8月末の総選挙で10区から当選した辻元。選挙期間中は、ほとんどの街頭、街宣で「民主党、民主党」と声を上げ、「いったい、どこの党から出馬したんだ?」と思わせるほど、虎の威を借る狐状態。
つくづく、高槻市民でいることが恥ずかしくなってしまう。全国で辻元が議員でいることに疑問をもつ人がいる中で、「高槻市民は馬鹿だ」との声も聞こえてくる。
高槻10区は大阪府内で一番投票率が高かった。辻元は自分のブログで下記のように綴っている。
私はこの選挙で、ひとつの目標を掲げていました。それは、この高槻・島本、大阪10区の投票率を日本一にすることでした。民主主義は私たち国民ひとりひとりがつくりあげていくもの。オバマ大統領を選ぶ選挙の過程でアメリカが力を取り戻していったように、「この選挙を通じて日本の民主主義に魂をいれたい、日本を元気にしたい」と繰り返し訴えていたのです。(辻元清美ブログ)
私は高槻でそんなことを言ってるのは聞いたことがない。「民主党、民主党」は聞いたけど。
そして、高槻・島本の投票率は70.56%。辻元はその1票の重みをかみしめているといっているが、50%の得票率いくかいかないかである。つまり、半数以上の人が辻元にNOと言っているその1票の重さも知るべきだ。しっかりかみしめてほしいものだ。
そんな辻元が、ダダをこねているらしい。下記はそのニュースから。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000530-san-pol
社民・辻元氏が駄々っ子状態 民主ため息
9月20日18時18分配信 産経新聞
頑固に「護憲」を掲げる社民党が、鳩山由紀夫首相が率いる連立政権でさっそく足をひっぱり始めた。社民党きっての論客である辻元清美衆院議員の国土交通副大臣起用をめぐっても大混乱。組閣翌日に副大臣辞任というハプニングが起きる寸前だった。社民党は衆参12人の小所帯だが、外交・安保政策だけでなく、政権運営面の「火種」となりかねないドタバタぶりに、民主党からは「付き合いきれない」(党幹部)とため息が漏れている。(原川貴郎)
18日午後、国会内の社民党控室で、辻元氏は国交副大臣就任を駄々っ子のように拒み続けた。
辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」
阿部知子政審会長 「そんなのダメ。やりなさい!」
辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃってるんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」
混乱は17日夜に始まった。前原誠司国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた辻元氏は、社民党国対委員長であることを理由に断り、対応を重野安正幹事長に一任した。
これを受け、重野氏は党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相氏と協議しようとしたが、電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまった。
ところが、福島氏は閣議後の記者会見で「サインはしていない。平野博文官房長官からは『調整中の方がまだ何人かいる』とのことだった」と署名の事実を否定。最後は署名したことを認めたが、なぜ辻元氏の意向を踏まえず署名したのかは定かではない。
辻元氏の抵抗を受け、社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドは「できません」ときっぱり拒否。重野氏は国民新党幹部に「連立政権として十分な意思疎通ができていない」と不満をぶちまけたが、もはや白旗を上げるしかなかった。
社民党の混乱に民主党幹部は「党内の連携ミスの責任をこちらに押しつけられても困る」とあきれ顔。辻元氏が国対委員長職に固執した理由は分からないが、辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、翌年2月に有罪判決を受けた。自民党幹部は「内閣に入ってくれた方が攻撃しやすい」とほくそ笑んでいる。
確かに秘書給与詐欺で有罪になった人間までを閣僚にしてしまう民主党もおかしいが、ダダをこねる辻元はもっとおかしい。
そもそも、お金に関して不祥事を起こす人間は、一般社会でも絶対信用されないものなのに。つくづく、政治の世界は、理解できない。
(write yukiro)
聞いているだけで腹が立ったので乗せることにする。
辻元 清美(つじもと きよみ)新国土交通副大臣
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皆さんこんにちは。この度国土交通副大臣を拝命致しました辻元清美です。今日は、お仕事中にも関わらずこんなにたくさんの皆様にお集まり頂きまして、まず感謝申し上げたいと思います。これからしっかり力を合わせて頑張りたいと思いますので、よろしくお願い致します。
さて、私は奈良県吉野郡大淀町下渕という、奈良の吉野の桜の名所の近くで生まれたんです。山の中でした。小さいときには、橿原神宮という駅から奥は単線の列車なんです。たった1本の列車が私達の命綱でした。小さいときから、1時間に1本くらいしかないこの列車で、私達は生活してきました。それが幼い頃の思い出です。
それから、この吉野から奈良に向けてたった1本の道、これが私達の生命線でした。そして、吉野の里から1つのトンネルが出来たとき、「これで山越えせんで済むなぁ」、「助かるなぁ」と、本当に心から喜んだ、そんな子供時代でした。私のおじいちゃん、母方の祖父ですが、トラックの運転手でした。吉野杉を、吉野・熊野の山奥から大阪に大型トラックで運ぶという仕事をしておりました。私は馬淵副大臣と同い年です。1960年に生まれたんです。当時、高度成長期真っ只中、おじいちゃんの仕事を子供のとき手伝っておりました。
実は私の母方のお兄さん、伯父さんは船乗りなんです。当時、タンカーで世界中の海に、日本の産業を支えるために、船乗りで行ってました。大阪の港に着いたときは、伯父さんの船に乗せてもらって、子供ながらに「船乗りってカッコええなぁ」と思っておりました。
そして国会議員に、初当選は13年前でしたけれども、その前は私も客船関係の、特に観光や国際交流という仕事に就いておりました。そういう経験から、私は非常に皆さんの仕事に親しみを覚え、そして誇りを持って、これからも多くの人達の暮らしを支えて参りたい、という決意で初登庁させて頂きました。
今、連立政権の時代です。私、社民党なんです。ちっちゃな政党なんです。しかし、連立3党、違いを乗り越えて、力を合わせて、国民の皆さんに政権交替して頂いた、その重みと意味を噛み締めて、前原大臣以下、皆様方と力を合わせて進んで参りたいと思います。
今、日本の経済は非常に厳しいです。国民の皆さんの生活もしんどいです。選挙でずっと日本中を歩きますと、最近で私が一番心を痛めるのが、子供達。親御さんが派遣切りにあったり、仕事が無くて、高校を辞めなきゃならない子供達が出てくる。学校へ行くにも、学費をしっかりと払ってもらえない子供達が出てくるという、非常に心が痛みます。私自身も小さいとき、どちらかというと経済的に苦しい家の子供でした。ですから、学校へ行かせてもらうのにも本当に多くの人達の手助けや、奨学金をもらいながら学校に参りました。子供達がつらい思いをしている、こんな日本を何とか変えたいと思うんです。
そのためには、限りある財政、日本の財政が苦しい中で、どういう優先順位で、どこにお金を配分していくかということを、皆様方と共に考えて参りたい、と私は思っています。そして1人も泣く子供がいない日本にしていくために、皆様方と共に守る力と変える勇気を持ちたいと思うんです。守る力というのはもちろん、国民の皆さんの安心と安全を守る仕事です。しっかりと守って参りたいと思います。
今回は災害対策や危機管理という、皆さんは辻元に任せて大丈夫かとひょっとしたら不安になるかも知れませんが、政権に入りましたので、しっかり覚悟を決めて取り組んで参りたいと思っております。阪神・淡路大震災のボランティアとしても、ずっと活動に携わって参りました。ですから、守る力と、そして今までのあらゆる施策を、今、この日本のために、どういうように私達が変えるべきところは変えていくかということを、皆様方と一緒に、勇気を振り絞って、施策を点検して参りたいと思っております。
最後になりますけれども、私の担務は交通政策、今申し上げましたように、交通政策というのは福祉と環境の産業だと思います。お金が無くて車が買えない人も、公共交通があるから移動ができる。身体の不自由な方々やお年寄りもそうです。そして、環境との共存というのも、この交通政策に掛かってきております。
そしてもう1つが観光。私は観光を、内需を拡大するエンジンにしていきたいと思っております。かねてから「ヒューマン・ニューディール」という、人を幸せにする仕事づくりと産業こそを日本の中心に据えたいと思って参りましたので、皆様方と共に観光にも力を入れて参りたいと思います。そして災害や危機管理と、精一杯頑張りたいと思っております。
実は私は本音で言うと「脱・官僚」という言葉があまり好きではないんです。私は政治家が悪かったんだと思うんです。私も政治家なんですが。政治の側がしっかりするということが第一義的だと思っております。そういう意味では、皆様方と共に政と官の本当に良いパートナーシップを築く、1つの大きなきっかけにしていければ良いな、そのきっかけの1人になりたいなと思っております。
どうぞ皆さん、あそこに行け、ここに行け、ここの現場を見た方が良いなど、いっぱい私に知らせて下さい。私はまず、自分の部屋にスニーカーと長靴を置きます。現場にどこでも出かけていく、フットワークの軽い副大臣として精一杯頑張って参りたいと思いますので、共に力を合わせて、今日より明日、明日より明後日と、明るい日本を作るために頑張りましょう。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
確かに読んでいて、白々しいというか、どの口が言うのかね~と思います。
「国民の皆さんの安心と安全を守る仕事です。しっかりと守って参りたいと思います。」
なんて、まったく正反対のことを言ってたこともあるしね。
辻元の特徴は、その場その場のパフォーマンス。
本気でそんなこと思っていなくても、リップサービスで、パフォーマンスとして
いろんなこと発言する、つまらない政治家です。
ちゃったんですか?名前は民社党に変わりましたが、実態は土井たか子や村山富市
がいたあの旧社会党と変わりません。あの震災の時、村山内閣が何をやったか、みん
なもう忘れちゃったんですか? その反自衛隊思想から自衛隊の出動を取り返しのつ
かないほど遅らせ、多くの人々を死に追いやったこと。 泣きながら自衛隊の出動を
国会で要請した地元議員に、薄汚い野次を飛ばした社会党議員のこと。 自衛隊より
先に現地入りした辻元清美等が、私たち被災者に「自衛隊は違憲です。自衛隊から
食料を受け取らないでください。」と書かれたビラを配っていたこと。本当にみんな
忘れちゃったんですか? 辻元清美は今、民社党議員として活動しています。 知らな
いなら知ってください。忘れているなら思い出してください。
辻元清美とは
私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の“国壊議員”や(週刊新潮)
北朝鮮との国交正常化を最優先すべき(ガールズ・ビー・ポリティカル)
「(北朝鮮拉致問題に関して)北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたり
まえの話です。そのこととセットにせずに、「9人、10人返せ!」ばかり言っても
フェアじゃないと思います」と発言 (ガールズ・ビー・ポリティカル)
『朝まで生テレビ』において「国があるから戦争が起こる、国を失くさないとなら
ない、そのための一歩として、国旗を亡くすんだ」と主張
・カンボジアに真っ白な厚化粧で現れ、PKO活動に励む自衛隊員に対して、
「…で、この掘り出した土砂の環境評価は?」
・同じくカンボジアPKO活動中の自衛隊員に「あなた!そのポケットにコンドーム
入れてるんでしょう?」