ミヒャエル・エンデ作の「モモ」
確か二十代のはじめ頃読んで、
そのまま実家の本棚に。
先日から何故か気になって、
実家に行ったついでに持って来ました。
この年齢になってから読む「モモ」は
感じ入る事ばかりでした。
成功のために、
ひとかどの人物になるために、
もっと良い暮らしのために、
人々は時間の節約を始めます。
節約した時間はすべて
時間どろぼうに盗まれてしまうと言う設定なので、
人々は節約で浮いた時間を楽しむ事も出来ず、
どんなにあくせくしても、
どんどん一日が短くなって、
だんだん不機嫌になってゆくのです。
子供たちすら例外ではありません。
「将来のために」なる事ばかりを強いられるあまり、
彼らは持ち前の想像力で今に没頭する事を忘れて行きます。
モモは小さな女の子で、
施設から逃げて来て、廃墟に住んでいます。
学校も行きませんから、時間がたっぷりあって、
しかも傾聴の才能がずば抜けているので、
誰もモモ相手では自分の本音を隠しおおせる事が出来ません。
そして、どんな社会の仕組みにも組み込まれず、
隙間にそっと生きているこの子が、
盗まれた時間を人々の元に取り返す、、、と言うストーリーなのですが。
それにしても、この話が書かれた1970年代に
著者はよくぞここまでの事が見通せたなぁと、
敬服してしまいます。
時間を節約して生きている人々の姿は、
まさに21世紀の現代人だし、
そのまま私の姿です。
これを使えばさぞかし時間の節約になるだろう、という
利器を私たちは次々と買います。
元々はその節約した時間で楽しい事をしたり、
好きな人と過ごすためであったりしたはずです。
けれどもその代金を支払うために、
時間を引き換えにします。
なので結局、時間は自分の手元には残らないのです。
まぁ、ちょっと強引に単純化すれば
こんな感じじゃないですか?
しかもその労働そのものも、
どんどんスピードとスキルが要求されるようになっています。
ですからただ単に時間を提供するだけでは、
それなりに生活を成り立たせるだけの
対価を頂くのは難しくなっている、
そんな状況です。
そう言えば、数年前には私にはまだ
行きつけの店と言うものがありました。
行けばいつでも名前を呼んでもらえて、
誰かしらに会えて、気の向くままにおしゃべりを楽しむ、、、
そんなお店です。
今の私。
目的もなくどこかの店で時間を過ごすなんて、
全くと言っていいほどなくなりました!
心の向くままに道に迷いながら近所を散策。。。
なんて事もとんとご無沙汰です!
2ヶ月前からは犬もいなくなったので、
その分時間が増えるのかな?と思ったら、とんでもない!
いつの間にかその穴は何事もなかったかのように
埋まってしまいました。
いったいどうした事でしょう。
テレビもない我が家だと言うのに、
時間はどこへ消えるんでしょう?
私も知らぬ間に時間どろぼうにやられちゃったんでしょうか?
・・・モモは、どこにいるんでしょうか?
それは、忘れられた、昔の私でしょうか。
確か二十代のはじめ頃読んで、
そのまま実家の本棚に。
先日から何故か気になって、
実家に行ったついでに持って来ました。
この年齢になってから読む「モモ」は
感じ入る事ばかりでした。
成功のために、
ひとかどの人物になるために、
もっと良い暮らしのために、
人々は時間の節約を始めます。
節約した時間はすべて
時間どろぼうに盗まれてしまうと言う設定なので、
人々は節約で浮いた時間を楽しむ事も出来ず、
どんなにあくせくしても、
どんどん一日が短くなって、
だんだん不機嫌になってゆくのです。
子供たちすら例外ではありません。
「将来のために」なる事ばかりを強いられるあまり、
彼らは持ち前の想像力で今に没頭する事を忘れて行きます。
モモは小さな女の子で、
施設から逃げて来て、廃墟に住んでいます。
学校も行きませんから、時間がたっぷりあって、
しかも傾聴の才能がずば抜けているので、
誰もモモ相手では自分の本音を隠しおおせる事が出来ません。
そして、どんな社会の仕組みにも組み込まれず、
隙間にそっと生きているこの子が、
盗まれた時間を人々の元に取り返す、、、と言うストーリーなのですが。
それにしても、この話が書かれた1970年代に
著者はよくぞここまでの事が見通せたなぁと、
敬服してしまいます。
時間を節約して生きている人々の姿は、
まさに21世紀の現代人だし、
そのまま私の姿です。
これを使えばさぞかし時間の節約になるだろう、という
利器を私たちは次々と買います。
元々はその節約した時間で楽しい事をしたり、
好きな人と過ごすためであったりしたはずです。
けれどもその代金を支払うために、
時間を引き換えにします。
なので結局、時間は自分の手元には残らないのです。
まぁ、ちょっと強引に単純化すれば
こんな感じじゃないですか?
しかもその労働そのものも、
どんどんスピードとスキルが要求されるようになっています。
ですからただ単に時間を提供するだけでは、
それなりに生活を成り立たせるだけの
対価を頂くのは難しくなっている、
そんな状況です。
そう言えば、数年前には私にはまだ
行きつけの店と言うものがありました。
行けばいつでも名前を呼んでもらえて、
誰かしらに会えて、気の向くままにおしゃべりを楽しむ、、、
そんなお店です。
今の私。
目的もなくどこかの店で時間を過ごすなんて、
全くと言っていいほどなくなりました!
心の向くままに道に迷いながら近所を散策。。。
なんて事もとんとご無沙汰です!
2ヶ月前からは犬もいなくなったので、
その分時間が増えるのかな?と思ったら、とんでもない!
いつの間にかその穴は何事もなかったかのように
埋まってしまいました。
いったいどうした事でしょう。
テレビもない我が家だと言うのに、
時間はどこへ消えるんでしょう?
私も知らぬ間に時間どろぼうにやられちゃったんでしょうか?
・・・モモは、どこにいるんでしょうか?
それは、忘れられた、昔の私でしょうか。