4 次に,被告人Aの個別情状について検討する。
(1) 被告人Aの立場,本件各犯行における主導的役割等
被告人Aは,国権の最高機関たる国会を構成する議員として,自ら国民の負託を受けて国政に携わる者であり,高度の倫理性及び廉潔性が求められていた。しかも,政策担当秘書制度の前記のような創設の経緯にかんがみると,その趣旨を十分にわきまえて,法律で定められた有資格者を採用した上,その者をして実際に政策立案・立法調査活動を補佐する職務に従事させるべき立場にあった者であり,名義借り等の不正行為を行うなど本来あり得ないことというべきである。
しかるに,被告人Aは,被告人Bから,名義借りにより政策担当秘書給与を詐取する方法があることを聞き知るや,直ちに有資格者であるDやGと自ら面談するなどして,同人らに直接名義貸しを依頼した上,同人らを政策担当秘書として採用した旨の虚偽内容の手続を衆議院事務局に対して行うよう公設秘書のCに指示していたものであり,本件各犯行の実行を主体的に決断して,衆議院事務局職員に対する欺罔行為を直接指示したものということができる。
しかも,本件詐取金合計1874万円余のうち,56万円余がDに,195万円余がGにそれぞれ名義借り料として支払われ,8万円余がGの社会保険料として支払われているほかは,すべて被告人Aの事務所経費等の政治資金として使用され,あるいは貯蓄されており,被告人Aは,合計1614万円余を直接に利得しているのである。
そうすると,被告人Aが本件各犯行において主導的役割を果たしたことは明らかである。とりわけ判示第2の犯行に際しては,被告人Aから被告人Bに有資格者の紹介を依頼して,積極的に秘書給与の詐取を行おうとしているのであって,被告人Bから話を持ち掛けられた判示第1の犯行の際よりも更に主導性,積極性は顕著というべきである。
なお,関係各証拠によると,Dからの名義借りは平成9年3月7日付けで,Gからの名義借りは平成10年12月1日付けで,それぞれ解職届が提出されて終了しているが,このうち,Dについては,同人が別の衆議院議員の政策担当秘書として採用されることになり,Gについては,同人が別の参議院議員の公設第一秘書として採用されることになったためであったと認められるのであり,いずれも被告人両名の関知しない外部的事情に基づくものである。そして,関係各証拠によれば,同年10月初めころまでには,政策スタッフの1人であるLが政策担当秘書としての採用資格を取得していたというのに,被告人Aは,Gの解職手続を行った同年12月1日に至るまで,同人を政策担当秘書に採用しようとはしていないことが認められ,前認定のように,被告人AがDの解職手続の後直ちにGからの名義借りを開始していることをも併せ考慮すると,上記のような外部的事情がなければ,被告人Aが引き続いて名義借りを続けていたであろうことは明らかというべきである。
(2) 争点に対する判断
ア 同種事件の疑惑に関する認識等について
(ア)a 検察官は,平成10年10月末ころ,当時衆議院議員であったN(以下「N議員」という。)が名義借りにより政策担当秘書の給与を詐取したという疑惑(以下「N議員の疑惑」という。)が報道されたことから,本件の共犯者であるGが不安に駆られて,被告人Aの公設秘書であったCに対し,名義借りをやめた方がいいのではないかと進言し,これに賛成したCが,被告人Aに対して,上記報道の存在を知らせたにもかかわらず,被告人Aは,Gからの名義借りをやめることなく継続させていた旨主張する。
b これに対し,被告人Aの弁護人は,上記報道があったとしても,議員会館のポストに投げ込まれるような情報誌の類にすぎず,国会議員が行動の判断基準とするようなものではないし,被告人Aは,自らの秘書からも,N議員の疑惑については聞かされていなかったから,自らの秘書給与の取得が詐欺に当たることを認識しながら,Gからの名義借りを改めなかったということはない旨主張する。そして,被告人Aも,上記主張に沿う供述をするとともに,N議員の疑惑を初めて認識したのは,Gからの名義借りを終了した後の同年12月下旬のことであったなどと供述している。
(イ) そこで,被告人Aが本件犯行の途中からN議員の疑惑について認識していたかについて検討するに,この点に関する関係者の供述は分かれている。
a(a) まず,Cは,以下のように供述している。すなわち,
α 平成10年10月ころに,N議員の疑惑について報道があり,心臓が張り裂けるほどドキッとしたことがあった。私は,この報道について,Gとの間で,私たちの秘書給与詐欺が世間にばれたらどうなるのだろうと互いに不安を言い合い,Gから名義を借りることで秘書給与を騙し取るのをやめた方がいいのではないかと悩んだ。
β そこで,私が,被告人Aに対して,この報道について話したこともあったが,被告人Aは,「ふーん」という感じで聞き流す様子でおり,それ以上に考えを示さず,今回の秘書給与詐欺を直ぐにやめようなどとは言わなかった。そのため,Gから名義を借りて秘書給与を騙し取ることは,その後も,Gから,他の国会議員の公設秘書となるという話が出て名義借りを受けられなくなるまで続いた。
(b) また,Gは,以下のように供述している。すなわち,
α 私がN議員の疑惑について初めて知ったのは,議員会館のポストに投げ入れられるような政界情報誌の類だったように記憶している。私は,被告人Aから頼まれて行っていた名義貸しも同じようなことだと思い,他人事ではなく,思わずはっとしてしまった。このような報道があったということは,いずれ名義の貸し借りのことがクローズアップされるかもしれないと思ったし,私自身,いつまでも名義貸しを続けることは良くないと思っていた。
β 私は,不安な気持ちから,被告人Aの事務所に電話をかけ,Cに「あれ,見た。」と言ったところ,Cは,「ああ,あれですよね。」と答えた。私が,「私も同じようなことになるんじゃないかと思うんだけど,大丈夫なのかなあ。」と不安を漏らすと,Cも,「私も,そう思っていたところなんです。」と言った。そこで,私が,「やめた方がいいと思うんだけど。」と言って,被告人Aに対する名義貸しもやめた方がいいのではないかと持ち掛けてみると,Cは,「Aにも相談しておきます。」と言っていた。
γ 私は,Cが被告人Aと相談して,私の政策担当秘書としての登録をやめる手続をとるなどしかるべき対処をするように考えてくれるものと思ったが,その後,この件に関し,Cから私への連絡はなかった。しかし,N議員による政策担当秘書の名義借りについては,しばらくの間,新聞やテレビ等で報道されることがないように見受けられたので,私は,怪情報の類にすぎなかったのかもしれないと思い,取りあえず安心して,私からCに改めて連絡することはなかった。
(c) このように,上記C供述は,N議員の疑惑報道の存在及びこれを契機として被告人Aの名義借りに関してGと話し合ったことについて,上記G供述とその内容がおおむね符合しており,G供述によってその信用性が裏付けられている。しかも,C及びGは,自らも関与している被告人Aの名義借りと同様の方法による現職国会議員の詐欺疑惑が表面化したことによる驚きと不安の気持ちを,それぞれに具体的かつ迫真性をもって供述しており,その内容は,事実経過の点を含め,誠に自然なものである。
しかも,Cは,被告人AがPの専従として活動していたころから活動を共にし,被告人Aが国会議員に当選した直後,本人から特に請われてそれまでの大使館秘書の職を捨てて被告人Aの秘書となり,その公設秘書としてA事務所の運営等に深く携わってきた者であり,その供述内容に照らしても,あえて被告人Aに不利益な供述をするような事情は全くうかがわれないのである。
したがって,被告人Aに対してN議員の疑惑報道について報告した旨の上記C供述は,高い信用性を認めることができる。
b(a) これに対し,被告人Aは,当公判廷において,以下のように供述している。すなわち,平成10年12月22日にN議員に政策担当秘書の名義を貸していた人の逮捕が新聞で報じられるまで,N議員の疑惑について聞いたことはなかったと思う,Cからそのような話があれば,政策担当秘書を紹介してくれた被告人Bに相談に行くなどしているはずであるが,そういうことも一切していない,仮にそのような疑惑が報じられていたのが議員会館のポストに投げ込まれるような政界情報誌の類であったとすれば,そのようなものは,未確認情報や怪情報も結構多く,議員が行動の判断基準等にするものではない,上記の新聞報道を見た際には,Gを解職しておいてよかったなと思ってほっとしたことをはっきり覚えている,などと述べている。
(b) しかしながら,被告人Aの上記供述は,上記C供述とは大きく食い違うものである。そして,C供述によれば,CからN議員の疑惑報道について話を聞いた際の被告人Aの反応は,「ふーん」という感じで聞き流す様子であったというのであり,被告人Aは,G及びCが不安を感じていたのとは対照的に,N議員の疑惑浮上を契機として,自らの名義借りも発覚するおそれがあることについて,必ずしも深刻には受け止めていなかったことがうかがわれる。したがって,被告人Aが被告人Bに対しN議員の疑惑報道について相談しなくても,特段不自然なこととはいえない。
また,被告人Aが,N議員の政策担当秘書の逮捕の報道を見た際に,ほっとしたとしても,それは,N議員の疑惑が新聞等のマスメディアで報道される前に,名義借りをやめておいてよかったと思ったことを述べているにすぎず,これをもって,それ以前にN議員の疑惑を知らなかった証左となるものではない。
そして,被告人Aにおいて,政策担当秘書の名義借りへの問題意識が低かったとすれば,CからN議員の疑惑報道について報告を受けていたとしても,深刻に受けとめることなく聞き流して忘れてしまうこともあり得るところと考えられるから,被告人Aの上記供述のうち,新聞報道があるまでN議員の疑惑について聞いたことがなかったとする部分は,高い信用性が認められるC供述と対比して,これを信用することは困難である。
(ウ) 以上のとおり高い信用性の認められる上記C供述によれば,Cは,平成10年10月ころ,N議員の疑惑報道があったことを知り,Gと共に,被告人Aによる名義借りも発覚するのではないかと不安に駆られたことから,上記疑惑報道について被告人Aに報告したが,被告人Aは,「ふーん」と言っただけでこれを聞き流し,その後も,Cに対し,Gからの名義借りをやめるように指示することはなかったことが認められる。
そして,そもそも名義借りによる秘書給与の取得は,詐欺という紛れもない犯罪行為であり,そのことは,被告人Aも十分認識していたはずであるから,被告人Aが,N議員の疑惑に関する記事が掲載されたことを知れば,それが政界情報誌の類であり,仮にその情報の確度が低いと考えたとしても,本来であれば,罪の意識を覚せいし,犯罪行為を中止することにつながるべきものである。ところが,被告人Aが漫然と名義借りをやめようとしなかったのは,自らの行っている名義借りが詐欺に当たらないと考えていたからではなく,名義借りに対する問題意識,そして罪の意識が低かったために,これが発覚するおそれについて深刻に考えず,N議員の疑惑報道について他人事のように考えていたためであると推認することができる。
イ Gの解職日決定への関与について
(ア) 検察官は,判示第2の犯行終了時にGの解職届を提出した経緯について,平成10年11月末ころ,Gからの申出に基づき,被告人A及びCが,Gからの名義借りを打ち切った際,同月中に解職手続をとると,同年12月に支給される期末手当及び勤勉手当の支給額が減額されることになるため,解職手続を同月1日付けで行った旨主張する。
(イ) そこで,Gの解職日を同年12月1日としたことへの被告人Aの関与の有無について検討するに,この点に関しても,Cと被告人Aとの各供述は食い違っている。
a まず,Cは,以下のとおり供述している。すなわち,Gからの名義借りをやめることになった同年11月末ころ,被告人Aは,事務所にいた私やJに対し,「Gさんの解職届を出すにしても,冬のボーナスはどうなるんだろう。」などと言って,この時期に解職届を出すと,12月の期末・勤勉手当が減額されるのではないかと言い出した,それで,確かJが直ぐに衆議院に電話をかけるなどして調べた結果,同年12月1日までGが被告人Aの政策担当秘書に在籍していた扱いにすれば,期末・勤勉手当は満額支給されるが,同年11月30日までしか在籍していなかった扱いにすれば減額されることが分かった,そこで,被告人Aが,Gの解職日を12月1日とすることに決めたため,私は,電話で解職届の提出について打ち合せた際に,Gに対し,
「ボーナスの関係があるから,解職届の解職年月日は12月1日にしてください。」と頼んだ,などと述べている。
b これに対し,被告人Aは,当公判廷において,政策担当秘書をやめたいとの申出があった際,Gは,非常に急いでおり,その日に決めてくれなければ困ると言われたように覚えている,Gの解職届が同年12月1日付けとなっているから,そのことは,多分,その日に申出があって,その日中に決めてくれと,とにかく急いでいたという記憶と合致している旨供述している。
c なお,Gのこの点に関する供述は,変遷している。すなわち,
(a) 平成15年7月2日付け検察官調書では,私は,平成10年11月末ころ,A事務所に電話をかけて,Cに対し,名義貸しをすぐにもやめさせてもらいたい旨伝えたと供述している。
(b) ところが,平成15年8月2日付け検察官調書では,私が,平成10年12月1日にCに電話をかけて,別の議員の公設秘書になるので,直ぐにも名義貸しをやめたいと伝えたところ,Cは,「そういう事情ならしょうがないですね。Aに話しておきます。」と言い,その後間もなく折り返し「手続はどうしましょうか。」などと電話をかけてきた,私は,解職届は自分の方で行う旨申し出たが,その際,Cから「今日付けで解職ということでよろしいですね。」と確認されたように思う,などと供述している。
(c) さらに,平成15年8月7日付け検察官調書では,私が名義貸しの中止をお願いした時期が平成10年12月1日で絶対に間違いないかと言われると,必ずしも記憶に絶対の自信があるわけではなく,1日程度のずれがあってもおかしくないと思う,ひょっとすると,別の国会議員から公設秘書に採用すると言われたのが同年11月30日で,その日にCに政策担当秘書の解職をお願いして,翌日に解職手続をとったということもあり得ると思う,12月分の期末・勤勉手当をどうするのかについても,Cとやりとりがあったかもしれず,Cから,期末・勤勉手当の関係で,解職日を1日遅らせて12月1日にしてほしいという依頼があったということもあり得ると思う,などと供述している。
d(a) このうちC供述は,前判示のとおり,Cには殊更に被告人Aに対し不利益な供述をするような動機や事情の存在はうかがえず,その供述は,全体的に信用性が高いと認められる。また,期末・勤勉手当の支給について衆議院事務局に問い合わせた結果,解職日を決めたとする部分は,特異な体験に基づく供述であり,Cがこのような点について記憶を誤るとは考え難い。さらに,Cが述べるように,12月分の期末・勤勉手当は,基準日である12月1日前に退職した者についても支給されることがあり,しかも,Gの退職日を同年11月30日付けとするか同年12月1日付けとするかで同年12月分の期末・勤勉手当の支払金額に差違が生じることは,客観証拠によって裏付けられている。そして,被告人Aの秘書であるCが,この解職日の決定
について,名義借りの主体として最も利害関係を有する被告人Aに相談して,その指示に従うことは,誠に自然な経過ということができる。
(b) また,上記G供述は,全体としてみれば,Cに対して名義貸しの中止を申し出た時期について変遷するなどあいまいなものであり,しかも,当初の供述は,C供述と正に合致していたのであって,上記G供述がC供述と矛盾するとまではいえない。
(c) 他方,被告人Aの上記供述は,Gが解職を非常に急いでおり,その日に決めてくれなければ困るという記憶を主たる根拠とするものであるが,C供述においても,Gから突然名義貸しをやめたい旨の申出があったことを前提としていることを考慮すれば,Gからの名義貸し打ち切りの申出が平成10年12月1日であった旨の被告人Aの供述は,根拠に乏しいものというほかない。
e そうすると,この点に関しても,C供述は,高い信用性を認めることができるのであり,このC供述によれば,被告人Aは,Gからの名義借りに基づく平成10年12月支給の期末・勤勉手当を詐取するに当たって,その額がGの解職によって減額されないために,解職時期を同月1日にするよう,Cに指示を与えていたものと認められる。
ウ まとめ
以上のとおり,被告人Aは,平成10年10月ころには,Cから,政策担当秘書の名義借りという自分と同様の不正行為に関するN議員の疑惑が政界情報誌に載ったという報告を受けていたにもかかわらず,その後も,Gから,名義貸しをやめたい旨の申出があるまで,そのまま名義借りを継続し,しかも,Gの解職の日付についても,期末・勤勉手当の減額を防ぎ,より多くの金員を詐取するための操作まで指示していたのである。
しかも,被告人Aは,前認定のとおり,同年10月初めころまでには,自らの政策スタッフであったLが政策担当秘書の資格を取得していたにもかかわらず,Gに代えて政策担当秘書とすることもなく,漫然と,議員秘書の経験が長く給与水準の高いGからの名義借りを続け,同年12月に支給されるGの期末・勤勉手当が満額詐取できる同月1日付けでGの解職手続を,翌2日付けでLの採用手続をそれぞれとったのである。
したがって,被告人Aは,名義借りという違法状態の解消よりも,政策担当秘書給与として支給される金員をいかに多く確実に取得するかに主たる関心を有していたとみるほかはなく,秘書給与詐欺の意欲は強固で積極的であったというべきであり,この点においても誠に悪質である。
(3) 犯行後の情状
ア 本件疑惑発覚後の被告人Aの言動等
(ア) さらに,被告人Aは,週刊誌の報道が契機となって,本件各犯行の疑惑が浮上するや,以下のような行動をとっている。すなわち,
a 被告人Aは,平成14年3月14日ころ,週刊誌の記者がGの自宅を訪れて,本件の名義貸しについて質問したことを知り,同月16日ころには,自らも取材を申し込まれ,同月18日ころからは,コメントを求めるマスコミ各社の記者に付いて回られるようになった。
b 被告人Aは,弁護士らにも相談の上,本件名義借りに関する記事を掲載する週刊誌が発売される同月20日に合わせて記者会見を開いたが,その席で,Gには,非常勤の形でアドバイス等の政策担当秘書としての仕事を実際にしてもらい,秘書給与も全額渡していたなどという虚偽内容の説明を行ったが,事態は沈静化しなかった。
c その後,被告人Aは,別の弁護士から,上記記者会見の内容を訂正し議員を辞職することを勧められたものの,直ちにこの助言に従うことはなかった。もっとも,同月22日の所属政党による調査に際しては,DやGには秘書給与の一部しか渡しておらず,残額は事務所に入れており,上記記者会見の説明は虚偽であったことを認めたところ,その内容は,被告人Aの予期に反して,翌23日の各紙朝刊に掲載された。
d そこで,被告人Aは,同月24日以降,多くのテレビの報道番組に出演して,知人のアドバイスに従い,「ワークシェアリング」という言葉を使って,秘書給与はDやGに一部しか渡していなかったが,DとGには,政策担当秘書としての勤務実態があり,両名においても,その給与をいったん全額事務所に入れた上,これを事務所スタッフで分配して人件費を賄うことを了承していたなどと釈明した。
e しかし,同月26日未明には,所属政党の党首から議員辞職が勧告される見通しであるとの報道があり,同僚議員からのアドバイスもあったため,被告人Aは,同日,衆議院事務局に議員辞職願を提出した後,記者会見を行ったが,DやGに勤務実態がなかったことはあくまで認めず,被告人Bの関与についても説明しなかった。
f 被告人Aは,同月28日に衆議院で議員辞職が認められ,同年4月25日には,衆議院予算委員会において参考人として質疑を受けることとなり,それに先立つ同月23日ころ,複数の弁護士,D,G,C,Jらを交えて話し合いを行った。その際,被告人Aは,DとGからは,電話で国会における基本的事項等に関する説明やアドバイスを受けたり資料を届けてもらったりしていた,被告人BからはDらを紹介してもらっただけで,Dらに実際に支払う金額は自分が決定したなどと説明する方針を伝えて,Dらからアドバイスを受けていたことにする内容を具体的に指摘し,それまで打合せに参加していなかったDには,自分の著作物を渡すなどして,自分が関与したNPO法案,情報公開,環境問題等の施策についても理解しておくよう依頼したほか,その話し合いの後にも,その弁解の方針を文書にまとめて,Dらにファックスで送るなどした。
g 被告人Aは,上記のような方針に基づき,同月25日開催の参考人質疑において,D及びGの政策担当秘書給与は,Dらを含めて3名で構成していた政策チームの人件費に充てており,1人分の給与で3人分を賄っているつもりだった,DやGからは,個々の国会議員がどのような人物なのかなどについてアドバイスを受けていたなどとする虚偽内容の説明をした。
h その後,被告人Aの弁護士と被告人B側の弁護士との間で随時話し合いがもたれ,同年8月22日ころには,その弁護士らを介するなどして,上記とほぼ同じ内容の被告人Aの弁明が記載された「背景説明」と題する文書が,被告人BやDらにも配布された。
i そのため,Dは,同年9月28日から開始された警察での取調べにおいて,上記背景説明の内容に沿った虚偽内容の供述を繰り返し,さらに,同年12月には,被告人Aの弁護士が,Dの当時の供述内容をまとめた「陳述書」と題する書面を警察に提出したと聞いたこともあって,その後の検察庁における取調べでも,逮捕された直後まで同様の供述を続けていた。
j また,被告人Bも,被告人Aの上記方針を維持する旨の弁護士の助言もあって,平成15年1月からの取調べにおいて,その方針に従った供述をしばらく続けていた。
(イ) 以上みてきたように,被告人Aは,本件各犯行の疑惑が生じた後も,国民に対して真実を明らかにする機会が何度もあったにもかかわらず,その都度,内容は変遷させながらも,責任を回避しようとする虚偽内容の主張を一貫して続けている。しかも,被告人Aは,共犯者らに対し,自己の弁解内容を伝えて,それに沿った供述をするように依頼するなど,口裏合わせと批判されてもやむを得ない行動にも及び,その結果,被告人BやDらは,本件で捜査機関から取調べを受けた際,当初は被告人Aの意向に沿った内容虚偽の供述を続けていたであるから,被告人Aの言動は,自らの刑事責任追及を免れるための罪証隠滅行為にも当たるというべきである。
もっとも,その背景には,被告人Aが,当時,マスコミ関係者から集中的かつ執ように追い回されて,平常心を保つことが相当に困難な状況に陥っていたほか,その直前には,国会で別の衆議院議員の不正疑惑を追及する急先鋒と目されていたこともあり,本件詐欺疑惑の発覚について何らかの政治的な意図があるのではないかとの疑念を抱かざるを得なかったなどの事情もあったことがうかがわれる。
しかしながら,被告人Aは,国会議員という公職にあった者である。しかも,本件各犯行のような犯罪行為はもとより,上記のような卑怯で無責任な場当たり的対応をとることもまた,国民の政治不信を更に増大させるべき背信的行為となるものである。そして,国会議員は,国民の負託に応えて国政に携わる者であるから,仮に本件疑惑発覚当時のように困難な状況に追い込まれても,冷静な判断と適切な対処が期待されている。にもかかわらず,被告人Aは,自ら冷静さを失い,なぜ自分の名義借りだけが非難されるのかという不満さえ抱いて,自己保身ないし自己弁明に汲々とする言動を繰り返し,国民の信頼を大きく裏切ったというほかなく,その点からも厳しい非難に値する。
イ 捜査段階における被告人Aの供述経過等
(ア) 被告人Aは,平成15年6月中旬ころに初めて警察の取調べを受けて以降,何度も任意の取調べを受けたが,しばらくの間は,DやGからは電話によるアドバイスを受けるなど,政策担当秘書としての仕事をしてもらっていた,被告人Bは,DやGを紹介してくれ,DやGに報酬を支払うことも提案してくれたが,実際に仕事をしてくれる人として紹介してくれたのであって,名義借りだけという話はなかったなどという,虚偽の弁解を繰り返した。
また,被告人Aは,同年7月18日の逮捕直前の取調べでは,弁護人の助言もあったため,被告人Bから名義借りを勧められ,DやGには政策担当秘書として実際に仕事をしてもらうことは期待していなかったことは認める供述をしたものの,その時点でも,政策担当秘書としての採用届を出した際に,衆議院を騙すつもりまではなかった,被告人Bが名義借りを勧めた際,特に悪いことをしている様子はなく平然としていたので,悪いことをしているとは思っていなかったかもしれない,時期ははっきりしないが,Dと電話でやり取りしたり,Gから政策作りのための資料を受け取ったことがあるなどという弁解を続けていたのである。
(イ) このような被告人Aの捜査段階における供述態度に,前記アで認定したような,本件疑惑発覚後の被告人Aの言動等をも併せ考慮すると,被告人Aに対する強制捜査が公平を欠くなどと評価する余地はないのであり,被告人Aの犯行後の情状も悪質というほかない。
(4) まとめ
以上指摘してきたような本件各犯行の態様の悪質性,結果の重大性,安易で自己中心的な目的,詐取した金員の広範な使途ないし一部の蓄財,本件各犯行において被告人Aの果たした主導的役割,その得た不法な利益の大きさ,犯行後の情状の悪質さに照らすと,本件は,事案として重大であって,被告人Aの刑事責任も,重いというべきである。したがって,被告人Aの弁護人が指摘するような,本件起訴が公平を欠くなどという批判もまた,当を得ないものである。
(5) 被告人Aのために酌むべき事情
他方,被告人Aは,本件各犯行により政策担当秘書給与として詐取した金額に年5パーセントの遅延損害金を付した合計2331万7972円を衆議院に返納して,被害弁償を済ませていること,本件犯行が開始されたのは,国会議員に初当選した直後であり,知人で長年議員秘書を務めた被告人Bの勧めに乗ってしまった面がないわけではないこと,事実関係については,逮捕直後から,前に指摘した点を除き,犯意の点も含めすべて認めるに至り,国民の信頼と負託を裏切ったことを申し訳なく思っているなどと述べて,反省の態度を示していること,本件疑惑が取りざたされた後の平成14年3月に衆議院議員を辞職し,その後,自らの政治団体を解散するなど公的活動を自粛しているほか,本件により22日間身柄を拘束され,その前後を通じて,マ
スコミ関係者から執ような取材攻勢を受けるなど,相応の社会的制裁を受けていること,衆議院議員に当選する前は,非営利団体の専従者として活動し,当選後も,その経験を生かして特定非営利活動促進法(NPO法),児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律等の議員立法に尽力し,市民感覚を政治に持ち込んだなどとする評価も受けていたこと,多数の知人・友人が寛大な処分を求める旨証言又は書面により訴えており,今後の更生への協力が期待できる親族や知人もいること,駐車違反による罰金前科以外に前科のないこと,その他被告人Aのために酌むべき事情も認められる。
なお,本件と同様の政策担当秘書の名義借りによる詐欺事案については,元国会議員が実刑に処せられた先例も2例あるが,これらの先例と比較すると,本件は,余罪がなく,詐欺事件のみにとどまり,被告人Aには本件詐取金を個人的用途に使用する意図まではなかったと認められるなどの点において,その犯情には違いがあるということができる。
(6) 結 論
そこで,以上の諸事情を総合考慮すると,被告人Aに対しては懲役2年に処した上,その反省の態度を信じて特に今回に限り,その刑の執行を猶予するのが相当である。
5 最後に,被告人Bの個別情状について検討する。
(1) 被告人Bの本件各犯行への関与の程度,犯行後の情状等
ア 被告人Bは,昭和35年から国会議員の秘書になり,昭和44年から30年有余年にわたって別の衆議院議員の秘書を続け,本件当時も,政党党首を務めていた同議員の政策担当秘書であったように,長年の豊富な議員秘書の経験に基づき,政界の事情に精通し,議員秘書や市民運動家等に広い人脈を有しており,政策担当秘書の1人として,その制度趣旨についても十分わきまえるべき立場にあった者である。
ところが,被告人Bは,自ら政界入りを強く勧めていた被告人Aが国会議員に初当選するや,公職としての職責を忘れ,自らの豊富な知識や人脈を悪用して,不正行為であると十分認識しながら,あえて名義借りの方法による秘書給与の詐取という本件各犯行を自ら計画立案して教示し,政策担当秘書の資格を有するDやGに自ら働きかけて交渉した後,被告人Aに順次紹介して,両者の間を取り持っただけでなく,被告人Aが名義借りを直接依頼した場にも同席して,Dらに対する名義借りの対価の金額決定にまで関与するなど,本件各犯行に積極的に加担して,その実行に必要不可欠な役割を担うとともに,共犯者らを本件各犯行に巻き込んだものであり,その犯情は誠に悪質である。
イ しかも,被告人Bは,本件疑惑が取りざたされるようになった後も,自らの関与については明らかにせず,また,捜査段階においても,当初は,被告人Aの弁解に沿って,DやGには被告人Aの仕事の手伝いをしてもらうつもりで,詐欺とは思わなかったなどと内容虚偽の供述を繰り返していたものであって,その責任回避的な態度からすると,犯行後の情状も芳しいものではない。
ウ そうすると,被告人Bの刑事責任は決して軽くない。
(2) 被告人Bのために酌むべき事情
他方,被告人Bが本件各犯行に加担したのは,被告人Aの事務所運営ないし政治活動の充実のためであり,それが自己の所属する政党の党勢拡大につながる面はあったにせよ,自己が利得するために犯行に及んだとまではいえないこと,被告人Bは,本件の各犯罪行為には直接関与しておらず,本件詐取金も一切受領していないし,その使途についても全く関知せず,罪証隠滅に関する協議にも直接には参加していないこと,本件の事実関係はおおむね争わず,自らの行為により国民の政治不信を増大させたことを深く反省する旨述べていること,本件の疑惑発覚を契機に,自ら公職を離れ,その後,本件により22日間身柄を拘束されているほか,執ような取材攻勢を受けるなど,相応の社会的制裁を受けていること,現在66歳と高齢であり,30年以上前の古い罰金前科以外には前科のないこと,長年にわたり衆議院議員の秘書を務め,その活動を通じて国政や社会問題に貢献していたものとうかがわれること,知人が出廷し,寛大な処分を求める旨述べているほか,その更生に協力する関係者もいるとうかがわれること,その他被告人Bのために酌むべき事情も認められる。
(3) 結 論
以上のような諸事情に加えて,被告人Aとの刑事責任及び立場の相違をも併せ考慮すると,被告人Bに対しては懲役1年6月に処した上,その反省の態度を信じて特に今回に限りその刑の執行を猶予するのが相当である。
よって,主文のとおり判決する。
平成16年2月12日
東京地方裁判所刑事第2部
裁判長裁判官 中谷 雄二郎
裁判官 横山 泰造
裁判官 松永 智史
│ │ │ │ │ │
│ │別表1 │ │ │ │
│ │ │ │ │ │
│ │ 番号 │ 交付年月日 │ 交付に係る │ │
│ │ │ │ 給与の金額 │ │
│ │ 1 │ 平成8年11月29日 │ 539,916円 │ │
│ │ 2 │ 平成8年11月29日 │ 518,421円 │ │
│ │ 3 │ 平成8年12月10日 │ 518,421円 │ │
│ │ 4 │ 平成8年12月10日 │ 1,016,266円 │ │
│ │ 5 │ 平成8年12月25日 │ 27,187円 │ │
│ │ 6 │ 平成9年 1月10日 │ 527,997円 │ │
│ │ 7 │ 平成9年 2月10日 │ 520,640円 │ │
│ │ 8 │ 平成9年 3月10日 │ 520,640円 │ │
│ │ 9 │ 平成9年 3月14日 │ 299,816円 │ │
│ │ 合計 │ │ 4,489,304円 │ │
│ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │
│ │別表2 │ │ │ │
│ │ │ │ │ │
│ │ 番号 │ 交付年月日 │ 交付に係る │ │
│ │ │ │ 給与の金額 │ │
│ │ 1 │ 平成 9年 4月25日 │ 527,812円 │ │
│ │ 2 │ 平成 9年 5月 9日 │ 459,210円 │ │
│ │ 3 │ 平成 9年 6月10日 │ 459,210円 │ │
│ │ 4 │ 平成 9年 6月30日 │ 693,586円 │ │
│ │ 5 │ 平成 9年 7月10日 │ 459,210円 │ │
│ │ 6 │ 平成 9年 8月 8日 │ 459,210円 │ │
│ │ 7 │ 平成 9年 9月10日 │ 459,210円 │ │
│ │ 8 │ 平成 9年10月 9日 │ 459,210円 │ │
│ │ 9 │ 平成 9年11月10日 │ 459,210円 │ │
│ │ 10 │ 平成 9年12月10日 │ 469,914円 │ │
│ │ 11 │ 平成 9年12月10日 │ 1,446,969円 │ │
│ │ 12 │ 平成 9年12月19日 │ 85,165円 │ │
│ │ 13 │ 平成10年 1月 9日 │ 476,794円 │ │
│ │ 14 │ 平成10年 2月10日 │ 494,794円 │ │
│ │ 15 │ 平成10年 3月10日 │ 476,794円 │ │
│ │ 16 │ 平成10年 3月13日 │ 300,066円 │ │
│ │ 17 │ 平成10年 4月10日 │ 476,794円 │ │
│ │ 18 │ 平成10年 5月 8日 │ 476,794円 │ │
│ │ 19 │ 平成10年 6月10日 │ 476,794円 │ │
│ │ 20 │ 平成10年 6月30日 │ 1,200,265円 │ │
│ │ 21 │ 平成10年 7月10日 │ 441,194円 │ │
│ │ 22 │ 平成10年 8月10日 │ 462,194円 │ │
│ │ 23 │ 平成10年 9月10日 │ 442,194円 │ │
│ │ 24 │ 平成10年10月 9日 │ 442,194円 │ │
│ │ 25 │ 平成10年10月30日 │ 45,667円 │ │
│ │ 26 │ 平成10年11月10日 │ 446,946円 │ │
│ │ 27 │ 平成10年12月10日 │ 1,153,822円 │ │
│ │ 合計 │ │14,251,222円 │ │
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