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岡村幸保 人間讃歌 ビバ サイエンス オカピーLOG            

教養の社会科 「コロナと女性リーダーの活躍」「フェミニズム」

 

コロナ対策では、ドイツ、台湾、ニュージーランド、フィンランド、アイスランド、デンマーク、ノルウェイーなど、世界では女性リーダーが活躍しています。

これは、200年間のフェミニズムの成果だと思い、フェミニズムについて、ネットで調べ学習をして、まとめてみました。

いろいろ、見えてきました。

 

新型コロナ対策、際立つ女性リーダーの手腕・対応力 スピードと実行力で拡大阻止

台湾では早期の介入策の導入により、新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込めることに成功した。今や台湾はマスク数百万枚を輸出し、欧州連合(EU)諸国をはじめとする各国の感染対策を支援する立場にある。

ドイツは欧州で最大規模の新型コロナウイルス検査を実施している。週35万件に上る検査を通じて感染者を早期に発見し、隔離措置や効果的な治療を施す。

ニュージーランドでは首相がいち早く行動し、国境を閉ざすとともに1カ月間にわたる全国的な都市の封鎖措置に踏み切った。この結果、同国における新型コロナウイルスの死者は9人にとどまっている。

これら3つの政府はいずれも、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)に見事に対処したとの称賛を集める。お互いの地理的な距離は遠い。1つは欧州、1つはアジア、1つは南太平洋地域にそれぞれ位置している。

しかし、そこにはある共通点が認められる。どの政府も率いているのが女性だということだ。

上記のケースをはじめとして、女性の率いる政府がパンデミックの対応で成功を収めているのは大変注目に値する。何といっても世界の指導者のうち女性の占める割合は7%に満たないのだから。

早期における決定的な行動

これらの国々ではすべて複数政党による民主制が敷かれ、国民による政府への信頼も高い次元にある。パンデミックの抑制にあたってはいずれも先手を取った、科学的な対策で臨んだ。広範囲にわたる検査を実施し、質の高い治療への早期のアクセスを確保。感染経路の追跡を積極的に行い、人々が集まる行為を厳しく規制した。

台湾を例にとろう。民主主義を掲げる人口約2400万人の台湾は、中国本土の東の沖合に位置する。中国政府から自国の領土であると主張され、世界保健機関(WHO)への参加も認められていないことから、本来なら台湾は中国本土で発生した疫病に対し非常に脆弱(ぜいじゃく)な存在であってもおかしくはなかった。

しかし台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統は、中国・武漢の市民の間で正体不明の新型ウイルスが蔓延(まんえん)しているとの情報を昨年12月につかむと直ちに指示を下し、同市から台湾入りするすべての航空機の検査を義務付けた。

続いて疫病対策の指令センターを立ち上げ、マスクなどの防護具の生産を増強するとともに、中国本土、香港、マカオからのすべての航空機の乗り入れを規制した。

台湾はその迅速かつ積極的な介入策で感染拡大を抑え込み、これまで感染が確認されたのはわずかに393人、死者は6人にとどまる。米国務省は台湾の新型コロナ対策の成功に言及し、WHOの総会にオブザーバーとして参加させることを求めている。

人口8300万人のドイツでは感染者の数が13万2000人を超えているが、100万人当たりの死者数は極めて少ない。他の欧州諸国と比較すると、その差は際立っている。量子化学の博士号を持つメルケル首相の支持率がここへきてうなぎのぼりなのは、パンデミック対策で見せた手腕によるものだ。ドイツは集中治療用ベッドの数と、新型コロナウイルスの検査プログラムの規模で欧州随一の地位を誇る。

ハイデルベルク大学病院でウイルス学研究を統括するハンスゲオルク・クラースリヒ氏は、米紙ニューヨーク・タイムズの取材に答え、「おそらく我が国最大の強みは、合理的な意思決定を高い次元で下せる政府が、国民からの信頼をしっかりと勝ち得ていることにある」と分析した。

ニュージーランドは人口約500万人の島国で、観光への依存度が極めて高い。

それでもアーダーン首相は3月19日の時点で海外からの旅行者の入国を禁止し、同23日には4週間にわたる全国的なロックダウン(都市封鎖)を発表した。これにより必要不可欠な業務に従事する勤労者以外は自宅待機が義務付けられ、食料品などの買い出しや近所での運動を除く外出は禁止とされた。

ニュージーランドでは広範な検査を行った結果、新型コロナウイルスの感染者数が1300人を超えているが死者は9人と少ない。ロックダウンの期間はようやく半分が経過した段階で、アーダーン首相は事態の終息はまだ先の話と強調する。

9日に行った演説で同首相は「現在ニュージーランドが直面しているのは、人類の健康にとって過去1世紀以上で最大と呼べるほどの脅威だ。それでも国民は冷静に、力を合わせて対策を実行し、国を挙げて防御の壁を築いている」と語った。

北欧諸国

北欧にある5カ国のうち4カ国は、女性がリーダーを務めている。どの国も新型コロナウイルスの死者の割合が他の欧州諸国と比較して小さい。例えばフィンランドのマリン首相は現職の首脳として世界最年少の34歳ながら、パンデミックへの対応が評価され、国内での支持率は85%に上る。同国の新型コロナでの死者は、人口550万人に対し59人のみとなっている。

アイスランドのヤコブスドッティル首相が率いるのは小さな島国に住むわずか36万人の国民だが、同国が行った大規模かつ無作為なウイルス検査は世界中に影響をもたらす可能性がある。検査の結果、陽性者の半数に症状が見られないという実態が明らかになったためだ。同国はまた、早い段階から積極的な新型コロナ対策を打ち出し、感染経路の調査や感染が疑われる人の隔離措置を実施していた。

こうした国々の姿勢と対照的なのが、北欧で唯一男性が国のかじ取りを担うスウェーデンだ。ロベーン首相はロックダウンを行わず、学校や企業を通常通り運営させている。現在、同国の新型コロナウイルスによる死亡率は、他の欧州諸国の大半をはるかにしのぐ水準にまで跳ね上がっている。

他の女性の国家元首の中にも、新型コロナ対応での厳しさで注目を浴びた人物がいる。カリブ海に浮かぶ島国でオランダ領のシント・マールテンを治めるヤコブス首相だ。同首相がわずか4万1000人の国民に向かって2週間の「外出禁止」を呼びかけた動画は、一切の妥協を許さない姿勢が評判を呼び、世界中に拡散した。

動画の中でヤコブス氏は力強くこう言い放つ。「好きな種類のパンが家にないなら、クラッカーを食べなさい。パンがなければ、シリアルを食べなさい。オートミールを食べなさい」

 

「能力不足、科学否定論者の男性リーダー」

もちろん韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領のように、称賛に値する対策をとっている男性の指導者はいる。同国は広範なウイルス検査を通じて、感染者数の増加曲線を低く抑え込むことに成功した。しかし多くの国々は、能力不足で科学否定論者の男性リーダーの下、新型コロナウイルスの感染拡大を許し、壊滅的な被害を出すに至っている。

パンデミックの中心地は今や米国だ。トランプ大統領は当初、ウイルスが政治問題化しつつあるとする民主党の見解を「でっち上げ」と非難し、権威ある科学者らが数カ月にわたって発したいくつもの警告に耳を傾けることができなかった。

その結果、米国では現在国家非常事態宣言が出され、新型コロナウイルスによる死者が2万5000人超、感染者は50万人に達した。これらの数字は日々増え続けている。(訳注:米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、4月17日時点で新型コロナウイルス感染症による米国の死者は3万3286人、感染者は67万1425人)

同様に英国のジョンソン首相も、公衆衛生上の危機を深刻には受け止めず、集会の制限といった対策の導入を拒んだ。すでに他の欧州諸国では長期にわたるロックダウンが実施されていたにもかかわらずだ。自らが新型コロナウイルスに感染して入院する前には、記者団に対し、陽性反応の出た患者と病院で握手するのにも抵抗はないと語っていた。

そもそも中国の習近平(シーチンピン)国家主席が武漢市民の移動を許さない措置をとっていれば、新型コロナウイルスがこれほど急速に世界の至る所まで広がることもなかっただろう。ロックダウン前の武漢からは、市民500万人が脱出したとみられている。

女性リーダーを増やすべき?

今はまだどの国の指導者が正しい対策を十分に講じたといえるのか、最終的な判断を下す段階ではない。新型コロナウイルスの感染を抑え込み、国民の命を救う取り組みは現在も続いている。しかし上記の事例が示すように、ここまで迅速かつ決定的な行動をとったリーダーには一定以上の割合で女性が多かったのが現実だ。

列国議会同盟および国連の調べによると、今年1月1日の時点で、選挙によって選ばれた国家元首152人のうち女性はわずか10人だった。また国会議員の75%、経営上の意思決定者の73%、主要ニュースメディアに携わる人の76%は男性が占めているという。

国連で女性問題を担当する幹部は「我々が作り上げた世界では、女性がわずか25%の空間に押し込められている。物理的な意思決定の場でもそうだし、生き方について語るうえでもそうした制約がある。4分の1の割り当てでは不十分だ」と述べた。

もうずっと以前から、世界における女性首脳の数を増やす必要性が叫ばれ、政治のあらゆる階層の中で議員の男女比率を平等にしようという意見も取りざたされてきた。

少なくとも、一定の割合以上の女性リーダーがパンデミックの封じ込めに現時点で成功しているという事実に照らして、我々は性の平等が各国の公衆衛生と国際安全保障にとって極めて重要なものだとの認識を持ってしかるべきだろう。

以上は

中国における女性問題や性の平等に関する著作のあるレタ・ホン・フィンチャー氏による寄稿です。記事における意見や見解は全てフィンチャー氏個人のものです。

 

未曽有の新型コロナウイルス災禍に世界中の人々が震えた。そんな国民の不安に寄り添い信頼を勝ち取った各国のリーダーは、女性だった!

感情の機微を読み取れる女性がコロナ禍で活躍

新型コロナという未曽有の危機の中でリーダーの真価が問われ、本当のリーダーシップが試されました。そこで台頭したのが女性リーダーたちだったことを私は心強く思います。

コロナ危機の本質は、戦う相手が外敵や他国ではなく、見えないウイルスであること。そして人々の恐怖や孤独、不安という内なる感情とも闘わなければいけないとき、その恐怖を鎮めることが求められます。女性はそうした感情の機微を読む力がとてもすぐれています。

敵国をたたくことで、危機を勝ち抜こうと鼓舞するような男性的レトリックはウイルスとの闘いには役に立ちません。人々の不安と向き合い、「大丈夫」と励ましたり、勇気づけたり、やさしく包み込む共感力が必要とされる危機において、女性としての強みが生かされたのだと思います。

もちろんそれだけではなく、非常に能力が高い。とくに女性は「ガラスの天井」といわれる障壁を乗り越えなければいけないので、男性たちと比べてはるかに大変な道を歩んできているわけです。まさに選ばれた超一流の人たちがトップに立ち、こうした非常事態時でもリーダーシップを発揮できたのでしょう。

ドイツ、ニュージーランド、台湾、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドなど、コロナ対策に成功しているといわれる国では女性リーダーの活躍が目立ちます。それぞれスタイルの違いはあれど、共通しているのはやはり“共感力”です。

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、本当にどっしりとした重厚感があって、「ドイツのお母さん」といわれています。もともと物理学者としての知見を持っているので、科学的な知識をもとにロジカルに説明される。この人に任せていれば大丈夫と思えるような安心感があります。

そもそも男性と女性ではリスクに対する受容度が違うといわれています。男性のほうがリスクの高い行動に出やすいのに対し、女性はより安全を重んじるところがあるので、リスクに対してきちんと予防行動を取る必要性がわかっている。その姿勢が信頼につながるわけです。

ニュージーランドのアーダーン首相は40歳の若いリーダーですが、地に足の着いた方で強い信念を持っています。非常に親しみやすく、「私はあなたの隣にいて、あなたのことを応援している」というメッセージを発信してきました。いわば隣のお姉さん的な包容力があり、悲しみや喜びを一緒に共有していこうという姿が共感されるのでしょう。

自身も母親であり、家で子どもを寝かしつけた後、部屋着姿のままライブ中継でメッセージを送り、国民を励まし続けている。頻繁に国民とコミュニケーションを取ることの重要性もわかっているのですね。

日本の政界では東京都知事の小池百合子さんの「コミュ力」が際立っています。言葉の選び方、場のさばき方などさまざまな工夫が凝らされ、キャッチフレーズのつくり方もうまい。何より彼女のコミュニケーションで舌を巻くのは、徹底した感情のコントロール。声を荒らげたり、取り乱したりすることがない。ヒステリックに怒って聞こえてしまうという、女性特有のトラップ(わな)をわかっているのでしょう。

各国の女性リーダーを見ていると、強さとやさしさのベストミックスを感じます。世界でもっとも早く対応したリーダーの1人、台湾の蔡英文総統は冷静でロジカルな方ですが、冷たさはありません。ノルウェーのソールバルグ首相も揺るぎない強さがあり、国のお母さんという感じ。テレビを通じて子どもたちに直接語りかけるという革新的なアイディアを実行に移し、共感を集めました。

女性リーダーは2タイプ。共通点は「共感力」

実は女性リーダーもはっきり2つのタイプにわかれます。ひとつは「おっかさん」系で、どっしりと包容力のあるタイプ。そしてもう一方は「お姉さん」系です。ニュージーランドのアーダーン首相のように若々しく、しなやかな強さを持つタイプですね。

フィンランドのマリン首相は34歳ととても若く、フェミニンな女性。ソーシャルメディア上のインフルエンサーを新型コロナウイルス対策に動員して注目されました。デンマークのフレデリクセン首相は理知的で凛とした人で、ロックダウンの最中には歌を歌いながら皿洗いをする映像をフェイスブックにアップして話題に。子どもたちの質問に答える3分間の記者会見も行いました。

アイスランドのヤコブスドッティル首相も40代の若さながら、しっかりと堅実な印象です。国民全員に対して無料のウイルス検査を提供し、封鎖措置や学校閉鎖も回避したことが評価されています。

いずれの女性リーダーもトップダウンではなく、国民と同じ目線に立つという考え方があるような気がします。共感力や思いやりにあふれ、コロナ禍にある国民の不安に心から寄り添う姿勢が評価されたことで、さらに女性リーダーが増えていくきっかけになると思うのです。

以上

岡本 純子(おかもと・じゅんこ)

コミュニケーション・ストラテジスト、グローコム代表

 

 以下 ウィキペディア等より抜粋      

フェミニズムとは

女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動である。

 

第一波フェミニズム

フェミニズムの起源は市民革命、とりわけ、18世紀末のフランスに遡る。1789年にフランス革命により「人間と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)が採決されたが、この「人間」とは「男性」のことであり、男性にのみ権利を与えることに対して女性が抗議し、女性の権利を求める運動が欧州各地に広がった。これがフェミニズムの誕生とされる。

 

19世紀半ばになると、女性参政権を求める運動がヨーロッパやアメリカにおいて盛んになっていった。この女性参政権運動の起源となったのは1848年にアメリカ・ニューヨーク州の西部にあるセネカフォールズにおいて、エリザベス・キャディ・スタントンとルクレシア・モットによってセネカフォールズ会議が開催され、その要求の一つに女性参政権が盛り込まれたことである。ニュージーランドでは、婦人参政権論者ケイト・シェパードの助けによって1893年に最も早く女性参政権が認められている(なお、アメリカで認められたのは1920年、また日本では1945年である)。

 

1848年はまた、フランスにおいても、プロレタリアート主体の二月革命によって成立した臨時政府のもとで、社会主義(サン=シモン主義、フーリエ主義)のフェミニストを中心とする「1848年の女性たち」の運動が起こった年であり、この運動を牽引したのがウジェニー・ニボワイエと彼女が創刊した機関誌『女性の声(フランス語版)』である。

 

18世紀以前は一部の上流階級を除いて、女性は男性と等しく農作業・商・手工業などの労働に就いていた、産業革命の影響で労働に就いていた中流階級の女性は専業主婦となる事が多かった。20世紀には「結婚して子供を持つ郊外住宅の主婦」が女性の憧れの的とされた。戦後はアメリカ型の専業主婦となることが幸福と思う者が、特に日本女性には多かった。しかし、家庭に戻った女性の中には結婚し子供を育てるだけの人生に不満を持つ者もいた。米国における第二波フェミニズムの引き金となった『新しい女の創造』の著者ベティ・フリーダンは同書で当時の女性の心境を語っている。

「郊外住宅の主婦、これは若いアメリカの女性が夢に見る姿であり、また、世界中の女性がうらやんでいる姿だといわれている。 しかし、郊外住宅の主婦たちは、密かに悩みと戦っていた。ベッドを片付け、買い物に出かけ、子供の世話をして、 1日が終わって夫の傍らに身を横たえたとき、『これだけの生活?』と自分に問うのを怖がっていた。」

第二波フェミニズム

社会習慣・意識に根ざす性差別との闘いを中心とする。

20世紀西欧の女性解放思想の草分けとなったのが、1949年に出版されたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』である。実存主義の立場から、本質的な「主体」としての男性に対する女性の「他者性」という概念を提示し、女性の「他者」としてのアイデンティティや根源的疎外が、一方において女性の身体、とりわけその生殖能力から生じ、他方において出産・育児といった歴史的な分業から生じると論じた。『第二の性』の冒頭に掲げられた「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉は、こうした歴史的・社会的・文化的構築物としての「女」を表わす。米国では、『第二の性』に影響を受けたケイト・ミレットやベティ・フリーダンらの活動から、第二波フェミニズムが生まれることになった。

1960年代後半から1970年代前半にかけて女性解放運動(米国のウーマン・リブ運動、フランスの女性解放運動 (MLF) など)が世界中に広まり、ニューヨーク、パリなど各地で数十万規模のデモが発生した。この運動により後に多くの国で女性の労働の自由が認められるようになった。これを境にフェミニズムはほとんどの国で政治、文化、宗教、医療といったあらゆる分野で取り入れられるようになる。

女性解放運動は女性を拘束しているとする家族や男女の性別役割分担、つくられた「女らしさ」、更にはこの上に位置する政治・経済・社会・文化の総体を批判の対象にしていた。

ウーマン・リブ運動の高揚を受けた国際連合は、1972年の第27回国連総会で1975年を国際婦人年と決議し、メキシコで国際婦人年世界会議(1975年)を開催して「世界行動計画」を発表した。続いてコペンハーゲン会議(1980年)、ナイロビ会議(1985年)、北京会議(1995年)などが開催された。

一方、理論面においても、以下のように、その思想的立場から様々な潮流を生み、人種、階級、年齢、国籍、宗教、性的指向などの異なる文化的・社会的立場から次々と批判的な読み解きが行われている。

1970年代以降の第二波フェミニズムでは、同性愛者であったミシェル・フーコーらによる、男性同性愛者や性的指向についての研究の成果を取り込み、ジェンダーへの関心や、LGBTなどセクシュアル・マイノリティの扱いにまで視点を広げた。

フェミニズムの議論は妊娠中絶、避妊、出産前のケア、育児休暇、セクハラ、ドメスティックバイオレンス、強姦、近親相姦、女子割礼問題なども対象とする。

 

フェミニズムの諸潮流

リベラル・フェミニズム

一般に個人主義的でリベラル・左派的な傾向を持つ。男女平等は法的手段を通して実現可能で、集団としての男性と闘う必要はないと主張する。ジェンダー・ステレオタイプ、女性蔑視のほか、女性の仕事に対する低賃金、妊娠中絶に関する制限などを男女不平等の原因と考える。ナオミ・ウルフらが代表格である。

 

マルクス主義フェミニズム

マルクス主義フェミニズムは、資本主義が女性を抑圧する原因だと考える。資本制的生産様式では男女不平等は決定しているとみなし、女性を解放する方法として資本主義の解体に焦点を合わせる。

 

ラディカル・フェミニズム

1970年代に米国で誕生。公的領域のみならず家庭や男女の関係までも含む私的領域まで急進的な姿勢で問い直すことを主とする。右派と左派が存在する。ラデイカルと呼ぶよりも、保守・右派的な傾向もあり、ポルノグラフィーに対する法的規制運動に熱心である。ポルノグラフィ撲滅運動は、純潔思想からポルノグラフィを糾弾している保守系議員やキリスト教原理主義団体といった反フェミニズム・アンチジェンダーフリー勢力と考え方が一致しており、批判の対象となっている。過激なポルノ規制派のアンドレア・ドウォーキンは、ポルノ弾圧の目的のため、保守派の男女や右派フェミニストとも交流し、リベラルのナオミ・ウルフから批判された。

 

エコロジカル・フェミニズム

男性による自然支配と女性支配を同根と定め、自然保護の立場から戦争、女性への暴力、女性支配、先住民への差別、環境破壊に反対する。

 

「エコフェミニズム」という言葉の生みの親とされるフランソワーズ・ドボンヌは、1978年にエコロジー・フェミニズム協会を設立。この運動は、当時、フランスではほとんど反響を呼ばず、オーストラリアや米国において引き継がれ、大きな広がりを見せることになった。

 

第三波フェミニズム

第四波フェミニズム

 

日本のフェミニズム

明治維新からの女性解放政策

明治維新からは女性解放政策が打ち出された。

推進政策

1869年、関所を女性が自由に通行。津田真一郎という刑法官が女子売買禁止の建白書を政府に提出。 1871年、津田梅子(当時、満六歳:最年少)ら、五人の少女が、米国へ留学する。 1872年、芸妓と娼妓の無条件解放が布告(公娼制度は残された)。女学校が設立される。 1873年、妻からも離婚訴訟が可。女子伝習所(女子のための職業訓練所)が開設される。1874年、東京女子師範学校が設立される。

反発政策

1885年、第一次伊藤博文内閣の文部大臣森有礼が「良妻賢母教育」が国是と声明。「生徒教導方要項」を全国の女学校と高等女学校に配る。 1890年「集会及政治結社法」にて女性の政治活動を禁止。女子は政談演説参加禁止。

日本初の女性参政権 1878年(明治11年)、区会議員選挙で楠瀬喜多が、戸主として納税しているのに、選挙権がないことに対し高知県に対して抗議した。しかし県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)、日本で初めて女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも実現した。しかし4年後日本政府は「区町村会法」を改訂し、町村会議員選挙から女性は排除された。

女性解放運動家の登場

政府の反発政策に対して平塚雷鳥ら女性解放運動家が誕生し、政治的要求を正面に掲げた最初の婦人団体である「新婦人協会」もできる。女性に不利な法律の削除運動、女性の参政権獲得運動などがさかんになる。女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年・大正11)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年・昭和8)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面で成果をあげた。

戦後の女性解放運動

戦前から選挙権獲得運動を推進していた市川房枝などの女性運動家によって、終戦から10日後の1945年「戦後対策婦人委員会」が組織され、日本政府とGHQに対して婦人参政権と政治的権利を要求した。その後も「主婦連合会(主婦連)」など、いくつも作られたが、この時期の組織は食糧獲得や物価高騰への抵抗など、生活を再建させる上での主婦や母という性別役割を完全に果たすたことが動機である「婦人」たちの組織だった。

「女・子ども」の言い分と切り捨てられる文化風土に対して、女性が自律的な活動をする上で「母」の観念は強力なエートスとなりえた。

1960年代の安保闘争以降、女性が政治運動に参加する中で、主婦や母といった性別役割分業への疑問や葛藤が表面化し始めた。それは1970年代のリブ運動の到来とともに一挙に明らかとなった。なかでも、1975年の国際婦人年は大きな契機となり、女性であるがゆえに免れない不利な状況を克服するための諸問題を打破するために、公的な場への女性の登用を目的として41の女性団体が共同行動を起こした。 職種における賃金差、選択的夫婦別姓制度の未導入など、日本の男女平等はいまだに実現していない。

 

フェミニズムの影響・成果

・女性の政治参加

19世紀末期から女性参政権を求める運動が高まり、1893年のニュージーランドを皮切りに、世界各国で認められるようになった。日本でも、戦後、新選挙法が制定され、女性の参政権が認められている。

1970年代以降、フェミニズムによって女性議員の数は大幅に増加した。世界各国では女性議員は通常2割程度存在し、地域別でみるとEUの31.0%がトップ、南北アメリカ18.4%、アジア15.5%、サハラ以南アフリカ14.9%、アラブ諸国6.0%となっている。世界で最も割合が高い国家はアフリカのルワンダであり、2013年における女性議員の割合は56.3%と半数を超えている。なお、日本における2015年の衆議院の女性議員割合は9.5%であり、先進国中では最も低い水準となっている。

ノルウェー、スウェーデンやドイツ、イギリスの社会民主主義政党では1981年にクォータ制が導入され、政治家のほぼ半数が女性である。

・女性の労働

日本では1933年に女性の弁護士への道が開かれた。1999年には男女雇用機会均等法の大幅な改正によって、雇用上の女性の権利、育児休暇の権利が獲得され、企業に対してセクシャルハラスメント防止を配慮する義務も課せられた。ノルウェーにて2006年度に女性の私企業へのクォータ制が義務付けられ、企業役員の40%を女性とする事が定められた。

また、職業名を男女両者に使用できる語へと変える動きもある(具体例として、「スチュワーデス」→「客室乗務員」、「看護婦」、「看護士」→「看護師」など)。英語圏でも例えば「fireman」→「fire fighter」、「policeman」→「police officer」、「stewardess」→「flight attendent」などの言い換えが行われている。

賃金格差については、日本は先進国で最下位レベルであり、正社員であっても女性は男性の75%ほどの賃金となっている。

・教育

第二次世界大戦前、女性の大学進学を難しくしていたのは旧制中学、旧制高等学校が女子の入学を認めなかったからで、大学に進むコースとしては、女子師範学校などを卒業するという必要があった。学生の改革によって、戦後、女子の大学進学数は男性に追いつくペースで年々増加し、平成16年度に、女子の方が、進学率が高くなっている。米国、英国、北欧でも女子優位が起きている。

・性意識と性規範

性意識や性規範などの認識もフェミニズムによって変化している。

 

以下 諸サイトより抜粋

マルクス主義フェミニズム

  • マルクス主義フェミニズムは、マルクス主義の史的唯物論に、ラディカル・フェミニズムの家父長制概念を取り入れることで生まれた
  • マルクス主義フェミニズムは、家事が不払い労働(アンペイドワーク)であることを発見した
  • マルクス主義フェミニズムは、家事労働論争をとおして、不払いの家事労働が女性を抑圧する物質的基盤であることを明らかにした
  • マルクス主義フェミニズムは、再生産様式に着目し、生産と再生産が抵触するのは近代社会特有の現象であると論じた
  • マルクス主義フェミニズムが受けた批判は、女性というカテゴリーの設定は本質主義的であるというものだった

第三波フェミニズム

  • こ女性全体の解放を目指す第二波フェミニズムと、新自由主義的な自己実現を目指すポストフェミニズムとの矛盾を見つめ、対話し、調和すること
  • 男女間の平等性はもちろん、肌の色や階級やセクシュアリティに関係なく、だれもが私でいられる個性の平等を目指すことこそが、第三波フェミニズムが求める平等なのです。
  • 第三波フェミニズムは、1990年代頃から2000年代頃にかけて展開した
  • 第三波フェミニズムとは、第二波フェミニズムの限界を認めながらも、多様性や私らしさという個性を追求する思想・運動である
  • 第三波フェミニズムは「ガール・パワー」、多様性が特徴とされ、だれもが私でいられる個性の平等を目指している
  •  

第四波フェミニズム

  • 第四波2010年代からの第四波の特徴は、問題へのアプローチの手法にあるとみています。SNS利用の急拡大にともなって、オンライン・アクティビズムとして運動への参加や問題意識が世界中で共有されるようになりました。18年にTwitterで起こった#MeToo運動はその典型でしょう。

 

 

岡野八代『フェミニズムの政治学』

ケアの倫理をグローバル社会へ (みすず書房)

フェミニズムと政治学は遠いものと思われていた。フェミニズムは政治学の想定する「人間」とは男性のことだと批判してきたし、政治学は女性を政治の領域から排除し、あるいは承認したうえで包摂してきた。
フェミニズムによる政治学は可能だろうか。既存の社会の批判を超えて、フェミニズムは新たな社会を構想することができるだろうか。本書は、現代のフェミニズム理論に「リベラリズムとの対決」という一本の軸を通し、新たな政治学をうちたてる。

第一部では、政治学の根本を問う。まず、歴代の政治思想の議論を紹介し、男性を公的領域、女性を私的領域に割り振る公私二元論が、政治思想を貫いていることを指摘する。この公私二元論が「性的役割分担」の大元なのだが、ここでは性役割の解消がゴールではない。本書ではさらに、公私二元論がリベラリズムの根底にあることを洞察し、それが隠蔽するものを明らかにする。つまり、ひとは「自立した個」ではなく、たがいに依存して生きるという事実だ。

第二部では、ケアの倫理を社会に開く。依存する者たちの共同体=ケアは、リベラリズムの限界がもっとも鋭く現れる場である。自律した主体の能力とされてきた「責任」や「自由」は、ケアという地点から見るならば、他者の呼びかけに無責任である限りでの責任であり、応答しなくてもよい自由に他ならない。ケアが愛という名の下に女性に背負わされてきたというフェミニズムの批判に応えた上で、ケアや家族を社会にひらく道を発見する。

第三部では、強い主体ではなく、ヴァルネラブルな存在からはじまる政治が構想される。ひとは傷つき依存して生きるという「人間の条件」を基礎にした政治である。女イコール平和という図式をめぐるフェミニズムの論争をふまえ、グローバルな責任とは何かを探っていく。もっとも私的とされるケアの倫理が、国際平和への道を切り開くのだ。

「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムの発見が、これほど見事に政治学に練り上げられたことはない。政治を根底で支えている論理をクリアにするばかりでなく、社会を生きるための力が湧いてくる本だ。フェミニズム理論の到達点であり、決定的な出発点。

 

 

 

 

 

 

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