Yuko & Hide のマルタ日記

Hの引退を機に新しい人生を出発するにあたり、歴史・文化そして人々の生き様に触れるべく、ヨーロッパ行きを決心しました。

ゴルフ

2005-09-29 04:55:52 | Weblog
9月29日(水) Hideが英語学校から帰ってから、マルタで唯一のゴルフ場に行った。Yukoはマルタに来て初めて。Hideは2回目。家から車で約15分。4時にスタートしハーフを回った。

夏の暑さも去り、ゴルフに最適なシーズンになった。

Hideはメンバーになっている。9月から来年の3月までのメンバーシップの取得料は全部で212LM。(日本円で約7万円、ゴルフのメンバーシップ取得料は半年分で約160LM、テニス・ポロ・クリッケト等総合クラブとしての入会金は半年分で52LMで合計212LM、メンバーのプレー費は無料。)今日のYukoのプレー費はハーフで5.5ML、カート・レンタル料2.1ML 合計約2500円。 

プレー中、教会の鐘の音が聞こえてきて、不思議な感じだった。

フェアウェイの幅が狭く、ラフが深いのでボールがなかなか見つからない。距離も結構長い。グリーンも難しい。Hideはコースに満足しているようだ。

偶然、コースで日本人のU氏にお会いした。終了後クラブハウスでU氏の2組のパーティに飛び入りで参加させていただいた。クラブのキャプテンをはじめ、愉快な方ばかりで、ワイン、ビールをご馳走になった。


美容院

2005-09-28 13:23:20 | Weblog
9月27日(火) マルタに来て初めて美容院に行った。前もって2件の美容院を訪ね、値段と雰囲気を見ておいた。今日行った所は(カットとパーマで)25ポンド(約8300円)、もう1ヶ所は30ポンド(約1万円)。

日本に較べて大雑把、きめ細かくない。

ー シャンプーが気持ちよくなかった。椅子はリクライニングではないし、シャンプー流し台の縁に、直接首をのせるので痛かった。

ー シャンプーの洗い流し方が足りない。「襟足のあたり、洗ってないんじゃないの?」と言いたいところを、我慢。

ー 1歳の子供がいて(大人しくてかわいい女の子だったけれど。下見のときは、昼寝中だったのかもしれない)、ベビーバギーに乗せてあやしながらのカット。パーマ液の浸透を待っている間は、子供にお昼ご飯の残りを食べさせていた。そうするうち美容師さんの友人親子が立ち寄ったのでおしゃべりが始まる。「私のパーマの時間ちゃんと測ってる?」と言いたい所を、我慢。ヤレヤレ・・・。

ゆるくかけて欲しい、と言ったのに、強くかかった。髪を洗った後の手入れを簡単にしたいのでゆるくかけて欲しいのだ、ということを十分に伝えなかったのが一番の失敗の原因。英語力不足もある。

野菜・果物・肉などが安いのに比べ、美容院の値段は日本とほぼ同じ。あのサービスで、この値段は高い。

写真はゴルフ場で。オリーブの木に実がなっていた。
 

まだまだ観光客

2005-09-26 23:16:20 | Weblog
9月26日(月) 朝7時半頃から30分ほど稲光がして雨がふり、その後またからりと晴れる。昼過ぎにプロムナードを散歩したら、めっきり少なくなったとはいえ、まだまだ観光客が海岸で日光浴したり泳いでいた。日本人の中年から年輩の女性グループもよく見かけるけれど、泳いだり日光浴する人はいないようだ。

写真の白い小さな花が、プロムナードの街路樹の下でいい香りをさせていた。

クラスメート招待

2005-09-24 05:50:54 | Weblog
9月23日(金) 夜7:30 Hideの英語学校のチェコ人のクラスメートが来る。
今日の献立はベジタリアン(チーズ・卵はOK)の彼に合わせて野菜中心。とても簡単だ。

・チーズ
・冷奴・・・(ケーキ?と質問が出る)
・スペイン風オムレツ(野菜入り)
・ゴルゴンポテト(じゃがいものゆでたものと豆腐を、生クリーム+ゴルゴンゾーラを弱火で溶かしたものをのせて、オーブンで焦げ目をつける。)
・ラタトゥユ(好評だった)
・サラダ
・ご飯とわかめの味噌汁(汁まで全部飲んだ)
・デザート・・・メロン

食後、飲み物は何がいいか聞いたら、抹茶を飲みたいとリクウェストがあり、Hideは喜んで点ててあげる。

コンピューターの会社で働いていて、会社の教育の一環で2週間英語の勉強に来ている。Hideよりずーっと英語が上手だった。

1品づつ出したので写真がきれいに見えなくて不満。

豆腐

2005-09-21 21:50:02 | Weblog
9月21日(水) 今週月曜日(19日)からHideが英語学校に2週間申し込んだ。朝8:45から昼までは4人のクラス。午後はチェコ人と2人のクラス。リスニングとスピーキングが出来ないのに、筆記テストがそこそこだったので実力以上のクラスに入ることになったようだ。

そのチェコ人(31歳、菜食主義)を金曜日に夕食に呼んだという。肉・魚を食べない人のご馳走を作ったことがないので、とりあえず豆腐を買ってきてみた。

自然食品の店で買ったが、2箱約650円。ステーキ用の牛肉でも二切れでそんなにしないのに、輸入品だから仕方がない。アメリカ、カリフォルニアで作られたもの。Mori-Nu(Morinaga Nutritional Foods)とあり森永乳業のマークだ。

朝市(マルサシュロック)

2005-09-19 05:43:06 | Weblog
9月19日(日) 1週間ほど前にいつものお肉屋さんで、今年2月からマルタに住み始めたと言う日本人のご夫妻に偶然出会った。私たちより少し若い。マルタに関する知識が全然なく、地図を見てここだ!と思ってやって来たとのこと。家探しは、日本からインターネットでマルタの不動産屋さんと半年間やり取りして決めたそうだ。半年もやり取りしたのですっかり友達になり、マルタに着いたら空港に迎えに来てくれ、家に呼んだり呼ばれたりの関係になったそうだ。

生活の知恵や情報をいろいろと教えていただいた。その一つが、マルサシュロックの朝市での買い物。マルサシュロックは漁港で、毎週日曜日朝市が開かれ、新鮮な魚が安く買える。野菜、果物、お菓子、パン、日用品、みやげ物など何でも揃っている。今日の朝、車で(約20分)ご一緒していただいた。

今日の魚の買い物は次のとおり。

ー鯛(小) 1匹 刺身用
ーまぐろ(1.3キロ) 刺身用に5等分の柵に切って冷凍
ーカマス(大)2匹 塩焼き(オーブンで)
ーイカ(小)1匹 
ー鰯(10匹) 内臓を出しベランダで干物に。 

〆て 4ポンド(1300円ちょっと) 安い!

久しぶりのマグロと鯛のお刺身がおいしかった。今度の日曜日も行こうっと!

買い物のあとコーヒーを飲んで帰る。






トルコ旅行(7)

2005-09-15 16:33:18 | Weblog
9月15日(木) トルコ旅行で思い出したことがあと一つ。
バスの中で、イスラム原理主義のテロリズムに話が及んだとき、アンマリーという私(Y)より少し年上の女性が、「自爆テロの人を神風と言うのか?」と言うようなことをガイドさんに質問した。ガイドさんは「神風は日本でのことだ」と答えていた。こんなところで神風がでてきたので、眠気が襲っていたのに一気に目が覚めた。

イラク等での自爆テロと日本の神風は、外国人の目から見たら同じに見えるのかもしれないが、私たちの認識としては全然違うのではないだろうか。

バスがトイレ休憩で止まった時、アンマリーに「自爆テロリストも神風も、自らの死を覚悟して爆弾を巻きつけて突撃するのは同じだ。でも日本の神風は一般市民を巻き添えにするようなことは一切しなかった。戦争中だったから敵の軍艦や軍事施設などを直接標的にしたのだ。そして、いわゆる宗教とは何の関係もなかった」ことを話した。

写真は、カッパドキアの岩の中の部屋。現在岩の中に住むことは禁止されている。これは観光用のもの。


トルコ旅行(6) 後日談

2005-09-13 21:08:16 | Weblog
9月13日(火) 今日スーパーに行ってレジに並んだら、私の前に旅行で一緒だった方がいた。自分のお財布を指差して「イスタンブール」とにっこり。家の近くまで来たら、またツアーで一緒だった別の方にもお会いして、お互いに懐かしくて大喜び。いかにマルタが小さい所かがわかる。

お腹の調子はすっかり良くなった。日曜日の朝,月曜日にお医者さんに行こう思って、ステラに電話した。事情を話してどこの病院に行けばよいか聞いたら「Listen. 今すぐにセイント・ルーク病院の救急に行きなさい。何かあったら私に電話して。今すぐよ。all right?」と言われて「ハイッ」。血液検査と点滴そして抗生物質を2回分もらって回復。

写真はトルコで買ったもの。キャンドル立てはフランス製だったけれど、夜明かりを灯したかったのでお買い上げ。皿は美術館のミュージアム・ショップで。古い皿のレプリカ。


トルコ旅行(5)

2005-09-11 03:53:33 | Weblog
9月10日(土) トルコは99%がイスラム教である。イスラム教と聞いてすぐ私(Y)の頭に浮かぶのは、イスラム原理主義のテロリズム(一部の過激派の行為だと分かっているが)。もう一つは、どういうわけか、5,6年前(?)に見た、アメリカでイスラム教徒の数が静かに増えているというNHKのドキュメンタリー番組だ。

トルコから帰って、Googleで「世界史講義録」金岡新先生の高校世界史授業講義録43,44「イスラム教の成立」、「イスラム教の特徴」を読んだ。

それによると、ムハンマドが布教を開始したのは610年ごろ。その後12年間メッカで布教したが弾圧がひどくなり、70名の信者と共にメディナに移住。当時のメディナにはアラブ人、ユダヤ人が住んでいて、アラブ人住民は部族間の対立が激しかった。アラブ人とユダヤ人の対立もあった。そこへムハンマドが中立的な調停者としての立場を得、信者の数が爆発的に増えたそうだ。

一方、キリスト教の方だが、今読んでいる「ザ・ダヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン)ーーすごく面白い!--のなかに次のような箇所がある。

コンスタンチヌス帝がキリスト教を国教にしたのは、キリスト教の力がだんだん強くなり、当時ローマの公式の宗教であった太陽崇拝(the Invincible Sun)をする人たちとの対立が激しくなった。コンスタンチヌス自身はキリスト教は信じていなかったし、ローマ皇帝として太陽崇拝の長でもあった。しかしローマが2つに引き裂かれる危機に陥ったため、325A.D.にキリスト教を国教とした。それに伴い、両宗教の間で受け入れられるよう、いろいろな点を調整して 言うなればフュージョン、ハイブリッド的キリスト教を作り出した。ニケア会議として知られる両宗教間の集会で、イースターの日、イエスの神性等々を話し合って決めた。

宗教の発展が、社会的政治的な時代背景に大きく左右されることがわかって面白い。

ブルーモスクのすぐ横に、ギリシャ正教の大本山として崇められていたアヤソフィアが時代の変遷を経ながらも、アタチュルコ初代大統領により博物館として一般公開され現在に至っている。異なる宗教でも相手をリスペクトする寛容が必要ではないかとガイドに言ったら(H)、全く同感だと言ってくれた。

写真はブルーモスクの中。数人の信者がメッカのほうを向いて祈っている。中の様子はヨーロッパの教会の豪華さとは違い、とてもシンプルだ。

 

トルコ旅行(4)

2005-09-10 16:23:16 | Weblog
9月10日(土)カッパドキアの宝石店に寄ったとき、日本語がとても上手で若くてハンサムな店員が私たちの相手をしてくれた。独学で日本語を勉強したそうだ。英語より日本語のほうが易しいと言っていた。

トルコ語の文法は日本語に似ていると言っていたので、インターネットで調べてみた。他の方のホームページに「アナトリア歴史紀行、東西文明の接点・4000年」(大島直政著自由国民社)からの引用があったので、拝借して要約してみる。

・語順はインド・ヨーロッパ系の特徴の一つである”関係詞”がないため、ほぼ完全に日本語と同じ
・語尾変化が直前の母音と子音に影響されると言う法則が同じ
・母音の数が奈良時代の日本語と同じ8つである
・前置詞がなく、名詞に助詞をつけて目的格にしたり、方向格にしたりするのも同じ