陰性でした。
この感じだとインフルエンザでは?と思ったのに違っていて驚きました。
おそらく扁桃炎だったのだと思います。
解熱剤を飲んでも39度から下がらず、結局ちゃんと解熱するのに3日かかりました。
その間は大学もバイトもおやすみです。
国試の勉強をしようとしていた矢先の出来事だったので、心が折れかけました…。
ただそれ以降は元気です!
そこで悪運を使い切ったのだと思います笑

以上が近況報告です。笑
本当にその高熱の一件を除けば順調に勉強を進められていますし、大学生になって初めて長めにバイトの休みをもらったので息抜きに料理もして楽しい日々を送っています。
国試だけとにかく心配ですが、こんなに勉強したなら大丈夫だと思えています。
そして国試が終われば舞台と野球の開幕が待っています!
舞台は決まっている限り7公演の予定が立っていますし、先輩との旅行も待っています。
財源を確保するために合間でバイトもしながら、残りの大学生活を全力で満喫していきます!笑
こう、現実があまりにも充実しているとブログが疎かになりがちなので()、更新がなかったら逆に元気にやっているんだなと思っていただけると幸いです笑
でも忘れているわけではないので!!またどこかで更新しますね。
それではおやすみなさい!!

ちょっと懐かしい話

2022-11-20 21:28:17 | 日記
こんばんは!
お久しぶりです。
2ヶ月続けて更新するのも久しぶりなのでは!?
ちょっと情けないです…ブログの存在を忘れているわけではないのですが、高校生の時と違ってスマホよりもパソコンの方が更新しやすいので…通学時間が使えないのは大きいです💦
ただの言い訳です。笑
あとはリアルな話、このブログを初めて2100日あまり(5年以上も経っているんですね)の間に色々なことと向き合うことができました。
自分の人生の本質に突然気が付くきっかけがこのブログだったんですよね。
そのおかげで最近は人生が本当に充実しているので、書こうと思い立つ機会が減った…のかもしれません。
今日は推しがブログを更新していたので私も負けじと!!笑、ブログを開いて今に至ります。笑

本当は違う話をしようと思って手帳にメモしていたのですが、思い出したので懐かしい話を一つ。
どこかに書いたような、でも書いていないような…覚えていないし遡るのも面倒なので備忘録がわりに書いてみようと思います。
元々書こうとしていたことまで触れられるといいんですけど…私の気分次第ですね😅😅😅
長くなりましたが次から本題です。

前回のブログで睡眠不足が大敵だというお話をしました。
いや実際本当にそうなんですけど、小さい時は夜更かしもせずにしっかり寝ていたのに風邪だインフルだ…とかかっていたんですよね。
そもそも睡眠不足に陥ることがなかったというか。
なので私が睡眠不足で体調を崩した!と初めて感じたのは意外にも中学2年生の終わり頃でした。

とにかく情けない話ですが、流石に入試があるので勉強をしない訳にもいかないと思い立って、頭のいい友達の勉強方法を盗みながら少しテスト勉強をしたんです。
これが人生で初めての試験勉強でした。
ただ元々勉強が苦手なわけでも嫌いなわけでもなかったので、多分思っていた以上にのめり込んだんでしょうね。
気付いたら日付が変わる直前でした。
当時も変わらず21時台には寝ていたので、日付を越したのはこの時が初めてだった気がします。
次の日、普通に6時に起きてテストに向かいました。
するとテストをしている最中に頭痛が。
些細な違和感だったんですが、頭が痛くて少しぼーっとするような。
でも初めての寝不足だったのでそんなものだろうと思っていました。
テストは普通に受けて、結果も悪くはなかったという記憶があります。

ただこの日が確かテスト最終日で、家に帰ってから塾にいく必要がありました。
なんか頭が痛いし、行く前にとりあえずと思って熱を測ったら37.8℃。
リアルに体温計を見て「えっ」という声が出ました。
そんな予定じゃなかったので…何せ行く直前に分かった発熱、誰かにいうのも面倒くさくて普通に行きました。笑
塾の先生にはなぜか熱があることだけ話して、脳トレのゆるいメニューにしてもらってことなきを得ました。

という出来事があって、「あ、自分って睡眠時間を削るとダメなタイプなんだ」と気付きました。
心当たりがそれしかなかったんです。
それ以降はずっと気をつけて生活しています。
それでもダメなことはありますが、ちゃんとそこで気付けてよかったなと今は思っています。
ということで懐かしい中学生時代のお話でした。
あ、ちなみに今も全然変わってません。
ほどほどにしないとダメみたいです。

扁桃炎になりました

2022-10-29 22:43:23 | 日記
こんばんは!
お久しぶりです。
これまた1ヶ月ぶりくらいの更新になってしまいました💦
最近気がつくと時が過ぎていて、もう10月も終わりだという現実に衝撃を受ける毎日です…。
少しずつ寒くなってきて、そろそろ冬がやってくるような気がしますね!

久しぶりに更新しようと思った理由は…先週の金曜日に人生で初めて扁桃炎だと診断されたことにあります。
金曜日の朝、喉が痛くて目が覚めました。
そんなことは乾燥する冬でも滅多になく、とりあえず水を飲んで様子見をしました。
しかし、起きる時間になっても治らず…致し方なくバイト先に連絡をしたところ、「ご時世がご時世なので病院に行って領収書の写真を添付するように」と言われました。
言葉通りに耳鼻咽喉科を受診したところ、「扁桃炎だね」とのことでした。
この時点では喉が痛いだけで熱はなく、漢方薬での治療に決まりました。
ただ、熱がないので2つ目のバイトには行きました。

土曜日の朝も熱はありませんでした。
喉の痛みは相変わらずで、飲み込むと痛いし話しても痛い状態でした。
ただ熱はなく、感染性もないということでバイトに行きました。
でも午後になって37.5度の発熱があり、その後のバイトは休みました。

次の日もバイトでした。
声を使うようなバイトだったのですが、やはり熱はなく、欠員を出せないものだったので行きました。
結局9時間しっかり働きました…。

本当は安静が必要だと言われていたのですが、そう簡単に休めないので何だかんだと働いてしまいました。笑
ちょこちょこ休みつつ、でも働いたり学校に行ったりはしていました。
結局1週間後の昨日、経過観察のために受診しました。
若干の痛みは残るものの、かなりよくなってきたので私は完治宣言をもらう予定でいました。
それなのに、「うん、だいぶ良くなってきたね。でもまた暴れると再発するよ。薬1週間分追加しておくね」と…。
いや、よくなったけど完治じゃないんだ…という気持ちに。

そして今日はボイストレーニングに行きました。
楽しくて大好きなのですが、先生にも「前回良くなったと思ったのに…」と辛口コメントをされてしまいました。(´・ω・`)
歌っていても納得のいく出来ではなく、家で歌うのですら喉が痛くて躊躇するような状態だったので仕方ないです。
もうちょっと良くなってからカラオケに行って、次のレッスンでは納得がいく歌が歌えるように頑張ろうと思います。

とまあ長くなりましたが、この1週間の過ごし方はこんな感じでした。
バイトを休んでだいぶ休むことができましたが、要所は外せず結局休めたような休めていないような状態だったと思います。
多分それが長引かせているのだろうという自覚もあります…。
でもそんなに休んでばかりいられないのが現実だと思っています。


そうなんです。
いつもこうなるんですよ。
ちょっと睡眠時間を削るとこうなるんです。
何か診断名がつくような病気ではないのですが、小さい頃からすぐ熱を出すしインフルにはかかるしアレルギーだし気管支弱いし肌も弱い…。
今になっても似たようなものです。
今回は扁桃炎だったのですが、体調は崩すし治るのに時間はかかるし、どうしてこんなことに…と思っています。
でもわかりやすい病名があるわけでもなく(なくていいんですけどね)、いつも悶々としています。
無理のできない体っていうのは厄介なものです…