Yuko & Hide のマルタ日記

Hの引退を機に新しい人生を出発するにあたり、歴史・文化そして人々の生き様に触れるべく、ヨーロッパ行きを決心しました。

春の花木

2008-05-27 18:33:39 | Weblog
                 ミモザの花

5月27日(火) この所、暖かくてよい天気が続いているので草花を愛でながら散歩するのが楽しい。ヨークで1年を過ごしてみて、5月が一番好きだ。

ヨルダンから帰って来たら、我がフラットの木々の葉がいっせいに繁って、日差しが入らなくて部屋が暗くなっていた。でも風がそよぐ音や美しい鳥のさえずりを聞きながら本を読んだりするのは、東京の我家にいたらできないことなので嬉しい。

我家からゴルフ場までは車で10分。冬の間は殺風景だった道も、4月、5月になると色々な木々が花を咲かせる。今の時期は、ミモザ、白や紫のライラックなどを植えた家が続く場所を通るのが楽しみだ。

ゴルフ場にはhawthornホーソーン(日本名はサンザシ)という棘のある小さな白い花を咲かせる木がたくさんある。動物の侵入を防ぐこともできるので垣根としても植えられているし、ゴルフ場に行く途中の道路わきにいっぱいある。

少し前にミンスターの庭の写真をのせたが、3月から5月にかけて数種類の青い小さな花が時期をずらして咲く。その時はブルー・ベルが咲いていた。


イギリスの英語教育

2008-05-26 05:56:04 | Weblog
菜の花畑(ヨーク)

5月26日(月) 去年11月頃、テレビをつけるととても興味深いドキュメンタリー番組をやっていた。残念ながら最後の15分くらいだったのだが、小学6年生の男子生徒が英語を読めない・書けないため、低学年の子供に混じってアルファベットの基礎をやっていた。弟も同様だった。その兄弟の家庭も取材していたのだが、驚いたことに母親も読めなかった!

それ以来、その番組のことやイギリスの教育のことがずっと気になっていた。ニュースで英語教育のことが時々話題になっていたが、2週間程前のニュースで、政府がreading recoveryの為に、子供一人当たり£2500(生徒1人に先生1人で教えている映像がでたので個人レッスンでやるのでこれほどの高い予算になると思われる)、年間£20億の予算を組んだと言っていた(私のリスニングが間違っていなければ・・・)

私の身近にいるイギリス人は子供がいなかったり小・中学生の子供がいない人ばかりなので、イギリスに住んでいる小・中学生のいる日本人で、ブログを書いていらっしゃる方を探して聞いてみたらどうだろうと思って探し回った所、その番組を見てとても詳しく書いていらっしゃる方を見つけた!

中学に上がるまでに読めない・書けない子供が全体の20%もいるのだそうだ!イギリスは階級がはっきりしている社会なので、教育環境も住む地域と階級によって大きく異なるそうだ。

詳しくは、その記事のご紹介を快諾してくださったこの方のブログをお読みください。






ヨルダン旅行 5

2008-05-25 17:03:25 | Weblog
        ぺトラ山上周辺にいたベドウィンの少女

5月25日(日) 6日目の15日はぺトラからワディ・ラム(Wadi Rum)を通ってアカバ(Aqaba)へ。 
ワディ・ラムはサウジアラビアの国境にも近い砂漠にあり、有史以前から人が住み、ギリシャやローマ時代の文献にも記されているそうだ。

それによると、かつては葡萄と松ノ木が茂っていたそうだが、現在では赤く細かい砂の大地に岩山があちこちにそそり立っているだけだ。映画「アラビアのロレンス」に出てくる多くの場面は、ワディ・ラムや近隣の地域で撮影されているとのこと。 

アカバはヨルダンで唯一外海(紅海)に接する所でリンやカリウムといった数少ない輸出品を積み出し、生活物資を輸入する港町。近年はイラク復興支援物資の陸揚げ拠点として戦略的にも重要とのこと。すぐ西側はイスラエルとエジプト、東側はサウジアラビアに接している。

7日目の16日はここで自由行動。市場をぶらぶら歩いたり、ボートで「紅海に出て珊瑚礁、シュノーケリング、BBQ」というツアーに参加したけれど、珊瑚礁はたいしたことはなく、シュノーケリングは波が荒くて早々に引き上げた。

夜は他の方達とパブでお酒を飲んだ。

ガイドさんによると、ヨルダンでは1家族平均6人の子供がいるそうで、アカバの町を散歩しながら気をつけていると、車の中に子供が5人位は乗っている光景を何回も見かけた。

教育にも熱心で85%が高校に行き大学にも進むのだそうだが、問題は高学歴の人が職に付けないことだそうだ。


ヨルダン旅行 4

2008-05-25 15:31:27 | Weblog
5月25日(日) 5日目の14日はヨルダン国内で最初に世界遺産に登録された巨大なぺトラ遺跡群を見学。ぺトラとは岩の意味で、紀元前2世紀から後2世紀に栄えたこの街は、聖書にはセラの名前で出て来るそうだ。

スィーク(Siq)とよばれる大きな岩山の裂目をガイドさんの説明など聞きながら歩いて行くと、エル・ハズネに出る(写真)(崖を削って掘り抜いた神殿風霊廟・宝物殿で紀元前1世紀~後2世紀のもの。映画「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台にもなったそうだ)。 

周囲にあるローマ円形劇場、王家の墓、ライオンの形をした岩に掘られた彫刻、などなどを見てお茶を飲んで昼食休憩。ここで私達とポーランド人の若い夫婦以外はホテルへ戻った。

私達はそこから一時間ほど岩山を登ってエド・ディル(修道院跡、エル・ハズネより大きい宝物殿)へ行き、その先の頂上まで。

途中、岩肌の色や縞模様がとてもきれいで、何枚も写真を撮ってしまった。ガイド・ブックにイギリス・ヴィクトリア時代の詩人で旅行家だったティーン・バーゴンは「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」とぺトラを賞賛していると書いてあったが、すごく上手い表現だ!

私達と同じ頃着いた日本人観光客(20人以上のグループで70代の方もいると思われた)は全員エド・ディルまで行かれたそうだが、私達のグループのイギリス人達は誰も行かなかった。体を動かすのがあまり好きではないようだ。






ヨルダン旅行 3

2008-05-20 20:39:39 | Weblog
5月20日(火) 4日目の13日はアンマンを発ち、マダバ(アンマンの南30km)経由ペトラに向かう。

死海とマダバの周辺は聖書に出てくるゆかりの地がたくさんある。
例えば
ーーBethany(Baptism Sight) べサニー(バプティズム・サイト)  ガリラヤ湖から流れ出、ヨルダン渓谷から死海へと流れ込むヨルダン川は、イエスの布教活動の舞台となった所。現在イスラエルとの境界線になっていて立ち入ることはできないが、死海5キロ北でヨハネが洗礼活動をしていたとされる場所が明らかになり、イエスもここで洗礼を受けたのではないかと考えられている。

ーーJerico  ジェリコ 死海の北方のパレスチナの都市。旧約聖書にイスラエル民族がカナン侵入に際し最初に征服した町として伝えられている。

ーーMukawir(Machaerus) ムカーウィル(マカエラス)  マダバ南西約18キロの所に、ヘロデ大王が紀元前1世紀に築いた城砦ムカーウィルがあり、その息子へロデ・アンティパスは、ここに洗礼者ヨハネを投獄し首をはねたという。

ーーAyn Musa アヤン・ムーサ  マダバからネボ山に向かう途中、モーゼが岩を杖で打ち、水が湧き出たといわれる泉。

ーーJabal Nebo ネボ山  マダバの西10km、死海やエルサレム、ジェリコを見下ろす山。モーゼが率いてきた民にパレスチナに向かうよう促し、自身は山上からそれを見守ったとされているモーゼ終焉の地

国土の80%が砂漠で写真のような風景が延々と続く。2000年前イエスやヨハネが活動していた頃はどんな風景だったのだろう、今自分が見ている景色と変わらないのだろうかという思いが旅の間中あった。

話がヨルダンからレバノンに飛ぶが、レバノンの国旗にはレバノン杉がデザインされているのを初めて知った。現在では北部にわずか1200本程しか残っていないそうだが、古代からこの国の大部分はレバノン杉の森林に覆われていたのだそうだ。防虫防腐効果があり耐久性に優れていたため、フェニキア人の時代から外洋船や建築資材として使われてきてたとのこと。

イギリスではどこをドライブしても牧草地が広がり大きな高い木があまりないのを不思議に思っていたのだけれど、今回の旅行でイギリス人に聞いて疑問が解けた。イギリスにもたくさん木があったのだけれど、植民地侵略に出たり、戦争や貿易等のため、大きな船を大量に造るために伐採し尽くしたのだそうだ。

と見ていくと、ヨルダンは確かにローマ遺跡も石の建築郡だし、ぺトラなど巨岩を削って神殿を造ってあるので砂漠地帯だということは明らかだが、一方ヨルダン川やヨルダン渓谷周辺については、古代から度重なる紛争に巻き込まれたことをあわせ考えると、当時はもう少し緑があったのではないかと思いを巡らした。


ヨルダン旅行 2

2008-05-20 19:18:15 | Weblog
5月20日(火) 2日目はまずアンマンの官庁や豪華な邸宅街を素通りした後、アンマン城内やその周辺(ローマ劇場・博物館等)を見学。
その後アンマンから北へ約50kmのジェラシュにあるローマ遺跡を見学。ヨーロッパや北アフリカの各地にローマ遺跡は多く残っているけれど、このジェラシュの遺跡は各種の遺跡が広範囲で残っており、ポンペイ遺跡を拡大したような感じがした。

3日目はDead Sea(死海)へ。地球上で最も低い海抜-410mにあるそうだ。塩分濃度は30%位。舐めてみたら塩っぱいのを通り越して苦かった。海の上に寝転んで新聞を読んでいる所を写真に収めようと新聞を買ってきた人もいた。

平泳ぎは、浮きすぎてうまく手で水をかけないし、立ち上がろうとするとすぐに立てない。背泳状態はいいけれど顔が日焼けするので、背中を太陽に向けて膝を立て、体を起こして浮いているのが楽だった。

他のツアー観光客が来る前に着いたので人が少なく、沖のほうまで立ち泳ぎでスイスイ進んでいくと、誰もいない死海に独り浮かんでいるようで「よくもこんな所まで来たものだ」と思った。向こう岸にはエルサレムがあるわけだけれど、立ち泳ぎで軽く行けそうな気がした。

岸のほうでは皆が体や顔に泥パックをしてもらっていたので戻って、私も体中に泥を塗ってもらった。「イギリスで泥パックをすると£30よ」と誰かが言っていたが、ここでは1ディナール(約200円)。泥が乾燥しシャワーで洗い落としたらスベスベになっていた。でも日差しが強かったので顔も手もかなり日焼けしてしまった。

死海では約3時間滞在したれど、もっと海に浸かっていたかったくらいだ。


ヨルダン旅行 1

2008-05-19 00:27:08 | Weblog
5月18日(日) 5月10日から17日まで(8日間)ヨルダンへ旅行した。ヒースロー空港から約5時間のフライトで首都アンマン到着。

若いポーランド人夫婦、英国人カップル8組+1人(87歳)と私達、計21人のグループ旅行。87歳の男性と一組のご夫婦(元警察署勤務)は、定年退職後スペインに移住して家(どちらもプール付き)が隣同士。

スペインにはイギリス人が70万人ちょっと定住しているそうだ。定年退職後に気候が良くて物価の安いスペイン等に住みたい人の一戸建てやフラットを一緒に探すテレビ番組がある。ゴルフ場で会う女性は「スペインにフラットがあるので三週間休暇で行った。近くにゴルフ場があるのよ」と言っていた。

行きの飛行機で、シカゴの大学でコンピューター・サイエンスPhd.を目指して勉強しているレバノン出身の青年と隣同士になった。大きな試験が終わったので1ヵ月の休暇でベイルートに帰ろうとした所へ、二日前に内紛が起こって空港が閉鎖され飛行機がキャンセルになったそうだ。ヒースロー経由でヨルダンに入り、ベイルート行きの飛行機が飛べば飛行機で、無ければ5,6時間かけてバスで帰ると言っていた。

彼曰く、アメリカは好きだけれど、アメリカのメディアは中東問題のことをよく理解していなくて笑えるほどだ。イギリスのメディアは(持っていた新聞The Independentを指差して)、アメリカよりずっとましだ・・・と言っていた。中東には中東独特の雰囲気があり、それが好きで帰りたくなるのそうだ(去年8月にアメリカに行ったとのことだった)。

政治グループ間の対立なのでしょう?と聞いたら、そうだ、(頭を指差して彼等は頭が変なのだ・・・というような仕草をしながら)紛争を起こして殺し合いをしても何にもならないと言っていた。

トルコには行ったけれど、中東は未知の世界だったが、旅の最初から中東が急に身近に感じられた。

写真はアンマン城内にあるヨルダン考古学博物館に展示されている死海文書。



英会話教室

2008-05-10 02:09:42 | Weblog
             ヨーク・ミンスター図書館の庭
  
5月8日(金) 金曜日午前中は英会話教室の日。今日で5回目の参加。朝9:30から11:00まで授業で、11:30まではティー・タイム。紅茶・コーヒーにビスケットなどがついて50ペンス!

ボランティアの先生が6,7人で交代で教えてくださる。担当でない日は、生徒の間に入って補助役。今日は生徒が15人くらいに先生が4人だった。生徒は、韓国、中国、日本、スリランカ、エジプト、スロバキア、ポルトガルetc. レベルはいろいろだ。

今日のテーマはFamily Tree(家系)。関連単語を習い、各自のFamily Treeを書いて説明。家族や親戚が集まる特別な行事の説明や、そのときの食べ物、その作り方等など。

先週は不動産関係だった。不動産屋役の人は先生から新聞の広告を切り取った紙を渡され、顧客役はフラットや家の希望条件を書いた紙を渡されて、不動産屋を訪ね適当な物件を見つける・・。

小さな子供連れの人もいるので、泣いたりけんかしたり・・・うるさくて声が聞こえない時もあるけれど、50ペンスなのでありがたい。

明日からまた旅行に出ますので、ブログはしばらくお休みいたします。




読書

2008-05-07 21:48:28 | Weblog
                 ヨーク・ミンスター図書館

5月7日(水) 月曜日に続き、Hideは昨日(火曜日)も日本人のWさんと対外(Away)ゴルフ試合に行った。じっと家にいるのももったいない初夏のような良い天気だったので、イタリア人の友達を誘ってヨーク・ミンスター図書館の中を見学し、市立中央図書館に本を返却してから新しい本を予約した。

最近この方のブログを偶然目にして、暢気に毎日を過ごしていた自分を反省!あと5ヶ月弱しか残っていないヨーク滞在中に少しでも英語の本を読もうと思って、紹介されている本を2冊読んだ。

1冊目に読んだ「Snow」(by Orham Pamukトルコ人でノーベル文学賞をもらった)は、政治小説。トルコの歴史・政治・宗教等、殆ど何も知らないで読み始めたのでさっぱり訳が分からなかった。半分くらい過ぎたところでインターネットで概略を読んでやっと分かりかけたのに、オランダ・ベルギー旅行で中断。最後まで読んだけれど消化不良で終わった。

2冊目の「A Thousand Years of Good Prayers」(by Yiyun Li)は人生の哀しみ・孤独がしみじみと伝わってくる10の短編小説集。中国の歴史や政治的状況など逆らえない力に翻弄・影響されながらも普通の人々が懸命に生きていく。英語は読みやすく話が面白いので一気に読めた。

次は「The Kite Runner」を読む予定。本が来るまで「博士の愛した数式」小川洋子を読み始めた。(ヨークに住んでいた誰かが置いていった本がた~くさん我家に廻って来た。

 


ゴルフ・ミックス・ゲーム

2008-05-06 04:34:52 | Weblog
5月5日(月) Early Spring Holidayの休日を利用して、男女ミックスのゴルフ・コンペティションがあったので、Hideと組んで初めてオフィシャルな試合に参加した。

ティー・グラウンドは二人とも打ち、その後は二つのボールのどちらかを選んで交互に打っていくという方法だった。

私のハンディ・キャップは相変わらず36のまま。Hideは18。二人のハンディ・キャップは(36+18)×3/8=20.25で20となるが、グロス・スコアーからこのハンディ・キャップをひいたネット・スコアーで競うこととなる。

Hideはヨークに来てから少し上達して調子が良かったのに、今日はドライバーが右や左にブレて荒れた。私のドライバーの調子が良かったので私の一打目を選択し、私の苦手な4番ウッドを打つ回数を減らすという戦略でいった。

上手な人たちがたくさんいるので入賞は全く考えないで、思い切りクラブを振ることだけを考えた。いっぱい反省点はあるものの、まずまず満足できる出来だったので、初めてのイギリスでのクラブ・公式試合を楽しめた。

一緒にまわった女性メンバーは、木曜日のお遊びのゴルフ・コンペでいつも顔を合わせていたけれど、まだ一緒にプレーしたことが無かった。おしゃべりしながら周って色々わかったので、次からは話題も広がって親しさも増すと思うので、このような機会を増やしていきたい。

写真は、ゴルフが終わってからの懇談(人数が多かったので、早く終わった人達は外で食べたり飲んだりしながらおしゃべりをしていた。遅くにスタートした人達は残ってちゃんとした夕食をとった)