5/3(日)花曇り、ツレアイとつつじの花満開で特別開放中の敷島浄水場に出掛け
ました。
高崎駅で上越線に乗り換えて4つ目、新前橋駅の次の群馬総社駅からスタートで
す。総社地区は奈良時代に国を治める国府が置かれた群馬県、上野国(こうずけ
のくに)の中心で栄えたところです。
ツバメの飛び交う駅から北に歩きます。山シャクヤクは白い花弁と黄色の花芯が
新緑のなかで清々しく映ります。利根川を渡る上毛大橋まで30分くらい、榛名山と
赤城山が見渡せるビューポイントなのですが、春霞で見えません。
利根川を渡ると橋からは河川敷の前橋ゴルフ場が見渡せます。次の広い交差点
を右に折れて、川の下流に向かうように進むと敷島公園ばら園に到着です。橋か
ら40分くらいです。開花は5月中旬以降のようで、この日の園内では3つ4つと数
えられるほどでしたが、温室のばらは楽しめました。
ばら園の中央には笛吹き「パイドパイパー」と2つのばらを手にした「ばらの精」の
像が向かい合っています。風見鶏のあるあずまやで早めの昼食、おにぎり2個で
す。
オダマキのこの色合いは珍しいですよね。マーガレットは満開です。ばら園内には
詩人萩原朔太郎の生家が移築されています。
手前が味噌蔵を改装した書斎です。ここで「月に吠える」や「青猫」が書かれまし
た。北原白秋や室生犀星も来訪したそうです。奥の土蔵が前橋空襲の際には朔
太郎の原稿などの貴重な資料を守りました。
ここから敷島浄水場はすぐそこ。途中の敷島公園内では地区貸切で鱒釣り大会が
開催されていました。
日本水道百選、敷島浄水場はつつじの咲く4/25~5/5までが特別開放になります。
昭和2年に地下水を求めて着工、市の予算3年分にあたる工事費を費やして昭和
4年に給水開始されました。昭和4年に竣工された水道タンク(配水塔)は近代水
道百選に選ばれました。
さまざまなつつじの花の色の饗宴。ふかふかの草土。前橋第三中学校ブラスバン
ドの演奏。みんな春を5月を、楽しんでいました。
敷島浄水場資料館はレトロな雰囲気、水道タンクの存在感が圧倒的な迫力です。
昔の水道の蛇口は龍の口。「公設共用栓」と刻まれていたんですね。右の蛇口は
普及版?とういか今のかたち。天井には木製の扇風羽がいくつもありました。さ
て、駅に向かいます。Jリーグサッカーのザスパ草津のホームグラウンドが右手に
ありました。「正田醤油スタジアム群馬」の看板が見えます。利根川を大渡橋で渡
り、総社本陣跡の交差点を右に曲がります。
初代総社城主秋元越中守長朝公が慶長12年(1607)に菩提寺として建立した天
台宗秋元山光厳寺に行きます。秋元公は慶長6年(1601)関が原の戦功によって
この地を与えられ2代30年にわたって善政を施しました。城下町の形成と利根川
からの天狗岩用水の開削、新田開発で農民から感謝と信頼を得た名君でした。秋
元氏は所替えにより甲州谷村、6代目から8代目は川越城主、さらに山形城主、館
林城主と転封しました。12代目までの墓が寺の東の宝塔山古墳の頂上にありま
す。
秋元家御廟所の天井一面に描かれた龍は狩野方眼の八方睨みの龍です。一説
には日光鳴き龍の原画と伝えられています。2代目秋元康朝が日光東照宮造営
奉行であったことから、あるかな?とも考えてしまいます。ぼけ封じ観音には思わ
ずお願いしてしまいました。ぼたんの花がみごとです。近くにある総社資料館は造
り酒屋さんの蔵を使ったものです。
古墳からの出土品や養蚕や農具、昭和の部屋の再現などいろいろ。足ふみ式だ
っこく機の看板?フレーム?の美しさには脱帽。。。天狗岩用水を渡って駅に向か
います。
駅に近い二子山古墳は前方後円墳、石室は2ヶ所あります。
十二単衣の花はふつうは青紫ですが、ここでは白です。れんげにもひさしぶりに会え
ました。8Kmのコースでしたが、あちこち歩くのでやっぱり倍くらい歩きました。そ
れでも素敵な花と景色に触れて、楽しいハイキングです。駅に着いて列車を待って
いる間も、目の前をつばめがすーいすい泳ぐように飛んでいました。