Yuko & Hide のマルタ日記

Hの引退を機に新しい人生を出発するにあたり、歴史・文化そして人々の生き様に触れるべく、ヨーロッパ行きを決心しました。

トルコ旅行(5)

2005-09-11 03:53:33 | Weblog
9月10日(土) トルコは99%がイスラム教である。イスラム教と聞いてすぐ私(Y)の頭に浮かぶのは、イスラム原理主義のテロリズム(一部の過激派の行為だと分かっているが)。もう一つは、どういうわけか、5,6年前(?)に見た、アメリカでイスラム教徒の数が静かに増えているというNHKのドキュメンタリー番組だ。

トルコから帰って、Googleで「世界史講義録」金岡新先生の高校世界史授業講義録43,44「イスラム教の成立」、「イスラム教の特徴」を読んだ。

それによると、ムハンマドが布教を開始したのは610年ごろ。その後12年間メッカで布教したが弾圧がひどくなり、70名の信者と共にメディナに移住。当時のメディナにはアラブ人、ユダヤ人が住んでいて、アラブ人住民は部族間の対立が激しかった。アラブ人とユダヤ人の対立もあった。そこへムハンマドが中立的な調停者としての立場を得、信者の数が爆発的に増えたそうだ。

一方、キリスト教の方だが、今読んでいる「ザ・ダヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン)ーーすごく面白い!--のなかに次のような箇所がある。

コンスタンチヌス帝がキリスト教を国教にしたのは、キリスト教の力がだんだん強くなり、当時ローマの公式の宗教であった太陽崇拝(the Invincible Sun)をする人たちとの対立が激しくなった。コンスタンチヌス自身はキリスト教は信じていなかったし、ローマ皇帝として太陽崇拝の長でもあった。しかしローマが2つに引き裂かれる危機に陥ったため、325A.D.にキリスト教を国教とした。それに伴い、両宗教の間で受け入れられるよう、いろいろな点を調整して 言うなればフュージョン、ハイブリッド的キリスト教を作り出した。ニケア会議として知られる両宗教間の集会で、イースターの日、イエスの神性等々を話し合って決めた。

宗教の発展が、社会的政治的な時代背景に大きく左右されることがわかって面白い。

ブルーモスクのすぐ横に、ギリシャ正教の大本山として崇められていたアヤソフィアが時代の変遷を経ながらも、アタチュルコ初代大統領により博物館として一般公開され現在に至っている。異なる宗教でも相手をリスペクトする寛容が必要ではないかとガイドに言ったら(H)、全く同感だと言ってくれた。

写真はブルーモスクの中。数人の信者がメッカのほうを向いて祈っている。中の様子はヨーロッパの教会の豪華さとは違い、とてもシンプルだ。