「成人T細胞性白血病リンパ腫」を発症した闘病日記

成人T細胞性白血病リンパ腫を発症し、
化学治療後、寛解となりミニ移植した様子を載せています。

私の母

2010年01月15日 | 移植後

母のことを書こう、書こうと思っていながら今日になってしまった。
私の母は26年前に亡くなったよ。
病名は「悪性リンパ腫」
発症して1年9ヶ月!

その当時、私は長男が1歳半ぐらいだったので、
母の病気のことは父や姉達が看病してくれていた。
入院、退院の繰り返しだった。

母が入院中に下の子(ドナーの息子)を授かり、
母に報告しにいったよ。
この子が生まれるまで絶対がんばってなと約束した。
約束通り、母は頑張ってくれて次男に会うことが出来た。

お産のときは母は入院中だったので、
姉が長男を見てくれ無事に出産出来たのだ。

母は頸部のリンパがかなり大きく腫れていたらしい。
今ではATLのHTLVウィルスのことがわかってきているが、
その当時は「悪性リンパ腫」と診断されていた。
私は母が入院していたときと同じ病院で移植したよ。
だから、私の入院中も母が見守ってくれてるっていつも思ってた。

頸部のリンパ腫は手術出来ないので、放射線と抗ガン剤で治療してた。
食べるのが大変だったことを思い出す。
それでも治りたい一心で頑張って食べてたよ。
母のがんばりには驚く。

リンパ腫が手や足にも移転して、その度に手術してた。
抗ガン剤も効かなくなり、新種の抗ガン剤に託した。
最後は脳にも移転して、「頭が痛いよ~」って言ってたわ。

53歳で母は逝った!
苦しい闘病生活にも頑張ってくれた。
でも、まさか「母が亡くなるなんて・・・」

母が一時退院して、私は友達と会うから母に
次男をみてほしいと言って遊びに出かけて。
母はうれしそうに見てくれた。
その時の母の姿が目に浮かぶ
「おかあちゃん、ありがとう」
最後の最後まで母親にたよってしまって・・・。

セカンドオピニオンで母の病気のことを話すると、
「おそらくATLだったと思います。
その当時で1年9ヶ月の寿命は長かったのでは」
と教授が言ってた。

これ以上書くと涙があふれてかけない。
今は相変わらず姉たちに助けてもらって。
ホント、バチが当たりますよね。
とにかく、私のすべきことは「生きる」こと。
それが恩返しかな?

PS:
入院中に左腕が上がらなくて五十肩かな?って。
もち入院中にはリハビリの先生に診てもらってたんだけど。
最近、右腕が上がらなくて最悪!
ついに昨日近くの接骨院に行ってきたよ。
左腕はもう固まっているとのこと。
右腕は固まる前で炎症を起こしてる。
そのまま放置すると、固まるって。
しばらく通うことにしたよ。